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http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0923&f=column_0923_004.shtml
赤木智弘の眼光紙背:第150回
WHOが今年5月に採択したアルコール規制の指針の中に、飲み放題の制限が謳われているそうで、居酒屋やカラオケ店などのサービスに大きな影響が出そうだという記事(*1)を目にした。
私もそれなりに飲み会に顔を出すが、10人程度の飲み会になったときには、各自が注文するよりも、飲み放題で頼んでしまった方が手っ取り早い。また、2時間以内などの時間制限は、むしろ酒をダラダラと飲みすぎないですみ、終電を逸するようなミスも少なくなるので、私個人としては、飲み放題はありがたいと思っている。
自分のことはさておき、WHO「アルコールの有害使用の低減世界戦略」(*2)を全会一致で採択したのは5月であり、旧聞に属するが、この問題はとりあげてなかったので、改めてとりあげたい。
これまで何度かタバコの問題を取り上げてきたが、タバコに関しては路上や施設内での喫煙が次々と廃止になる一方、無駄遣いという批判によって喫煙所はなかなか設置されない。それどころか喫煙者に対して分煙環境を提供するのではなく、他者への副流煙被害や、喫煙者自身への健康問題を大幅に誇張する形で、喫煙者を公共の場から排除するべきという、社会的な風潮となってしまっている。
その頃から「次は酒だろう」と言われていたが、その流れが、いよいよ飲酒に向って、一気に押し寄せるのだろうか。
記事上では、お酒のイッキ飲みなどがが健康被害に繋がるということで、若者の飲み方が問題にされているが、若者の間で「イッキ」がもっとも流行ったのは、とんねるずが「一気!」を歌った1980年代であり、今、安い居酒屋チェーンなどに行っても、若い人は和気あいあいと飲んでいるだけで、イッキのコールが聞こえることは、ほとんどない。それどころか、最初の一杯からビールにサワーに烏龍茶と、自分の好きな飲み物を頼み、自分のペースで飲んでいる人が、ほとんどである。
むしろ「駆けつけ三杯」という言葉が古くからあるように、アルコールの強要は昔ながらの地域共同体や、一部の体育会系といった古い価値観のコミュニティーで行われる印象が強い、「上司のついだ酒が飲めないのか」といったパワハラや、「男なら酒ぐらいは飲んで当然」として、飲めない男性を馬鹿にするような風潮など、昔ながらのお酒に対する接し方にこそ、問題があるのだろう。
また、酒の飲みすぎが体に悪いのはそうだとしても、度を超えた酒の飲みかたは、普段の生活の辛さや不安から来るところがある。私もそうだが、強い不安や不満を感じた時には、酒を飲んで忘れようとすることがある。それを「お酒は健康によくないから」と押さえ込もうとすることは、かえってそうした感情を簡単に発散させる場を失わせ、本人的にも社会的にも不利益となるのではないかという考え方もある。
健康問題を論じるときに考えなければならないのは、健康問題の多くは決して病気や物質の単独問題ではなく、社会的に組み込まれた複合問題であるという点であり、その点は常に意識しておく必要がある。
「とにかく、酒やタバコは体に悪いのだ」という観点から推し進められる規制は、国にとって都合のいいものである。
保険診療の多様化など、具体的な健康増進の方法を国民に提供するよりも、酒やタバコは自己責任として道徳感情を煽り立てる方が、対策としてお金がかからない。さらには「健康増進のため」と称して、酒税やたばこ税の増税という、収入まで得られる可能性がある。所得税や消費税を上げようと思えば国民の反発は不可避だが、健康のために道徳に反する飲酒やタバコを規制するという名目の増税は、大きな批判にさらされることはない。実際、来月のたばこ税増税に対して、多くの国民は当たり前のように受け入れており、一部には「よい政策」であるとさえ考えている人もいる。
(情報提供:眼光紙背)
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