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アウンサン・スーチー釈放の意味
2010年11月17日 田中 宇
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東南アジアのミャンマーでは、11月7日の総選挙の後、11月13日に民主活動家(野党指導者)アウンサン・スーチーが7年間の自宅禁固を解かれ、釈放された。スーチーの解放は、突如として行われたように見えるが、そうではない。もうみんな忘れてしまっているが、世界で最初にミャンマー政府からスーチー釈放の意向を聞いて発表したのは、日本の鳩山前首相である。昨年10月末、タイで行われたアジア諸国のサミットの傍らで行われた日緬首脳会談で、ミャンマー首相のティンセインが鳩山に、スーチー釈放の意志があると伝えた。スーチー釈放は、1年以上前から計画されていたことになる。(Burma generals signal flexibility on Suu Kyi)
ミャンマーは、古くから日本に経済援助を受けている。日本に親近感を持ち、鳩山にこの件を伝えたのだろう。だがミャンマー政府がスーチーを釈放する気になった理由は、日本とあまり関係ない。米国と中国の駆け引きの中から生まれた動きである。ことの始まりは、鳩山・ティンセイン会談の半年前の09年3月、中国とミャンマーの政府系石油ガス会社が、ミャンマーから中国南部の雲南省まで、原油と天然ガスのパイプラインを敷設する契約を締結したことだ。(China secures Myanmar energy route)
2000キロに及ぶこのパイプラインは、ミャンマー南部のシュエ・ガス田(Shwe)の天然ガスを中国に運ぶとともに、中東方面からタンカーでミャンマー南部の港まで運んできた原油を中国に運ぶ。中国は、国際航路のボトルネックであるマラッカ海峡を通らない迂回ルートを得ることができ、エネルギーの世界地図が描きかわる。ガス田自体は、大宇の51%を筆頭に、韓国、インド、ミャンマーの企業の合弁事業となっている。(SKorea-led consortium strikes Myanmar gas deal with China)
ミャンマーは地下資源が豊富で、天然ガスの埋蔵量は世界第10位だ。米国(米欧)は、ミャンマーの軍事政権を非難して経済制裁しており、ミャンマーの資源に手を出せない。そんな中で、中国を筆頭とするアジア勢がミャンマーのエネルギー利権を分割する事態が出現した。米国のエネルギー業界はこの事態を看過しきれず、米政府に対し、ミャンマーの資源をアジア勢に奪われるなという政治圧力が強まった。中国がマラッカ海峡を迂回するエネルギー入手ルートを得ることが、地政学的に米国の優位性を失わせるというマイナス面もあった。中国軍はミャンマー南部の港湾を借り上げ、インド洋の拠点と使ってきた。
当時、09年1月に就任したばかりのオバマ大統領は、独裁諸国とも対話する外交を掲げていたこともあり、09年4月初め、米政府は7年ぶりに特使(Stephen Blake)をミャンマーに派遣し、米国務省は「ミャンマーを孤立から脱却させるため、アジア諸国と協調する戦略を採りたい」と発表した。米政府は、ミャンマーが政治を民主化したら、経済制裁をやめて逆に援助を再開し、敵視をやめて親米の国として認知する政策転換すら検討し始めた。(China wary of US-Myanmar 'detente')
▼米国はミャンマー容認に転じるかに見えたが・・・
アウンサン・スーチーは、夫(故人)が英国MI6の諜報部員だったこともあり、中国などはスーチーの存在を、米英のミャンマーに対する不安定化政策ではないかと疑ってきた(スーチー自身は「いい人」との評判だが)。昨年8月、米欧は国連安保理で、スーチーの自宅軟禁を延長したミャンマー政府の決定を非難する決議を提案したが、中国とロシアは反対した。(Chinese and Russian opposition blocks formal statement)
東南アジアのASEAN加盟諸国も、米国が対中包囲網の一部として親しくしているフィリピンとインドネシア以外の国々は、米欧によるミャンマー制裁に批判的で、スーチーに対する支持もおざなりだ。ミャンマーと1600キロの国境を接するインドも、スーチー支持を表明するとミャンマーの利権をライバルの中国に奪われるので、黙っている。(Suu Kyi's detention splits East and West)(India following soft policy on Myanmar)
そもそも、昨年ミャンマー政府がスーチーの軟禁を延長した理由は、米国人のキリスト教(モルモン教)求道者ジョン・イェットー(John Yettaw)が、ヤンゴンのスーチーの自宅前の湖を自作のボートで渡ってスーチー宅に入り込み、スーチーが彼を「かくまった」という罪だった。欧米マスコミは、単なる奇人でしかないイエットーの侵入を口実に、ミャンマー政府がスーチーへの弾圧を強めたというシナリオ(もしくは軍事政権がスーチーを陥れるために、意識的にイェットーの侵入を黙認した)で報じたが、もしかすると現実は別で、米諜報機関が、ミャンマー政府の弾圧を引き出すために、イェットーを扇動して奇行をやらせた可能性もある。ミャンマー問題は、善悪の役どころ自体が捏造されている疑いがある。中露印やASEANが、米英のミャンマー制裁に疑問を持つのは自然だ。(The fool and The Lady of the lake)
アジア諸国がミャンマー政権を許す政策を加速する中で、米国の対ミャンマー政策も、人権を口実にした敵視策と、エネルギー利権などへの欲求を背景にした宥和策の間で揺れ動くようになった。ミャンマーの獄中にいる「奇人」イェットーを解放するため、昨年8月に米上院の外交委員長ジム・ウェッブがミャンマーを訪問して政権首脳と会談したあたりから、米国はミャンマーに「選挙を実施し、スーチーを釈放するなら制裁を解除してやってもよい」という態度を見せるようになった。この時点で、選挙とその後のスーチー釈放という、最近起きた出来事の雛形が作られていたことになる。(U.S. Senator to meet Myanmar's prime minister)(US takes a radical turn on Myanmar)
米政界には対ミャンマー強硬派も多く、昨年9月末、国連総会に来たミャンマー代表と会談したキャンベル国務次官補は「話をすることは譲歩ではない」と弁解した。(Editorial: Talking With Myanmar)
昨年10月中旬には、国連総会の傍らで、キャンベルがミャンマー問題について中国代表と話し合いをした。ミャンマー問題で米中が話し合うのは前代未聞だった。11月にはキャンベルがミャンマーを訪問した。米中「G2」が協調してミャンマーを許していき、ミャンマーで選挙が行われ、スーチーが釈放されて、米欧が制裁を解除する流れになるかに見えた。(U.S. Official Praises China's Role in North Korea Negotiations)
▼中国が動いてスーチーが釈放された
だが米国の政府やマスコミは、今年11月7日の選挙前から「ミャンマーの選挙は不正に満ちている。正式な選挙とは認められない」と繰り返し公言するようになった。スーチーが釈放されても「ミャンマー政府は、これまで何度もスーチーを釈放した後で再軟禁する政治劇を繰り返している。今回も真の釈放と言えず、信用できない」と軽視した。(Burma will not be treated as a normal country until Aung San Suu Kyi is truly free)
米国はミャンマー敵視をやめなかったが、選挙とスーチー釈放は予定通り行われ、中国やインド、東南アジア諸国は、ミャンマーの選挙とスーチー釈放を高く評価した。米政府とその傘下の人々は、ミャンマーの選挙を正当だと評価するインドや中国を批判した。だが、国際社会で米国が弱くなり中国が強くなる中で、こうした批判は現実味のないものになっていた。(China and ASEAN honor the worst vote rigging in Burma)(Regional press encouraged by Burma election)(China and India move to insulate Burma's junta)
米国側と連絡を取り合った末の判断なのかどうかわからないが、スーチーと彼女の政党NLDは、11月の選挙への不参加を表明し、スーチーは投票にも行かなかった。国際社会での米国の影響力が強かった以前なら、米国が正当性を認めない選挙に参戦する必要はなかったが、米国の弱体化と中国やインドの台頭が起きている中、中印などが正当と認めて支持する選挙に、スーチーやNLDが参加しなかったのは、作戦ミスだった。おそらく、スーチーらは米国から「選挙に出ない方がいい」と圧力をかけられ、言うとおりにせざるを得なかったのだろう。(Myanmar democracy fight polls apart)
ミャンマー選挙と同時期にインドを訪問したオバマ大統領は、ミャンマーに甘いインドの姿勢を批判したが、同時にインドの国連安保理常任理事国入りを初めて明確に支持した。オバマはインドに対し「国際社会の責任ある大国となれ」と述べたが、これはブッシュ前政権が、ミャンマーや北朝鮮に寛容な中国の政策を非難する一方で、中国に対して「責任ある大国となれ」と言い続けていたのと同じ構図だ。米国はこの10年、国際社会における中国やインドの地位を引っぱり上げる隠れ多極主義的な政策を続けている。(India and China Greedy in Burma; Obama Scolds)(中国を使ってインドを引っぱり上げる)
こうしてミャンマーは、米国に敵視されて孤立する国から、中国やインド、東南アジア諸国に容認されつつ多極型のアジア経済の中で生きていく国へと転換する方向性が確定しつつある。これは、北朝鮮が中国の傘下に入っていった昨今の動きと同質のもので、世界的な多極化の一環である。ミャンマーが中国の傘下に入っていく流れは、07年ごろから見えていた。今回の件でも、フランスのサルコジ大統領が、中国政府がミャンマー政府に圧力をかけてくれたおかげでスーチーが釈放されたと述べている。ちゃっかりなサルコジは「私が胡錦涛に頼んだので、胡錦涛がミャンマー政府に圧力をかけた」と自己PRにも余念がない。(中国の傘下に入るミャンマー)(Sarkozy says Suu Kyi released after he spoke to China's Hu)
▼現実にそって転換するスーチー
スーチーは、国際的にミャンマーが置かれた状況が大きく転換していることに気づいたらしく、釈放直後の演説で、戦略の劇的な転換を示した。スーチーは、ミャンマー軍事政権を崩壊させようとする欧米主導の経済制裁を支持する姿勢を大きく弱め「国民が望むなら、欧米諸国に要請して経済制裁をやめてもらうよう努力したい」と述べた。
ミャンマーの民主化運動は従来、欧米日などの外国の人々に対し、ミャンマーに観光旅行にくると軍事政権を儲けさせて民主化を遅らせることに手を貸すことになるので来ないでほしいと言っていた。だがスーチーは今回、この姿勢も大きく改め、ミャンマーの国民経済を助けることになるので外国人の観光客にどんどん来てほしいと表明した。(Aung San Suu Kyi shifts position on sanctions)
スーチーは釈放後、軍事政権の首脳と会って話す姿勢も見せた。スーチーは国民の意見を聞きつつ、軍事政権と折り合える部分で折り合い、中印やASEANと協調するとともに米国と静かに距離を置き、うわべの民主化より、ミャンマーの国民生活を向上させることに注力するようになっていくかもしれない。ミャンマー民主化運動に参加する人々は怒るかもしれないが、私は、今回の動きがミャンマー国民にとって良い方向だと思っている。
米国はこの期に及んでも、お門違いな政策をしつこく続ける隠れ多極主義の道を歩んでいる。米国は国連において、ミャンマーの人権侵害を断罪する国際法廷の設置を提案している。この提案は、安保理において中国やロシアの反対にあって実現の見込みが薄く、米国以外で公式な支持を表明している国がない(英国すら尻込みしている)。国際社会において米国が支持されなくなっていることを改めて示す結果になっている。(China campaigns against Burma war crimes inquiry)
米国のミャンマー断罪法廷構想は、は、オーストラリアを誘って展開されているが、豪州は中国やASEANと仲良くして多極化に対応したいと考えており、ありがた迷惑な誘いとなっている。(Clinton Calls for International Tribunal on Human Rights Abuses in Myanmar)
東南アジアでは、これまでASEAN内で最も強くミャンマー政権を非難し、親米的な傾向が強かったフィリピンが、中国寄りになる姿勢をしだいに鮮明にしている。そんな中で独自の頓珍漢を続けているのが、悲しいかな、わが日本である。日本は第2次世界大戦中にアウンサン将軍(スーチーの父)らのミャンマー独立運動を支援したこともあり、戦後ミャンマーと親密な関係にあった。だが近年の日本は、対米従属ばかり気にするあまり、米国のミャンマー敵視策に追随してミャンマーでの利権を自ら手放す姿勢をとり続け、その多くが中国など他のアジア諸国に持っていかれている。日本は、イランや北朝鮮に対しても同様のことをやっている。(Manila warms to China, cools on US)
選挙が終わりスーチーが釈放されて、ミャンマーが多極型世界に適合していく流れが見えてきたところで、米国から操作されているもう一つの勢力であるミャンマーの辺境少数民族が、軍事政権に対して最後の戦いを挑む動きが始まっている。この戦いが軍事政権の勝ちで終わると、ミャンマーはさらに安定した状況になると予測される。(Burma's Looming Guerilla War - Junta Prepares to Take on the Ethnic Militias)
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