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国会審議を見るのがつらくなるような政治が続いている。菅内閣の対応の酷さが原因だが、攻める側も大した事がない。言葉尻を捉えてつつくような追及ばかりで国家の現状を正面から論じない。だから内閣支持率と同様に野党の支持率も低調である。国会の論戦はまるで噛み合わず、出来の悪い漫才のボケとつっこみを見させられているようだ。
原因を作った菅内閣の政権担当能力について私は全く驚いていない。3年前の大連立騒ぎの時に民主党の中に「民主主義を否定する」とか「大政翼賛会と同じだ」と言って、大連立を否定する人たちが居た時から想像された事だからである。その人たち自身はまだ分かっていないだろうが、あの時の政治無知が今報いを受けているのである。
3年前の参議院選挙で自民党は結党以来初めて参議院第一党の座を失った。「ねじれ」が生まれ、衆議院で三分の二の議席を持っていても政権運営は思うようにならなくなった。その瞬間から政治の世界は「ねじれの恐ろしさ」を知る者と知らない者とに分かれた。知らない者の代表例は安倍元総理である。選挙後直ちに続投を表明した。正気の沙汰とは思えない判断である。だから無様な辞任に追い込まれた。
民主党は知らない者ばかりの集団だった。選挙結果に浮かれて「次の衆議院選挙で政権交代だ」と息巻いていた。確かに衆議院の過半数を握れば政権は取れる。しかし民主党は参議院第一党だが過半数を握っていなかった。政権を取っても「ねじれ」が起きて、連立しなければ何も出来ない。それも考えずに「政権交代」だけを叫んでいるのはただの政治無知である。
「ねじれ」を知る者は大連立を考えた。そうしないと日本の政治は混乱するだけだからである。しかも自民党にはそれ以外に生き延びる道がなかった。だから秘かに民主党に大連立を働きかけた。民主党は「民主主義の筋道に反する」と「正論」を言って申し出をはねつけた。しかし民主党に民主主義を云々するほどの政治経験があった訳ではない。
一人だけ「ねじれ」を知る政治家が民主党にいた。小沢代表は自民党が33年ぶりに「ねじれ」に直面した時の自民党幹事長である。追い込まれた側の幹事長でありながら巧妙に野党勢力を分断し、消費税を廃止させず、自衛隊が初めて海外に出るPKO法を成立させた。それだけに「ねじれ」の難しさを人一倍分かっていた筈である。
小沢代表と福田総理との間だけで大連立が話し合われた。大連立には民主党と日本政治にとって次のようなメリットがあった。1.日本は「ねじれ」による政治の混乱から免れる事が出来た。2.連立の条件として自民党は民主党の安保政策、年金政策、子育て支援策、農業政策を受け入れる約束だった。つまり民主党にとってこの時から主要政策を実現する事が出来た。3.民主党は2年間の与党経験を積む事で官と政との関係を内側から知る事が出来た。何人かは大臣も経験できた筈である。4.攻撃しか知らなかった民主党議員に守備を教え、与党に向いた議員を発掘する事が出来た。
5.自民党も民主党も政策的対立を党内に抱えており、大連立の中で議員を合従連衡させれば、自民、民主に代わる新たな二大政党を準備できた。6.09年の衆議院選挙までに巨大与党を二つに分け、どちらが政権にふさわしいかを国民に選択させる事が出来た。7.官僚主導を政治主導に変えるには与野党が手を組むしかない。政治が対立している限り官僚支配は続く。大連立は政治主導の端緒を作った筈である。8.そして自民党にとっては09年までは政権に居続ける事が出来た。
大連立は民主党によって否定され、その結果、次のような事が起きた。1.日本の政治は2年間も混乱に混乱を重ねた。大連立になればインド洋での海上給油を自民党はやめる事で合意していたが、否定されたために継続の方針になり、与野党が対立して国会は再議決のため異例の越年延長となった。国会同意人事でも与野党が対立して日銀総裁が空白になる混乱が生まれた。ガソリン税の暫定税率はいったん廃止された後で復活し、ガソリン価格が上下して国民生活は混乱した。2.民主党と自民党が安保政策で一致していれば普天間問題で混乱する事もなかった。与野党が一体となってアメリカと対峙する事ができた。3.民主党議員が与党経験のないまま閣僚になった事で官と政との間に不必要な混乱が生じた。4.政界再編が進みそうで進まない状況が出てきた。
結局、大連立が否定されても自民党は政権に居続け、総選挙は任期満了の09年に行われた。しかしその間の混乱と政治の停滞は自民党と日本にとってマイナスでしかなかった。また国民は民主党のマニフェストだけを見て政権交代を実現させたが、大連立をしていれば民主党の政策を先行して経験する事が出来、その善し悪しを実感した上で選挙で政策を選ぶ事が出来た。
大連立が否定されたのは、国民を参加させないやり方で政治の方向を決めようとした事への批判である。それは「正論」だが、民主主義は一方で直接民主制を採用していない。国民の意のままにすれば民主主義は潰れるというのが真理であり、時には政治が先行する事もありうる。大連立は、入り口を政治の世界だけが決め、出口で国民に選択させようとしたが、それが理解されなかった。
日本は百年を越す官僚支配がいまだに続く国である。これから「主権在民」の仕組みを作らなければならないが、民主主義の建前を言うだけでは実現しない。その意味で大連立はチャンスだった。勿論、大連立には様々な人が様々な思いを抱いて語っていた事もあり、私の予想通りになっていたかどうかは分からない。しかし検討に値するプロセスだった事は確かである。それが残念ながら否定された。
その否定した人たちが行っているのは余りにも建前第一、余りにも政治技術に走りすぎ、それでいて根本が未熟な政治である。尖閣を巡る対応では「法を粛々と適用した」と幼稚な事を言い、戦略もなく中国人船長を逮捕した。外交戦をやるのに「法を粛々と適用」するほど馬鹿な事はない。衝突のビデオテープは初めから国会乗り切りのための取引材料にする事を考えている。それを証拠とか秘密とか言うから話がおかしくなった。そして今度は問題閣僚の首を国会乗り切りの取引材料にするために首を切らないでいるように見える。
国会でまともな議論をせずに取引ばかりやるのは55年体制の社会党が得意としたところだが、菅内閣が誕生したら政治が再び55年体制に戻ってしまったような錯覚に陥る。しかしこれは元を辿れば半世紀以上も政権交代のない政治を続けてきた事のツケである。野党しか知らない政治家に官と政の関係や権力機構の内側が分かる筈がない。与党だってほとんどの政治家は政治の真相など知らされない。ただ将棋の駒のように使われているだけである。
野党経験しかない者だけを責めて、経験のある政党だけに政権を取らせれば今以上に政治は腐敗する事になる。これを卒業する方法はただ一つ。10年間は政権を続けさせ、十分に政治を習熟させた所で他の政党に交代させる事である。欧米のように10年おきに政権交代が繰り返されれば、与野党は緊張感と成熟性を持って政治に取り組む事が出来る。それまでは政党の中で首をすげ替えてもらうしかない。大連立では国民の多くが訳も分からず「大政翼賛会だ」と反発した訳だから、今はそのツケを払わされていると考えるしかない。
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