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2010-11-19 18:51:58
三日前の拙ブログ、『小沢一郎殿ご教示下さい・・・』が、阿修羅掲示板で沢山のコメントに曝されている様です。
ご賛同頂いたコメントも多い中で、彼の「実績が無い」事を言い立てて、小沢氏に期待する動きを揶揄する見方も、ある様です。
小沢氏が、何故期待されるのか。
小沢氏は、何処が他の政治家と違うのか。
これらの思いに関しては、少し前に書きました。
↓
『なぜ小沢なのか。なぜそこまで小沢に期待しなければならないのか。』
http://blog.goo.ne.jp/veritas21/e/5aaec09a13a9b283e8a2480d6aab39e7
そこで、この点に付いては繰り返さない。
しかし、未だに「彼の存在意義」が理解出来ない人が居る事に、「国民への洗脳」の恐ろしさ、或は、物事の本質を理解出来ない様に育てる「偏差値教育」の恐ろしさを、改めて感じてしまうのです。
「アメリカとの対等な外交」
「安保の見直しと、沖縄と日本本土の米軍基地の縮小」
「対中国及び東アジアの安定の為の共同体構想」
「官僚主導体制の打破」
「その為の次官制度の見直し」
「その為の特法や特会の廃止」
「その為の、地方行政と地方交付金の見直し」
「司法の可視化」
「その為の検事総長の民間からの登用案」
「マスコミ再編の為のクロスオーナー・システムの廃止」
「記者クラブの閉鎖」
『この様な政治哲学を持ち、それを実践せんと行動して来た事』が、彼の実績なのである、と言う事が解りにくいらしい。
未だ、実現していない事を実績と感じ取れない層が有る。
しかし、これまでに存在してこなかった、方向性を国民に提示した、と言う事は、これまでの日本の社会に存在しなかった。
彼「一人に」に期待しすぎる事への心配や、懸念も寄せられる。
勿論、如何に優れた政治家といえども、たった一人では何も出来ない。
当然であります。
であるからこその、議会制。
だからこその、過半数。
「数は力なり」
その、「力を得る」為に数を集めると言う事は、すなわち「選挙に勝つ」事であります。
何を今更、当たり前、とおっしゃるなかれ。
「小沢は所詮は選挙屋」と言う反論が(ネウヨから)意外と多い。
当たり前田のクラッ○ーなのだ。
そして、絶対多数を勝ち取り、自らの政治的信念に沿って仕事をする為には、時に応じて「離合集散」は、戦略である。
その事が理解出来ないB層が多い事が、問題を複雑にしてしまっているのだ。
一現象面を捉えて、そこだけ批判すれば、「群盲象を撫でる」事にしかならない。
そして。
『小沢一人に「頼りっきり」になっていては、いけない。国民一人一人の進化が必要である。』
と言う意見も、勿論その通りで有る。
しかし、そしてそれこそが最も必要な事であるが、批判としては「表層面」を見るあまり、小沢の持つ本質を捉え損なっている、と断じざるを得なくなってしまっている。
彼は、もはや「一政治家」では無いのだ。
政治哲学の希少性。
その哲学の普遍性。
分析の正しさ。
そこから導きうる「日本を改革する」為の可能性。
それに対する、敵対勢力の大いなる陰謀の数々。
彼の目指す方向が、あまりにも「正しい」からこそ受ける、嫉妬や怨嗟、馬鹿げた権力闘争に歪曲化してしまう、足の引っ張りあい。
敵勢力の、死にものぐるいの抵抗。
これらを鑑みるに、『小沢一郎』はもはや「一政治家」では無く、日本を救いたい全ての国民達にとっての、極限の中から生まれつつ有る「エネルギ−」自体なのである。
その、エネルギーこそが、日本の真の独立と言う、壮大にして困難な「革命」と言っても過言では無い動きを導き出してくれる力、そのものなのである。
いわば、小沢一郎は現代日本に置ける『ジャンヌ・ダルク』に相当する象徴と言って良いのではないか。
小沢氏は全知全能では無い。
小沢氏の全てが正義では無いのかもしれない。
小沢氏が今まで一度も誤った事が無い、等とは考えていない。
小沢氏の言う事の全てを、肯定する事は出来ないかもしれない。
彼は、68歳の一人の男性、に過ぎない。
68歳の日本人男性は数えきれないほど居る。
68歳の政治家も、数多い。
しかし、繰り返すが、ここ65年に渡って、日本の取るべき正しい方向を示した男が、政治家が、他に居ただろうか。
政治家となった暁には、総理総裁を目指すは、男の(最近は女性も)甲斐性で有ると、考えられて来た。
小沢は、それを別に望んでは来なかった。
今も、それが目的では無い。
あくまで、「日本を何とか自分の信じる方向に導きたい」と言う、姿勢だけである。
そして、近年「他人に任せておいても、結局は理想が実現出来無い」事が、ようやく彼にも理解出来てきた。
そこで、民主党代表も引き受けたのだ。
『闇将軍』とよく呼ばれて来たが、彼は「軽い神輿を担いで操作しよう」と考えていた訳では無い。
自分の目指す道が得られるのであれば、「捨て石になっても全く構わない」という拘りの無さが、これまでの他の「闇将軍」達とは、決定的に違うところである。
そこが、理解できていない人が多い。
そして、一番肝心な事は、「彼が信じる方向」が、日本に取って「正しい」方向だ、と言う事だ。
自らの信ずる方向に向かって努力する政治家は、多いだろう。
しかし、普遍的な判断に立って、大局的に見て、日本のこれまでの誤った方向を正す、と言う上で、小沢氏ほど的確な「グランド・デザイン」を示してくれた政治家は、居なかった。
ジャンヌ・ダルクも、全知全能では無かった。
戦術も戦略も、政治も知らない、17歳の農家の娘に過ぎなかった。
しかし、彼女は自分の行動に『確信』を持ち、その確信が、イングランド王に主権を奪われかかっていた「フランス王と言う主権の下に生きる」庶民達に、ある確信を与えたのだ。
ジャンヌ・ダルクの存在自体が、国民達の間に『祖国』と言う概念を生み出し、それまでに無かった「国民意識」を造り上げた。
彼女の「確信」が、不可能を可能にした。
物理的に圧倒する敵勢力に対して、国民の間に「精神の統一をもたらした」ジャンヌ・ダルクのお陰で、皇太子シャルルは失地を回復し、イングランド勢力をフランスから駆逐出来た。
単なる、農家の17歳の少女、と言うだけであれば、その様な「エネルギー」をまきこす事はあり得なかったで有ろう。
彼女の堅い信仰に依って裏付けられた「確信」が、王家を、諸公を、国民達を、動かした。
不可能を可能にした。
アカラサマなる「有る勢力に依る支配」下に有る日本が、その在り方を改めて考え直し、進むべき方向を見つけ出す事の必要性を説き、その方向に進むべく国民にその事を認識させて、改革の為の意識を植え付けた。
小沢一郎の、正確な判断、具体的な方向性、つまり彼の『確信』が、我々国民のあいだに、或る「希望」を与えた。
その希望は、日本とって欠くべからざる物である、と言う「確信」に変わった。
その事が、一政治家『小沢一郎』の存在価値なのである。
その事が、政治に無関心であった多くの国民の目を開かせ、今までの在り方に疑問を感じるきっかけを与え、日本の変化を求める様になった。
その事が、一政治家『小沢一郎』の輝かしい『実績』なのである。
その点を、是非はっきりと認識しておかなければならない。
だからこその「小沢一郎待望論」なのだ。
同じ様に、国民を覚醒し、目標を与え、背中を押してくれる政治家が他にも居るのであれば、別に小沢氏には拘らない。
我々は、決して『小沢信者』では無いのだ。
そして、今まで、今のところ、小沢氏以外にそのような『エネルギー』を生み出す政治家は、残念ながら、他には居ない。
(それにしても、阿修羅掲示板へのアクセス数くらい、拙ブログに直接来て頂ければ、と夢見る私であります。。。)
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