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「小沢失脚」謀略を問う
(1)検察審査会「起訴議決」の不可解さ
(2)小沢一郎氏をめぐる動きは国家の支配構造から解かなければならない
(3)小沢「起訴議決」の対象となった「虚偽記載」とは何だったのか
(4)小沢「政治とカネ」疑惑は根拠薄弱な妄想の類に過ぎない
(5)民主主義を危機に晒す検察審査会の暴走
(6)小沢一郎氏は日本の国内政治の構造をどう把握するか
(7)小沢一郎氏は日本の外交をどう把握するか
(8)小沢一郎氏の志す改革は既得権益層の利害と衝突する
(9)小沢一郎氏は自身への攻撃をどのように受け止めてきたか
(10)小沢一郎氏をめぐる動きが日本の支配構造を炙り出している
(11)左右の立場を超えて小沢支持層が形成されている
(12)小沢一郎氏を政治的に抹殺しようとする意志が厳然と存在している
(13)日本の支配構造についての理解を広げることが最も肝要である
2010年11月08日
「小沢失脚」謀略を問う(1/13)
(1)検察審査会「起訴議決」の不可解さ
2010年10月4日、東京第5検察審査会は、民主党の元代表である小沢一郎氏の政治資金規正法違反の容疑――具体的には、政治資金収支報告書への虚偽記載について秘書と共謀したとの容疑――について、「起訴議決」を公表した。検察の捜査によって不起訴となった小沢氏は、「市民参加」の検察審査会によって、強制的に裁判にかけられる見通しとなったのである。
しかし、この東京第5検察審査会による議決日が、菅直人氏と小沢一郎氏が対決し菅氏が再選された民主党代表選挙投票日の9月14日であったことが波紋を引き起こした。一体なぜわざわざこのような日に議決したのか。しかも、他の案件での起訴議決の公表が即日なされているにもかかわらず、この案件に限ってなぜ公表まで3週間もかかったのか。
そもそも、専門的立場から審査員に助言するとされる審査補助員に吉田繁実弁護士が決まったと報道されたのが9月8日のことであり、議決は10月下旬になると見られていた。このため、 9月21日に大阪地検特捜部の証拠改竄事件が発覚して前田恒彦検事が逮捕され、検察の調書の信用性が大きく揺らいだ――前田検事は小沢氏の第一公設秘書の大久保隆規氏の取調べを担当していた――ことが、小沢氏に有利に働くのではないかとの観測もあったのである。それだけに、9月14日の議決というのは、驚きをもって受け止められた。
また、この「起訴議決」を行った11人の審査員について公表された平均年齢が異常に低かったこと(当初「30.9歳」と公表された)が問題となった。これは、4月27日の第1回目の「起訴相当」議決の際に公表されていたのが「34.3歳」という非常に低い平均年齢であったことと合わせて、「起訴」という結論に誘導しやすいように審査員が恣意的に選ばれていたのではないか、との疑念を生じさせることになったのである。
審査員の平均年齢が低すぎるのではないか、との指摘に晒された検察審査会事務局は、何を血迷ったか、審査員の平均年齢について不自然極まりない訂正をくり返すこととなった。37歳の審査員の年齢を足し忘れていたとして「33.91歳」に訂正したかと思えば、さらに就任時でなく議決時の年齢で計算をやり直したとして「34.55歳」に再訂正したのである。足し算・割り算すらまともにできません、と言わんばかりの醜態を晒したのである。
さらには、二見伸明氏(元公明党副委員長、1994年に羽田孜内閣で運輸大臣を務め、新進党解党後は公明党に戻らずに小沢氏が党首を務める自由党に移った)の問い合わせに対して、検察審査会事務局側が会議の議事録は存在しないと回答した(「THE JOURNAL」内「二見伸明の『誇り高き自由人として』」10月12日付の記事)ことが伝えられるに及んで、インターネット上では、現実には存在しない幽霊審査員で架空の議決をしたのではないか、との疑惑すら囁かれるに至ったのである。
検察審査会の議決をめぐるこれら諸々の疑惑は、民主党代表選挙に小沢一郎氏が出馬することが確定的となった8月末の段階で、小沢政権の成立を阻むため遅くとも9月14日までに「起訴議決」をする、というストーリーが何者かによって描かれたのではないか、との推測を浮上させずにはおかないものである。
具体的には、代表選挙当日の「起訴議決」は、菅支持か小沢支持かで揺れていた民主党議員を菅氏支持へと流し固めるための極秘情報として使われると同時に、仮に小沢氏が民主党代表に選ばれてしまった場合には即日の議決公表によって総理大臣への就任を阻むための材料として使われようとしていたのではないか、と推測されるのである。
そのように考えれば、検察審査会をめぐる諸々の疑惑については、9月14日に間に合わせるために、極めて短かい期間で集中的に審議して議決する、あるいは審議して議決したことにしてしまうという動きの過程で図らずも生じてしまったものとして、筋を通して把握することが可能となるのである。
しかし、この「起訴議決」は、決して代表選挙をめぐる民主党内の権力抗争だけに結びつけて捉えられるべき性質の問題ではあり得ない。この「起訴議決」の意味を探るには、少なくとも、2009年3月3日に小沢氏の公設第一秘書であった大久保隆規氏が準大手ゼネコンの西松建設からの政治献金に関して検察に任意の事情聴取を受け、その場で突然「政治資金規正法違反容疑」で逮捕されて以来の流れを見ておかなければならないのである。
つまり、この間の検察・検察審査会やマスコミの動き、より具体的には、検察がゼネコンから小沢氏への不正献金を見込んで大々的に捜査したものの証拠を掴めず起訴を断念した「事件」について検察審査会が政治資金収支報告書への虚偽記載という微罪で起訴したことや、マスコミが検察からのリーク情報を垂れ流しにしつつ、“小沢叩き”とでも言うべき論調で「小沢=犯罪人」というイメージづくりに狂奔してきたことを見るならば、こうした動きの背後に、何としても小沢一郎氏を政治的に抹殺してしまおうという何者かの意志が存在しているのではないか、「小沢失脚」謀略とでも言うべきものが存在しているのではないか、との疑問を持たざるを得ないのである。
2010年11月09日
「小沢失脚」謀略を問う(2/13)
(2)小沢一郎氏をめぐる動きは国家の支配構造から解かなければならない
前回は、東京第5検察審査会による小沢「起訴議決」の不可解さをめぐって諸々の疑惑が浮上してきていることを見るとともに、2009年3月3日の大久保秘書逮捕以降の検察・検察審査会やマスコミの動きの背後には、何としても小沢一郎氏を政治的に抹殺してしまおうという何者かの意志が存在しているのではないか、との疑問を提起した。
一体、このような意志は確かに存在すると言えるのであろうか。存在するとすれば、それは何者の如何なる利害関係に基づいたものなのだろうか。
一つの見方は、小沢氏を政治的に排除することは他ならぬ国民の意志である、というものである。マスコミによる「世論調査」なるものにおいて、小沢氏の議員辞職や民主党からの離党を求める声が多数を占めている――例えば、読売新聞が11月5〜7日に実施した調査では、小沢氏がどう対応すべきかについて、「衆院議員を辞職する」が55%、「議員は辞職しないで民主党を離党する」21%とされている――ことが、その有力な根拠とされる。
こうした見方に立てば、今回の検察審査会による「起訴議決」についての諸々の疑惑は不問に付したままで、「市民参加」の下で「市民感覚」による的確な判断が下されたものと肯定的に受け止め、小沢氏に政治的責任(国会における証人喚問での説明や離党・議員辞職など)を果たすことを求める、ということになる。実際、現局面におけるマスコミの論調は、概ねそのような内容のものになっている。
しかし、世論なるものは、その社会において支配的な位置にある人々の利害関係に基づいて、意識的に創出されていくものであることを忘れてはならない。三浦とつむ『弁証法はどういう科学か』において、以下のように説かれるとおりである。
「物質的な生活資料の生産手段を所有している階級は、また新聞・ラジオ・テレビ・出版のような精神的な生活資料の生産手段をも握っています。多種多様の思想家・学者と、多種多様の生産・伝達手段を通して、支配階級のイデオロギイがふりまかれます」
「世論調査」なるもののも、こうした過程的構造における一つの要素として把握されなければならない。すなわち、国民世論から独立した中立的な第三者的な存在である調査主体(多くは新聞社などのマスコミ)が公平な立場から調査する、といった綺麗なものではないのである。そうではなくて、マスコミは(支配層の利害を背景にして)明確に何らかの意図を持って「世論」を誘導すべく不断に働きかけているのであって、「世論調査」なるものは、何よりもまず、その不断の働きかけが的確に効果を発揮しているかどうかを確認するためのものであり、もっと踏み込んで言えば、質問の仕方によって意図的に結果を誘導し、その結果をまた意図的に解釈することによって、さらなる「世論」への働きかけの材料としていくためのものでしかないのである。世論調査とは世論操作に他ならない、と揶揄される所以である。
マスコミが振りかざす「世論」なるものは所詮この低度の代物でしかないということを踏まえて、冷静に眺めてみるならば、国民の多くは、マスコミによって喧伝された「政治とカネ」疑惑なるものによって、疑惑の具体的な中身については必ずしも明確なイメージを持たない(持てない)ままに、極めて漠然とした「小沢一郎=犯罪者」というイメージを刷り込まれてしまっているのではないか、と考えざるをえないのである。
そうであるならば、小沢氏をめぐる一連の動きは、現代の日本を支配している人々の利害関係に着目して考えていくべきだということになるであろう。
では、「現代の日本を支配している人々」とは一体誰のことか。
現代の日本社会(国家)は、本ブログ11月7日の記事(「奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」13/13)で解いたように、「政官財」という“鉄の三角形”をマスコミ、御用学者が補完する“鉄の五角形”を“宗主国”であるアメリカが統括する、という支配構造を持っている。
こうした支配構造についての把握を踏まえた上で注目されるのは、「脱小沢」を掲げた菅民主党が、官僚との対決姿勢を弱め、財界団体と接近(たとえば、法人税減税の検討、企業献金受け取りの再開)するとともに、米国の意向にも忠実であろうとする姿勢(たとえば、普天間基地の辺野古への移設)を強めてきていることである。
そもそも、民主党が政権交代を実現させていく過程で最も大きな貢献をしたのは、他ならぬ小沢氏であった。このことは誰もが認めるところであろう。その小沢氏を排除しようという動きが強まっていくのと歩調を合わせるようにして、民主党の自民党化とでも言うべき過程が進行してきているのである。
このことからも予想されるように、小沢氏をめぐる一連の動きの背景を探ることは、日本という国家の構造そのものを問うことに他ならないのである。そもそも小沢氏は、滝村隆一氏によって、「日本の政治・社会全体の革命的な大改造を目論んでいる」「小沢一郎をとりあげるならば、思想的な立場や理論的な方法の如何を問わず、今後の政治ばかりか、世界のなかでの日本の将来について、否応なしに、真摯に、また具体的に考えざるをえない」(『ニッポン政治の解体学』時事通信社、1996年)と評されたほどの政治家であることを想起しなければならない。
本稿では、こうした滝村氏による小沢評を踏まえつつ、検察審査会による「起訴議決」など小沢一郎氏の政治生命を断とうとするかのような一連の動きについて、その背景を日本という国家の歴史的な発展過程から解くとともに、このような動きが主権者たる国民に一体何を提起しているのかという問題についても考えていくことにしたい。
2010年11月10日
「小沢失脚」謀略を問う(3/13)
(3)小沢「起訴議決」の対象となった「虚偽記載」とは何だったのか
本稿は、検察審査会による「起訴議決」など、“小沢潰し”とでも言うべき一連の動きが、日本という国家の歴史的な発展過程において一体如何なる意味を持つものなのであるかを探るとともに、主権者たるわれわれ国民が、こうした動きを一体どのように受け止めていくべきなのかを考察することを目的としたものである。
前回は、マスコミによって喧伝された「政治とカネ」疑惑なるものによって、国民の多くは、疑惑の具体的な中身については必ずしも明確なイメージを持たない(持てない)ままに、極めて漠然とした「小沢一郎=犯罪者」というイメージを刷り込まれてしまっているのではないか、と指摘した。
それでは、そもそも、小沢一郎氏をめぐる「政治とカネ」疑惑とは、具体的には一体いかなる内容を持つものなのであろうか。
「起訴議決」を行った東京第5検察審査会において審議の対象となったのは、小沢一郎氏の政治資金管理団体である「陸山会」が、2004年10月に約3億 5000万円支出して土地を購入したのに、2004年分の政治資金収支報告書に記載がなく、2005年分の政治資金収支報告書に同年1月に支出したという記載がなされていたという問題である。小沢氏は、“実行犯”としてすでに政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で起訴されている石川智裕衆議院議員らと共謀して、収支報告書にウソの記入をさせた“共犯者”としての疑いを持たれているのである。
マスコミの報道だけを漠然と受け止めていれば、それこそ、ゼネコン業者からの悪質な贈収賄事件であるかのようなイメージが描かれかねないが、今回の「起訴議決」の対象となったのは、政治資金収支報告書において土地取得と代金支払いの時期がズレていたという問題に過ぎないのである。
これについて議決書は、土地取得と代金支払いの時期がズレているのは「土地取得の経緯や資金についてマスコミなどに追及されないようにするための偽装工作」であり、「被疑者(小沢氏)とB(石川氏)、A(元公設秘書の大久保氏)、C(元私設秘書の池田氏)の間には強い上下関係があり、被疑者に無断でB、A、Cが隠蔽工作をする必要も理由もない」と決め付けているのである。要するに、時期がズレていたのは、隠しておきたい何らかのやましいことがあったからに違いない、というわけである。
しかし、これはマスコミを通じて意図的に創られた「小沢はカネに汚い」というイメージに影響された憶断であると言わざるを得ない。
なぜかと言えば、この土地取得と代金支払いの時期のズレ自体は、土地の取得を代金の支払い時点(2004年10月)でなく、登記の完了時点(2005年1月)で計上したものに過ぎないからである。このような購入日と登記のズレは、必ずしも不自然なことではない。「日刊ゲンダイ」(2010年1月27日)では、大手不動産関係者の次のような指摘を紹介している。
「マイホームローンを組む場合は別ですが、陸山会のように現金で土地を買ったケースは、所有権の移転登記が、土地の購入日と同じである必要はありません。購人日が04年10月で、登記の日付が05年1月というのは不自然でも疑惑でもない。中には1年くらい延ばす人もいる。ただ、印鑑証明が発行日から3ヵ月で切れてしまうと、再度、売主の印鑑証明をもらわなければならず面倒なので、早めに登記する人が多いというだけです」
それでは、議決書が前提としているように、政治資金収支報告書に、土地の取得を代金の支払い時点でなく登記の完了時で計上したことが虚偽記載に当たるのだろうか。この件について、公認会計士の細野祐二氏は次のように述べている(「現代ビジネス」10月29日)。
「ここで問題となるのは、土地の取得を代金の支払時点で計上するか(代金支払説)、あるいは登記の完了時点とするか(登記完了説)の会計処理である。この点に対する会計上の正解は簡単だ。どちらでも良い。公正ナル会計慣行上、土地の取得は代価の支払時点で計上しようが、登記の完了時点で計上しようが、財務諸表作成者の自由なのである。実務においても両手法はあまねく混在している。……中略……
陸山会は土地の資産計上につき登記完了説をとったため、世田谷の土地取得は、その代金支払年度である平成16年度ではなく、登記完了年度である平成17年度の政治資金収支報告書に計上された。
登記完了説をとった場合、決算報告時点における支払代価3億5261万6788円は前渡金となるが、前渡金は政治資金規正法第12条に定める政治資金収支報告書の記載事項ではないので、平成16年の陸山会の政治資金収支報告書に計上されていない。
本件土地取得に関する陸山会の会計処理は、公正ナル会計慣行並びに現行の政治資金規正法の定めにまことに忠実であり、この会計報告に対して虚偽記載を主張する事は出来ない」
要するに、この記載のズレ自体には、何らの犯罪性も見出すことはできない、ということなのである。
2010年11月11日
「小沢失脚」謀略を問う(4/13)
(4)小沢「政治とカネ」疑惑は根拠薄弱な妄想の類に過ぎない
前回は、小沢「起訴議決」の対象となった土地取得と代金支払いとの時期のズレは、土地の取得を代金の支払い時点(2004年10月)でなく、登記の完了時点(2005年1月)で計上したに過ぎないものであり、これ自体には何の犯罪性も見い出すことはできない、との公認会計士の見解を紹介した。
しかし、新聞やテレビなどのマスコミはこのような事情については決して報道しようとしない。記載時期のズレは何らかのやましいことを隠すために違いない、との邪推に基づいた妄想の類を無責任にも垂れ流すだけなのであり、これが議決書にも色濃く反映しているのである。
それでは、議決書が“やましいことがあったに違いない”と疑う根拠らしきものを検討してみることにしよう。
議決書は、まず、土地購入資金4億円についての小沢氏の説明が、当初の「銀行借り入れ」から「自己資金」などへと変遷したことについて、「著しく不合理なものであって、到底信用することができない」と断じている。
しかし、同じ一つの対象でも焦点を当てる角度次第で様々な姿を見せる、というのは、弁証法のイロハのイである。たとえば、あるサラリーマンが銀行で住宅ローンを組んで住宅を購入し、毎月の給料からローンを返済しているとしたら、彼は銀行ローンで家を買ったとも言えるし、自分の給料で買ったとも言えるだろう。彼が一方で「銀行のローンで購入しました」と言い、他方で「自分の給料で買ったんです」と言ったにしても、彼の発言を著しく不合理だとか到底信用できないとか言うべきではないだろう。
問題となっている陸山会の土地購入については、小沢氏個人が立て替えた資金で土地を購入した後で、陸山会が銀行ローンを組んで小沢氏に返済するとともに、陸山会は政治献金をもって銀行への返済に充てる、という流れが存在した。だとすれば、小沢氏の説明が「銀行借り入れ」から「自己資金」などへ変遷したことをもって、ただちに著しく不合理だとか到底信用できないなどと言うことはできないはずである。
これは、むしろ見方によっては、小沢氏が、その時々のマスコミ記者たちによる異なる角度からの質問について、丁寧に「説明責任」を果たしてきた結果であるとすら言えるものであって、これを、マスコミ記者たちは「何か隠そうとしているに違いない」という先入見を持って、受験秀才特有の形而上学的なアタマで受け止めるから、不合理だとか信用できないとして反映してくるに過ぎないのである。議決書もまた、このような虚像に影響されている。要するに、「小沢はカネに汚い」という創られたイメージをもとに、形而上学的なアタマでもって、愚にもつかないケチ付けをしているに過ぎないのである。
もう一つ、議決書が“やましいことがあったに違いない”と疑う根拠として指摘するのは、小沢氏が土地購入資金として4億円を自己の手持資金から出したと供述していることである。この件について、議決書は「そうであれば、本件土地購入資金として銀行から4億円を借入れる必要は全くなかったわけであるから、年間約 450万円もの金利負担を伴う4億円もの債務負担行為……(中略)……は、極めて不合理・不自然である」と決め付けている。
しかし、これもまたまったくの言いがかりであるという他ない。例え手持資金があったとしても、不確実な将来のために手もとにすぐに使える資金を残しておきたい、と考えるのは決して不合理なことではない。事業者であれば、例え手持資金があっても、運転資金の枯渇を避けるために、必要な資金は可能な限り借入で賄った方が合理的なのであり、この場合、金利負担は運転資金の枯渇を避けるための一種の保険料のようなものだと捉えることができるのである。サラリーマンであっても、不動産購入のために手持資金を使わずに銀行でローンをくむことなど日常茶飯事であろう。
それでは、なぜ議決書(およびそれに影響を与えたマスコミの報道)は、これだけ無茶な言いがかりをつけてきているのだろうか。
その背景には、そもそも土地購入のために陸山会が小沢氏から借り入れた4億円に、ゼネコンによるヤミ献金が使われたのではないか、との憶測がある。
その有力な根拠とされたのは、水谷建設元会長の水谷功氏の「胆沢ダムの工事を受注するための見返りに、都内のホテルで石川議員に5000万円を紙袋に入れて渡した」という証言である。検察は当初、4億円の内にこの5000万円が含まれていると見立てていた。しかし、結局、大々的な捜査を行ったにもかかわらず、何の証拠も掴むことができなかったのである。
そもそも、この水谷証言なるものは、佐藤栄佐久前福島県知事の「汚職事件」――これ自体、原発反対派の知事を陥れるために捏造された事件だとの疑いが濃厚である――の裁判において、信頼性に疑問符をつけられた代物である。しかも、この水谷氏の聴取には証拠改竄事件で逮捕された前田検事が関わっていたという曰く付きである。水谷証言なるものは、ゼネコンから小沢氏への裏献金を疑う根拠には到底なりえない。
マスコミがさも大疑獄事件であるかのように大騒ぎしている小沢氏の「政治とカネ」疑惑なるものは、所詮この程度の根拠薄弱な妄想の類に過ぎないのである。
2010年11月12日
「小沢失脚」謀略を問う(5/13)
(5)民主主義を危機に晒す検察審査会の暴走
前回は、小沢一郎氏に対する検察審査会の「起訴議決」が、陸山会による土地購入の資金4億円のなかにゼネコンからの裏献金が含まれていたのではないかという、マスコミが垂れ流した根拠薄弱な邪推に影響されたものであったことを明らかにした。
このことは、検察審査会のあり方そのものに対して、重大な問題を提起するものである。
そもそも検察審査会とは、容疑者の起訴・不起訴について独占的な決定権を持つ検察の判断が恣意的なものでないかどうかをチェックするための機関として、 1948年に設置されたものである。この検察審査会は、犯罪被害者の救済を強化すべきだとの声が高まるなかで、2009年5月に施行された検察審査会法の改正によって強制力――検察が容疑者を不起訴にしても検察審査会で2回続けて起訴すべきとの議決がなされれば、強制的に起訴される――を持たされることになったのである。
この検察審査会の制度の趣旨からすれば、今回の小沢氏の事件について、そもそも「真実を求める会」などという得体の知れぬ“市民団体”が申立人として認められたこと自体が妥当であったのかどうかが問題である。政治資金収支報告書における土地購入代金支出の記載が2ヶ月ずれていたからといって、国民が一体いかなる被害を受けたというのか。
審議の過程もまた諸々の問題を抱えている。
今回の陸山会の事件についての検察の捜査資料は2000ページにも及ぶものであったとされるのだが、このような膨大な、しかも難解な法律用語が多用されているであろう資料を、一般市民から抽選で選ばれたとされる審査員――平均年齢の異常な若さで恣意的な選任が疑われるばかりか、度重なる平均年齢の訂正でその実在すら疑われている――が、短期間で読み込んで的確な判断が下すことができたというのであろうか。審査補助員である弁護士が意図的に結論を誘導しようと思えばそれは非常に容易いことではないのか。
実際、読売新聞(10月6日付)が報道したところによれば、審査補助員であった吉田繁実弁護士は、審査員に「共謀」について説明する際、拳銃の不法所持について暴力団内部の共謀の成否が争点となった判例を示して、「暴力団や政治家という違いは考えずに、上下関係で判断して下さい」と説明したという。
「暴力団や政治家という違いは考えずに」というのは暴論である。「政治資金規正法」は、収支報告書の記載の正確性について会計責任者に第一義的な責任を負わせているのであって、「銃砲刀剣類所持等取締法」に基づいた暴力団内部の共謀についての判例をそのまま適用できるわけがない。にもかかわらず、吉田弁護士が、あえて暴力団と陸山会を同一視させようとするのは、マスコミよって刷り込まれた「小沢一郎=犯罪者」というイメージを利用して、「小沢は有罪の疑いが強い」という結論へ審査員を意図的に誘導しようとしたものと言わざるを得ないのである。
極めて深刻なのは、審査補助員によるこうした誘導の背後に、検察そのものの意向の存在が疑われることである。鈴木宗男衆議院議員は、東京地検特捜部の吉田正喜副部長が、2010年2月1日に、取調べ中であった石川衆議院議員(小沢氏の元秘書)に対して、「今回は小沢を起訴できなかったが検察審査会で必ずやられるんだ」と明言していたことを、石川議員から直接聞いた話として暴露している(2010年4月28日の「司法の在り方を考える議員連盟」の会合にて)。この吉田正喜氏の発言からは、検察は、法を犯しているとの確証を掴めなかったゆえに自ら起訴することができなかった被疑者であっても、検察審査会を使って起訴することができる、と考えていることが見てとれる。要するに、検察の恣意性をチェックすべき機関である検察審査会が、検察の恣意性を補完する機関に成り下がってしまっている疑いが濃厚なのである。
しかし、検察審査会事務局は、こうした疑惑の数々について、会議録はおろか会議の開催回数すら公表しようとしない。公表する法的な義務がないというのだ。検察審査会は、強制的な起訴という強い力を持つ機関であるにもかかわらず、適切に審査員が選任され、適切に審議が行われているのかどうか、国民がチェックする手段が何もないのである。すべては密室の深い闇の中である。
今回の起訴議決書は、最後の「まとめ」で、「国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利がある」と述べている。要するに、確かな証拠がないにしても、シロかクロか分からないのであれば法廷で判断してもらえばよい、ということである。何と粗暴な屁理屈であることか! 怪しい人はとりあえず裁判にかけてしまえ――こんなことがまかり通れば、マスコミが妄想であろうが捏造であろうが何らかの疑惑を喧伝しさえすれば、どんな人間でも、検察審査会を利用することで(マスコミに影響され感情的になった「素人」を補助弁護士に誘導させることで)、確実に起訴することができる。これが政治的な敵対者を抹殺する手段として権力者によって使われるとすれば、紛れもなく民主主義の危機である。
2010年11月13日
「小沢失脚」謀略を問う(6/13)
(6)小沢一郎氏は日本の国内政治の構造をどう把握するか
本稿は、検察審査会による「起訴議決」など、小沢一郎氏の政治生命を断とうとするかのような一連の動きが、日本という国家の歴史的な発展過程において一体如何なる意味を持つものなのであるかを探るとともに、主権者たるわれわれ国民が、こうした動きを一体どのように受け止めていくべきなのかを考察することを目的としたものである。
これまでは、検察審査会の「起訴議決」が、マスコミが垂れ流した根拠薄弱な邪推に影響されたものでしかないことを確認してきた。
ここで、これまでの流れを踏まえて、今回の「事件」の構図を整理しておこう。
確かなのは、陸山会の会計責任者であった秘書が、土地の代金支払い時点ではなく登記完了時点で収支報告書に記載した、という事実だけである。検察審査会は、これが「虚偽記載」という犯罪であり、小沢氏はその「共犯者」であった、として「起訴議決」を行ったわけである。
しかし、この記載のズレはそもそも「虚偽記載」ではない(登記完了時点での記載でも間違いではない)という指摘すらあるものであり、仮にあくまで代金支払い時点で記載すべきであった(その意味では「虚偽記載」となる)としても、これは単なる事務手続き上のミスの類でしかない。
そもそも検察は、土地の代金支払いと登記のズレ――本来、このようなズレ自体は必ずしも不自然なことではないにもかかわらず――について、土地購入資金に含まれていたゼネコンからの裏金を隠すための工作であったものと解釈して捜査を行った。しかし、自ら起訴しうるだけの証拠を掴めなかったために、検察審査会を利用して(マスコミに影響され感情的になった「素人」を補助弁護士に誘導させて)、「国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利がある」として起訴に持ち込んだのである。小沢氏の「事件」とはこのようにして意図的に創られたものでしかない。
そうであるならば、事実としては(どんなに重く見ても)単なる「記載ミス」でしかない小沢氏の「事件」よりも、例えば、菅直人首相の後援会費の不正処理問題――税法上、控除の対象とならない後援会費を「寄付」と偽る(虚偽記載!)ことで多額の税金を不正に還付させていた疑惑――や仙石由人官房長官の事務所費問題―― 長男の司法書士事務所に対して、自らの政治団体が事務所として利用している実態がないにもかかわらず、「事務委託費」や「人件費」名目で支出していた疑惑 ――の方が、「政治とカネ」をめぐるより悪質な問題であると言えよう。しかし、検察はもとよりマスコミですら、「脱小沢」を掲げる菅首相や仙石官房長官の疑惑に対してはそれほど踏み込まずに、小沢氏のみを目の敵としてきたのである。
それではなぜ、小沢氏だけがそこまで目の敵にされなければならなかったのであろうか。
小沢氏をめぐる動きは、現代日本の支配構造から解かなければならない、という本稿の問題意識からすれば、この疑問は、小沢氏が、現代の日本社会(国家)の構造をどのように改革しようとしてきたのか、という観点から解いていく必要がある。
この観点から、小沢氏の著作『小沢主義 志を持て、日本人』(集英社、2006年)を見てみることにしよう。
小沢氏は、政治とは「どうやってみんなが豊かに幸せに、そして安全に暮らせるか」を考えることだと端的に定義し、外交や環境問題などはこの原点から派生する枝葉だという位置づけを明確にする。このことをふまえて、2006年当時の「小泉政治とは市場原理・自由競争の名のもとに、セーフティネットの仕組みについて何の対策も講ずることなく、ごく一部の勝ち組を優遇し、大多数の負け組みに負担を押し付ける政治に他ならない」として、本来の「政治」の名には値しないものだ、と断じている。
重要なのは、では小泉政権以前はどうであったかと問うて、「戦後の日本には政治がなかった」と答えていることである。小沢氏は次のように説く。
「戦後の日本は憲法第九条によって戦争を放棄し、自国の防衛をすべてアメリカに依存してきた。いわゆる日米安保体制である。
この『アメリカの傘』があったおかげで、日本は外交も防衛のことも考えずに経済復興に全精力を集中でき、奇跡ともいわれる経済復興を成し遂げることができ、みなが豊かになった。…中略…
では、この時代の日本において、政治はいったい何をしていたか。
それは、高度成長で生れた富をどうやって公平に分配するかということに尽きた。
たとえば、工業生産や輸出で儲けたカネを税金として徴収し、それを農業の補助金に充てる。あるいは高速道路などの建設に回す。さらには地方自治体に対して、地方交付税という形で援助をする。
こうした『富の再配分』を考えるのが戦後政治の、唯一の任務だったと言ってもけっして過言ではない。…中略…
戦後政治がこうした『富の再配分』に終始した結果、日本は政治不在、リーダー不在の国家になってしまった。
なぜならば、富の再配分において大事なのは、人々が納得し、満足できる答えを見つけるための『目配り』『気配り』であって、集団のトップに立って人々を引っ張っていくリーダーシップではないからだ」
小沢氏は「『富の再配分』の権限は官僚が握っており、同時にこのような実務は本来、政治家よりも官僚が得意とする仕事だ」として「日本の内政は官僚に乗っ取られたも同然になった」とする。
これは、戦後の日本国家の構造についての的確な把握に基づいた、実に鋭い指摘であると言えよう。
興味深いのは、小沢氏が、「改革を妨げているのは、戦後政治の枠組みを何としても変えたくないという守旧派の抵抗だけではない。それ以上に大きな問題は、日本の社会が伝統的にリーダーを認めないコンセンサス社会だという点だ」としている点である。
小沢氏は、その根拠を日本列島の自然的な条件から解いてみせる。すなわち、縄文時代から弥生時代にかけて多数の人々が移住してきたほどに、日本列島は海に囲まれているために外敵の侵入がなく気候温暖で食糧生産にもめぐまれていた、という条件である。乾燥した大陸では、つねに戦乱の危険と隣り合わせであることにくわえて、限られた食糧生産のゆえに生産や分配についてもリーダーシップを必要としたのに対して、日本のような豊かで安定した社会では、リーダーはむしろ不要であったのだ、と説く。
しかし、高度成長が終焉し、米ソ冷戦が崩壊した後の変化の激しい時代にあっては、リーダーの不在はかえって害を及ぼすことになる。小沢氏は、官僚ではなく、選挙によって国民から選ばれた政治家がきちんと責任をとる政治体制を確立すること、すなわち、日本を本当の民主主義国にすることを訴えるのである。
要するに、小沢氏は、「官僚信仰」とでもいうべき思想を定着させてしまっている国民全体の意識改革をも含めて、それこそ大袈裟に言えば「聖徳太子」以来の日本社会の根本的なあり方――「和を以って貴しとなす」というコンセンサス社会――そのものの変革を提起しているのである。
2010年11月14日
「小沢失脚」謀略を問う(7/13)
(7)小沢一郎氏は日本の外交をどう把握するか
前回は、小沢一郎氏が、戦後「アメリカの傘」依存のもとで「富の再配分」に集中することで創られてきた官僚主導体制を打破し、選挙で選ばれた政治家がきちんと責任を取る体制を確立するとともに、国民の「お上意識」からの脱却というレベルをも含めて、誰もが責任を取ろうとしない「コンセンサス社会」という日本社会のあり方そのものの変革を志していることをみた。
それでは、小沢氏は、日本の外交についてはどのように考えているのであろうか。引き続き、『小沢主義』(集英社、2006年)を見ていくことにしよう。
小沢氏は、端的に日本は「外交不在の国」だと断ずる。小沢氏は、戦後日本について、「『アメリカの傘』に守られていた日本は、外交や防衛といった国家にとって重要な問題をみずから考え、決断する必要に迫られずにすんだ。すべてはアメリカが代わりに決めてくれていたも同然で、日本はそのレールの上を歩いていればよかった」とした上で、さらに根深い歴史的な根拠について、次のように説く。
「そもそも日本は歴史的に見ても、島国という地理的条件もあって、外交らしい外交をほとんどやってこなかった国である。江戸時代には三世紀にわたる鎖国を行ったのだから、ますます外交経験に乏しい国になった。
近代に入って、日本は西欧諸国とも外交関係を持つようになったわけだが、明治維新の元勲たちがいた間はよかったが、彼らがいなくなってしまうと途端に『外交音痴』に戻ってしまった。そして、昭和の日本は国際問題を処理することができなくなり、あのような戦争に突入することになってしまったというわけだ。
こうした歴史的な事情に加えて、戦後半世紀にわたって『思考停止』を続けてきたのだから、今の日本が『外交不在』の国になったのは当然すぎるほど当然の結果とも言える」
しかし、冷戦構造の終結によって日本の置かれた状況がかつてとはまったく違ったものになった以上、「日本は否応なしに『自分の脚』で立ち、『自分の頭』で考えて決断することが求められている」のである。
しかし、「残念ながら今の日本はそんな状態にあるとはとても言えない」。小沢氏は、「日本の外交にとって最も重要なのは日米関係」としつつも、小泉政権の外交について「日本政府は何の原則も定見もなく、ただひたすらアメリカに追従していけばいいという、これまた思考停止としか言いようがない外交を続けている」と批判し、「アメリカのご機嫌をとっていれば大丈夫」などといった安易な道をやめ、世界に何が貢献できるのかを主体的に考えうる「自立した国家」になるべきであると主張するのである。
では、小沢氏は、何を日本外交の指針とすべきだと考えているのだろうか。
小沢氏は、「現在の国連がさまざまな問題点を抱えているのは僕も承知している」と留保をつけながらも、「国連の存在が世界平和の鍵となる」と主張するのである。
実は、このような国連重視は、小沢氏の一貫した姿勢であったと言える。周知のように、1990年の湾岸戦争に際して、当時自民党幹事長であった小沢氏は、多国籍軍への自衛隊参加を主張した。それは、この戦争が一応は国連の武力行使決議に基づいたものであったからに他ならなかった。当時のブッシュ(父)政権は、一応は国連と調和を図りつつ(国連を利用しつつ)戦争を遂行していくという姿勢を示していたのである。この点で、小沢氏においてアメリカ重視と国連重視とは調和していた。
ところが、ブッシュ(子)政権は、2001年の「9・11」テロを利用して、国連を無視してでもイラク戦争を遂行するという戦略をとった。このような動きに対して、小沢氏は躊躇うことなく国連重視をアメリカ重視の上に置くことになったのである。
小沢氏は、国連重視の観点から、小泉政権の対米追従のみならず、アメリカの姿勢そのものを厳しく批判するに至った。
「今のアメリカの過ちは、世界の平和を自国の力だけで維持できると過信しているところにある。
たとえば現在のイラクの混乱にしても、やはりアメリカが『これはアメリカの戦争である』として、国連による決議といった手続きを経ずに戦争を開始してしまったことがそもそもの誤りだった」
以上を要するに、小沢氏は自らの外交理念をアメリカ重視から国連重視へと180度転換させたわけではなく、もともと国連重視の土台の上にアメリカ重視の上部構造が立つという二重構造で考えていたにもかかわらず、アメリカの外交政策が国連重視の大枠から外れていったために、国連重視の観点からアメリカを厳しく批判せざるを得なくなったのだ、と捉えるべきであろう。
「『自分の脚』で立ち、『自分の頭』で考えて決断する」日本外交を主張する小沢氏は、必要とあらば「アメリカのご機嫌」を損ねるようなことにも、あえて言及してきた。
小沢氏は、アメリカが単純に悪と決め付けて軍事力・警察力を行使してきたテロについても、そのような行為が何故に生じざるを得なかったのかという過程的な構造に踏み込んで、「現在のイスラム・テロにしてもそうだが、あらゆる戦争や紛争の根っこにあるのは貧困問題だ。/アラブ世界が欧米に対して不信感を抱くのも、その根底には欧米とアラブ社会の経済格差、また、アラブ社会内部での貧富の問題があるからに他ならない。結局のところ、富の偏在が戦争や紛争をもたらすのである」と喝破するのである。
このことに関わって興味深いのは、小沢氏が、2002年4月10日に、自由党党首として臨んだ小泉首相との党首討論におけるやり取りである。この党首討論において、小沢氏は、暴力・殺し合いがいけないのは当たり前と断った上で、パレスチナ民衆の自爆を含むイスラエルへの攻撃について、イスラエルやアメリカの言うとおりテロと思うか、それとも民族の自治を要求する民族の抵抗運動であると考えるか、と問うたのである。
小泉首相との議論は噛み合わず、小泉首相のみならず小沢氏自身の明確な見解も示されずに終わったが、小沢氏が、パレスチナ民衆の行為を単純にテロだと決め付ける見方への疑問を提起しようとしていたことは間違いないであろう。このような小沢氏の言動は、アメリカの外交政策に強い影響力を持つユダヤロビーには到底許容できないものであったに違いない。
2010年11月15日
「小沢失脚」謀略を問う(8/13)
(8)小沢一郎氏の志す改革は既得権益層の利害と衝突する
前々回と前回にわたって、小沢一郎氏が日本の政治の現状をどう把握し、どのような改革を提起しているのか、国内的な政治構造と外交とに分けて確認した。端的には、「自立した国民による自立した国家」とまとめることができるであろう。
これは、「聖徳太子」以来の「コンセンサス社会」という条件の上に、外政的には「アメリカの傘」への依存、内政的には「富の再配分」への集中によって形成されてきたところの、戦後日本社会(国家)の特殊な構造を根本的に変革(解体・再編)することを志すものに他ならない。
戦後日本社会の構造をもう少しだけ具体的に解くならば、以下のようになろう。
大枠としては、「アメリカの傘」によって、外交・防衛など、国家の存立に直接関わる問題に向きあう必要がなかった、という条件がある。この大枠の中で、財界を構成する大企業が富の生産を担い、この富を税として徴収した上で農民や自営業者へと再配分していく過程を政治家と官僚が担ったのである。こうして、いわゆる「政官財」という“鉄の三角形”の癒着構造が形成されていくことになった。この“鉄の三角形”は、マスコミ、御用学者たちの存在によって補完され(御用学者たちが「政官財」の支配を支える「理論」をつくりだし、これをマスコミが利用しながら国民世論をつくっていく)、ここに“鉄の五角形”が形成されたのである。
こうした“鉄の五角形”をさらに上部から統括したのが“宗主国”であるアメリカ(より具体的には、デイヴィッド・ロックフェラーなど米国を実質的に支配する国際金融資本家たち)であった。アメリカ(より具体的には直接に対日支配を担う「ジャパン・ハンドラーズ」とも呼ばれる人々)は、政治家・官僚・財界人・マスコミ人・御用学者とそれぞれのレベルで結びつき、米国の対日支配を貫徹しようとしてきたのである。
小沢氏が提起する「自立した国民による自立した国家」への改革は、このような「“鉄の五角形”+アメリカ」による利権の絡み合った癒着構造を根本的に破壊してしまおうとするものに他ならない。ここに、小沢氏がこれら既得権益層に徹底的に嫌われる最大の根拠がある。
今回の検察審査会の「起訴議決」に至るまでの“小沢潰し”とでも言うべき一連の動きについて、これら諸勢力の思惑が働いているのではないか、との指摘がなされている。いくつか具体的に見ておくことにしよう。
一連の“小沢潰し”の動きの発端となったのは、2009年3月3日、公設第一秘書であった大久保隆規氏が、準大手ゼネコンの西松建設からの政治献金に関して検察に任意の事情聴取を受け、その場で突然「政治資金規正法違反容疑」で逮捕されたことである。実は、この直前の2月24日に、小沢氏は「アメリカの極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ。アメリカに唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持たなければならない」との趣旨の発言をしていた。この発言の直後に大久保秘書が逮捕されたことについて、羽田孜内閣で運輸大臣を務めた二見伸明氏は「ああ、これはCIA(=米国政府)の仕事だな、と思った」と述べている(世川行介『泣かない小沢一郎(あいつ)が憎らしい』同時代社、2010年8月)。
当時は、自民党・麻生政権の支持率が著しく低迷しており、近く行われる総選挙による政権交代がほぼ確実視され、小沢政権の誕生の可能性が高いと見られていた時期であった。要するに、小沢政権の成立を阻むために、アメリカの意志によって、“小沢潰し”の一連の動きが具体的に発動されたのだ、と見ることができるのである。
この“小沢潰し”の過程を実際に担ったのは、何と言っても検察、より正確に言えば、アメリカの強い影響下にあるとされる東京地検特捜部――その前身は GHQによってつくられた「隠匿退蔵物資事件捜査部」であり、上層部に在アメリカ日本大使館の一等書記官経験者が多い――であった。
しかし、検察は、単にアメリカ政府の意を受けただけでなく、独自の利害関係から、“小沢潰し”にのめり込んでいったと思われる節がある。このあたりの事情について、ジャーナリストの伊藤博敏氏は、そもそも小沢氏が検察に狙われたのは検察の人事を政治の側が押さえる仕組みをつくることで「政治主導」を「法務・検察」にも導入しようとしていたからではないか、より具体的には、検事総長の内閣同意制、検事正の公選制、録画録音を含む捜査の可視化といった検察改革の構想を持っていたからではないか、という見方を示している(「現代ビジネス」 伊藤博敏「ニュースの深層」9月23日)。
“小沢潰し” 達成のための世論形成という点では、検察のリーク情報に依存して動いてきたマスコミが果たしてきた役割も見過ごせない。マスコミもまた、単にアメリカ政府や検察の意志に従っていただけではなくて、“小沢潰し”には独自の利害関係を持っていたと見られるのである。
第一に、小沢氏が、官僚や財界の意志を垂れ流すための窓口となってきた記者クラブの既得権益を認めず、フリージャーナリストにまで記者会見を開放してきたばかりか、記者クラブメディアの記者の不勉強振りについて一貫して厳しい姿勢を取り続けてきたことである。
第二に、小沢氏が、クロスオーナーシップ(同一の資本による新聞とテレビの系列化)の禁止を主張してきたことである。同一の資本による新聞・テレビの系列化は、官僚や財界の意志による言論の統制を容易にする仕組みに他ならず、言論の多様性を確保するためには、クロスオーナーシップ禁止が欠かせない。しかし、クロスオーナーシップの禁止は、経営状態が悪化した新聞社が系列テレビ局の収入によって辛うじて支えられている状態を直撃するのである。
小沢氏のこうした改革の構想は、マスコミにとっては絶対に叩き潰しておきたいものであったと考えられるのである。
このように、小沢氏の提起する改革は、戦後日本においてアメリカへの従属の下で形成されてきた既得権益層の利害と徹底的に衝突するものだったのである。ここに「小沢失脚」謀略とでも言うべき動きが生じてきた根拠があると見るべきであろう。
2010年11月16日
「小沢失脚」謀略を問う(9/13)
(9)小沢一郎氏は自身への攻撃をどのように受け止めてきたか
本稿は、検察審査会による「起訴議決」など、小沢一郎氏の政治生命を断とうとするかのような一連の動きが、日本社会(国家)の歴史的な発展過程において一体如何なる意味を持つものなのであるかを探るとともに、主権者たるわれわれ国民が、こうした動きを一体どのように受け止めていくべきなのかを考察することを目的としたものであった。
これまで、小沢氏が、戦後日本社会(国家)の特殊な構造――「聖徳太子」以来の「コンセンサス社会」という条件の上に、「アメリカの傘」への依存を前提とした「富の再配分」への集中によって形成されてきた利益分配型の戦後政治の構造――の根本的な変革(解体・再編)を志していたこと、より具体的には、政官財の“鉄の三角形”にマスコミと御用学者を加えた“鉄の五角形”をアメリカが上から統括するという構造を打破して“自立した国民による自立した国家”の確立を志していたことを確認するとともに、これら既得権益層の中からこそ“小沢潰し”の動きが出てきたと考えられることを、アメリカ、検察、マスコミの三者が持つ利害関係の面から指摘した。
それでは、こうした“小沢潰し”という背景を持った一連の動きを、主権者である国民はどのように受け止めているのであろうか。マスコミの「世論調査」なるものに現れているように、ほぼ「小沢=悪」一色で塗り込められている、といった状態なのであろうか。
小沢氏をめぐる国民世論は、既得権益層の利害を直接的・媒介的に反映したマスコミによる小沢攻撃、およびこうした攻撃への対応をも含めた小沢氏自身の言動によって、過程的に創られていくものである。既得権益層からの小沢攻撃については、これまでのところで検討してきたので、ここでは、小沢氏をめぐる国民世論の問題について検討していくための前提として、小沢一郎氏自身がこうした攻撃をどのように受け止め、どのように対処しようとしているのか、検討することにしよう。
戦後日本社会(国家)の構造的な問題点を深く把握している小沢氏であれば、自身の志す改革が既得権益層の激烈な抵抗を呼び起こさざるを得ないことを承知しているのは当然である。例えば、2003年6月2日に行われた、民主党と合併する前の自由党大会において、自由党党首であった小沢一郎氏は次のように挨拶している(奥村宏『経済学は死んだのか』平凡社新書、201ページによる)。
「政治家、官僚、業者の癒着は『鉄のトライアングル』といわれるが、それにマスコミと御用学者を加えた『鉄のペンタゴン(五角形)』となっています。これを壊すことは気の遠くなるような難事業であり、よほど心してかからないと、こちらが押しつぶされてしまいます」
これはまさに、現在の“小沢潰し”のような事態が生じうることを予見していたかと思わせる言葉である。
しかし、だからと言って、小沢氏は決して改革を諦めようとはしない。「改革がもたらす『現実』におびえて、改革そのものを中途半端なものにしてしまのなら、最初から改革などやらないほうがいい」(『小沢主義』集英社)と言うのである。
この覚悟は生半可なものではない。今年9月に行われた民主党の代表選挙の際、高知県香南市での街頭演説(9月6日)においては、次のように述べている。
「内閣総理大臣、日本の内閣総理大臣は、どこの国の大統領、首相よりも強大な権力をもっております。最高裁判事から何から内閣が任命できる。何もかも内閣でもって、すべてやろうと思えばできる権限を持っている。要は自分が責任を取る、間違ってたらオレが責任が取る、そういう政治家の腹構え、それがない! だから結局役人の言うがままになってしまう。私はみなさんと約束したことを、必ず政治生命を賭けてというより、本気になってやろうと思えば物理的生命をも賭けなければならないかもしれません。私はその覚悟で必ずみなさんと約束したことを実行してみせます」
「物理的生命をも賭けなければならない」というのは悲壮な決意である。これは単に自身の健康問題のことではなく、暗殺の危険性をも含めての言及であろう。このことについては、9月14日の民主党代表選挙の国会議員投票直前の演説においても、次のように述べている。
「明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたいと思います。そのために私は政治生命はおろか、自らの一命を賭けて全力で頑張る決意であります」
ここで「志半ばで亡くなった同志」と言及されている中には――同日の菅直人氏の演説のように明確に名前を挙げてはいないものの――特別会計の闇を暴こうとして暗殺された石井紘其代議士も含まれているであろう。「このことに思いをはせるとき……」としているのだから、これは、自身もまた暗殺の危険に晒されざるをえないということへの覚悟をも含んでの、「一命を賭けて」の宣言だったのだ、と受け止めるべきであろう。
2010年11月17日
「小沢失脚」謀略を問う(10/13)
(10)小沢一郎氏をめぐる動きが日本の支配構造を炙り出している
前回は、小沢一郎氏が、自身の志す改革が既得権益層の激烈な抵抗にあうことは承知の上で、それでもなお決死の覚悟を持って改革に臨もうとしてきたのだ、ということを彼の発言から確認してきた。
それでは、このような小沢氏の決死の覚悟を持っての闘いは、主権者である国民にどのように受け止められているのであろうか。
残念ながら、国民の多くは、マスコミの意図的な報道に影響されて、「小沢はカネに汚い政治家である」「小沢は強権的・独裁的である」といった芳しくないイメージを抱くばかりか、菅直人政権が「脱小沢」を掲げることによって高支持率を得てきた(裏を返せば「脱小沢」を掲げることでしか支持を獲得できなかった)ことに端的に現れているように、小沢氏を政界から排除しようという動きに快哉を叫ぶような有様である。
しかし、少数ではあるものの、確固として小沢氏を支持する人々はずっと存在し続けていた――小沢氏が党首を務めていた自由党の比例票から、小沢氏個人が全国的に500万票の固定票を持っているともされている――し、今年9月の民主党の代表選挙を通じて小沢氏が自身の改革への信念を広く国民に対して訴えたことは、小沢氏の支持層をかつてなく拡大・深化させていくこととなった。このあたりの事情を、岩手県知事の達増拓也氏が端的に「オザワ現象」としてまとめている(以下の引用は「THE JOURNAL」内「よろんず」9月29日の記事より)。
「今回の民主党代表選で、多くの国民が、小沢一郎氏の演説や討論の姿を直接あるいはテレビやインターネット(以下『ネット』)で見聞きし、少なからず驚き、考えさせられた。その結果、小沢支持がかつてないほど拡大・深化すると共に、マスコミ情報を鵜呑みにしないで、自分で見聞きし自分で考え自分で判断する態度が、国民に広がった。これを私は『オザワ現象』と呼んでいる。……中略……
小沢・菅両氏の共同記者会見生中継で、全国に衝撃が走った。二人の力量の差が、一目瞭然だったのである。ツイッターにも、『小沢一郎氏の圧勝だった。正直、ここまで政治家としての資質に差があるとは思わなかった。』『菅さんはネチネチと個人攻撃するけど小沢さんはやらない。まさか品性の差が記者会見でここまではっきりするとは思わなかった。』といったツイートがあふれた。
その後、討論会や街頭演説などを重ねるにつれ、小沢・菅両氏の差に、驚き、考えさせられる国民が増えていった。ツイッターで小沢氏を検索すると肯定的意見がたくさん寄せられているのに対し、菅氏を検索するとコメントがほとんどないのも驚きだった。小沢対菅の戦いではなく、ネット対マスコミ、市民対マスコミの戦いだ、という指摘もあった」
重要なのは、小沢支持層の拡大・深化とは、直接に「マスコミ情報を鵜呑みにしないで、自分で見聞きし自分で考え自分で判断する態度」の広がりのことであった、ということである。日本政治が抱える問題の構造を深く掴んで揺るぎない改革の信念を率直に力強く語る小沢氏の姿にまともに接することで、少なくない国民が、マスコミによって流されてきた情報が偏向しているらしいことに気づかされるとともに、その背後に何かしらの思惑があるらしいことについても考えさせられるようになっていったわけである。
より具体的には、少なくない国民が、何かしらカネの問題を抱えている政治家は決して少なくないであろうになぜ小沢氏だけが「政治とカネ」疑惑なる漠然とした言葉で殊更に叩かれなければならないのか、といった疑問から、インターネット等を通じてマスコミが決して報じることのない情報を集めることで、“小沢潰し”とでも言うべき動きが確かに存在しているらしいこと、これは小沢氏が志す改革を叩き潰してしまうことに利益を見出す既得権益層による抵抗の現れに他ならないことを掴んでいったのである。
要するに、既得権益層からの激烈な抵抗をも受け止める覚悟で「コンセンサス社会」の土台の上に立った利益分配政治の改革を掲げ続けた小沢氏の闘いが、日本の支配構造――本稿での表現で言えば、政官財の“鉄の三角形”に御用学者とマスコミを加えた“鉄の五角形”をアメリカが上から統括しているという構造――について、浮き彫りにしてくれることになったわけである。小沢支持層の深化とは、このような日本の支配構造についての理解の深化をも伴って進んでいるものと見るべきであろう。
検察審査会による「起訴議決」は、このような理解の深化を大きく促進するものであった。既得権益層の抵抗は、直接的には、検察とマスコミの横暴として現象しているが、この検察とマスコミの横暴に対して、デモ行進――これまで東京において10月24日と11月5日の2回行われ、それぞれ1000人ほどを集めたという――という形で抗議の声が挙げられるまでに至ったのである。
このように、小沢支持層は日本の支配構造を掴みつつあるだけに、少数ながらも強固である。民主党代表選挙の際のマスコミの「世論調査」なるもの――これは固定電話によるものであるから、昼間自宅にいて電話を取ることのできる層が中心となる――では、概ね菅支持が70〜80%に対して小沢支持が20%弱であったが、この数字を仮に受け入れるとしても、菅支持がマスコミの “小沢叩き”の姿勢に影響された「小沢だけはイヤだ」という消極的な支持であるのに対して、小沢支持は、マスコミの論調などものともせず(と言うよりもむしろマスコミの論調そのものに批判の矛先を向けての)「日本の改革は小沢でなければできない」という強固な支持であると考えることができるのである。
2010年11月18日
「小沢失脚」謀略を問う(11/13)
(11)左右の立場を超えて小沢支持層が形成されている
前回は、激烈な“小沢潰し”の動きの存在が、日本の支配構造――政官財の“鉄の三角形”に御用学者とマスコミを加えた“鉄の五角形”をアメリカが上から統括しているという構造――を浮き彫りにしていること、こうした構造を掴みつつある少数ながらも強固な小沢支持層が形成されてきていることを見た。
重要なのは、こうした小沢支持層が、戦後政治の構造を規定してきた保守対革新という枠組みを超えたところに形成されていることであり、とりわけ特徴的なのは、いわゆる左派的な立場から小沢氏支持に転じる人々が、どうやら少なくないらしいことである。
もともと小沢氏が、1993年に『日本改造計画』を著すとともに、自民党を飛び出して非自民連立の細川政権を樹立した頃には、「政治改革」(=保守二大政党制につながる小選挙区制の導入)をテコに、日本の軍事大国化(自衛隊の海外派遣)と新自由主義的改革(規制緩和と民営化の推進)を強力に推進する実力を持った政治家として、マスコミからは歓迎される一方で、左派的な人々からは強い警戒感を持たれていたものである。
この頃には、1955年体制、すなわち、利益配分をめぐる自民党と社会党との馴れ合い構造を壊すという点で、小沢氏の志す改革と支配層――“鉄の五角形”の中核たる財界とアメリカ――との利害が一致していた、少なくとも決定的な齟齬はなかった、と見るべきであろう。
しかし、財界が望んだのは、利益配分構造の打破ならぬ財界に有利な形での再編、すなわち、高度成長の終焉に対応して、労働者や農民や自営業者に配分する富を減らし大企業の一層の利潤追求のために資源を集中させていく体制を確立することでしかなかった。また、アメリカが望んだのは、場合によっては国連を無視した単独行動も厭わずに自国の利益を追求していくことであり、こうした行動に日本を軍事的に協力させていくことであった。自衛隊の海外派遣やその条件整備のための憲法9条改定の動きなども、あくまでこうしたアメリカの世界戦略の枠内で要請され認められるものに過ぎなかったのである。
「コンセンサス社会」の土台の上に築かれた利益配分構造を打破して“自立した国民による自立した国家”を建設し、国連重視の外交姿勢によって世界平和に貢献していこうとする小沢氏の理念は、こうした支配層の思惑とはもともと相容れないものであった。この食い違いは、5年に渡る長期政権となった小泉政権に対して、小沢氏が一貫して野党の立場から厳しい対決姿勢を取り続けたことを媒介として、決定的なものへと深化し、また表面化していくことになった。
すなわち、外交については、小沢氏は、一貫した国連重視の立場から、小泉政権の対米追従のみならず、国連を無視しての単独行動でイラク戦争を起こしたアメリカの姿勢そのものを厳しく批判するに至った。また、内政については、「小泉政治とは市場原理・自由競争の名のもとに、セーフティネットの仕組みについて何の対策も講ずることなく、ごく一部の勝ち組を優遇し、大多数の負け組に負担を押し付ける政治に他ならない」(『小沢主義』集英社)と厳しく批判するに至ったのである。
こうした小沢氏の「変化」こそが、左派的な層からの小沢支持者を生む直接の要因になったものと思われるのである。
しかし、こうした小沢氏の「変化」を“左転向”“左傾化”だとするのは皮相な見方であろう。というのも、「コンセンサス社会」の土台の上に築かれた利益配分構造を打破して“自立した国民による自立した国家”を建設し、「国連重視」を掲げた外交によって世界平和に貢献していこうとする小沢氏の理念そのものは、一貫して揺らいでいないからである。小沢氏は「変わらずに生き残るには、みずから変わらなければならない」という言葉を好んで口にするが、まさにこの言葉のとおり、自身の改革構想の根本理念を変えないために、具体的な枝葉の部分を、国際政治、国内政治の激動に対応させる形で、変えてきたわけである。
外交政策の面での「変化」については、以前にも取り上げたので、ここでは、経済政策・社会政策の面での「変化」の性格について検討しておこう。
小沢氏は保守政治家として初めて「セーフティネット」を政策の柱に据えたとされているが、このことの意味について、「小沢研究20年」とされる政治記者の渡辺乾介氏は、次のように指摘する(『週刊ポスト』2010年9月17日号)。
「小沢氏は選挙応援の際、大票田の都市部ではなく、過疎地域を重視することで知られている。
中央政府の官僚統制が行き過ぎた結果、既得権による富の偏在が起きて地方の疲弊や国民格差の広がりを生み、社会を疲弊させたと考えているからです。
社会や経済の活力を取り戻す為には、先ずセーフティネットを充実させて既得権を持たない国民を支援し、同時に官僚統制による既得権をなくすことが必要だというわけです。
いわば国民を平等な条件で競争させる為のセーフティネットということです」
つまり、小沢氏の政策的な体系においては、セーフティネットは国民の自立を促す手段に他ならないわけである。この点で、官僚統制や国民の「お上意識」の温存と結びつきやすい従来の左翼的なセーフティーネット論とは一線を画している。小沢氏が新自由主義的政策からバラマキ政策へと180度転換したかのように捉えるのは、皮相な見方なのである。
以上を要するに、「もう、右翼だの左翼だのといったカビの生えたイデオロギー分類につきあう必要もない」(近藤成美「マルクス国家論の原点を問う」『学城』第1号)現代において、従来の右翼(保守)・左翼(革新)の対決の枠を超えた、真の国民的な政治家として、小沢氏が登場してきているのだ、と言えるであろう。このことが、従来の左右の立場の違いを超えて、強固な小沢支持層が形成されてきている最大の根拠である。
2010年11月19日
「小沢失脚」謀略を問う(12/13)
(12)小沢一郎氏を政治的に抹殺しようとする意志が厳然と存在している
本稿は、検察審査会による「起訴議決」など、小沢一郎氏の政治生命を断とうとするかのような一連の動きが、日本という国家の歴史的な発展過程において一体如何なる意味を持つものなのであるかを探るとともに、主権者たるわれわれ国民が、こうした動きを一体どのように受け止めていくべきなのかを考察することを目的としたものであった。
ここで、これまでの論の流れを振り返っておこう。
本稿では、まず、マスコミによって喧伝された「政治とカネ」疑惑なるものの実態を探った。その結果、国民の多くは、疑惑の具体的な中身については必ずしも明確なイメージを持たない(持てない)ままに、極めて漠然とした「小沢一郎=犯罪者」というイメージを刷り込まれてしまっていること、「起訴議決」の対象となったのは陸山会の政治資金収支報告書における土地取得と代金支払いの時期のズレでしかないこと、このようなズレ自体は土地取引においては必ずしも不自然なものではなく、ここに何らかの犯罪性を見出そうとするのは「小沢はカネに汚い」という虚像に影響された憶断に過ぎないことを明らかにした。また、検察の恣意性をチェックすべき機関である検察審査会が、検察の恣意性を補完する機関に成り下がってしまっている疑いが濃厚であり、今回の「起訴議決」が、「罪を犯したかどうか怪しい人物は確かな証拠がなくてもとりあえず裁判にかけてしまえ」という極めて乱暴な屁理屈に基づいたものであることをも明らかにした。
次いで、小沢氏がここまで不当な攻撃を受ける理由を、小沢氏が如何なる政治的理念を持っていかなる改革を志してきたのかという観点から探った。その結果、小沢氏は、戦後日本社会(国家)の特殊な構造――「聖徳太子」以来の「コンセンサス社会」という条件の上に、「アメリカの傘」への依存を前提とした「富の再配分」への集中によって形成されてきた利益分配型政治――の根本的な変革(解体・再編)を志していたこと、より具体的には、政官財の“鉄の三角形”にマスコミと御用学者を加えた“鉄の五角形”をアメリカが上から統括するという構造を打破しようとしていたことを確認するとともに、これら既得権益層の中からこそ“小沢潰し”の動きが出てきたと考えられることを、アメリカ、検察、マスコミの三者が持つ利害関係の面から指摘した。
さらに、こうした“小沢潰し”の動きを、主権者である国民がどのように受け止めているのかを検討した。多くの国民がマスコミの影響の下で小沢氏排除の動きに快哉を叫ぶ一方で、先の民主党代表選挙以来、「マスコミ情報を鵜呑みにしないで、自分で見聞きし自分で考え自分で判断する態度」の広がりを伴って小沢支持層の拡大・深化が進行しつつあること、より具体的には、激烈な“小沢潰し”の動きの存在によって日本の支配構造(“鉄の五角形”+アメリカ)が浮き彫りにされつつある中で、こうした支配構造を掴んだ強固な小沢支持層が少数ながらも形成されてきていることを見た。また、左派的な立場から小沢支持に転じる人々が少なくないことに着目し、小沢氏の政策の「変化」の過程について辿ることで、従来の右翼(保守)・左翼(革新)の対決の枠を超えた真の国民的な政治家として小沢氏が登場してきていることを見た。
それでは、以上を踏まえるならば、“小沢潰し”とでも言うべき動きの今後の展開について、どのような展望を持つことができるであろうか。
先にも振り返ったように、「起訴議決」の対象となった土地取得と代金支払い時期のズレに何らかの犯罪性を見出すのは困難であるし、その背景に想定されていたゼネコンによる裏献金なるものについても何の証拠もない。実際に裁判になれば小沢氏は99%は無罪だ、と言われる所以である。だとすれば、小沢氏は裁判闘争でほぼ確実に無罪を勝ち取り、晴れて政治的な復権を果すことが可能になる、と考えることができそうである。「脱小沢」を掲げた菅・仙石政権の数々の失態が、相対的に小沢氏の政治的な存在感を高めるように作用しつつあるという事情も、このような楽観的な見通しの根拠となりそうである。
しかし、このような見方はやはり甘いと言わなければならないであろう。検察の横暴な捜査、マスコミの異常なまでの偏向報道、検察審査会にまつわる諸々の疑惑等々から、既得権益層の“小沢潰し”への尋常ではない執念を読み取るべきである。「鉄の五角形+アメリカ」の既得権益層は、あらゆる手段を使って、小沢氏を政治的に抹殺しようとしてくると見ておかなければならない。
現在、東京地方裁判所によって検察官役の指定弁護人が選任され、小沢氏の起訴に向けた手続きが進められているが、指定弁護人は検事同様に、家宅捜索や逮捕もできる強大な権限を持っていることに注意すべきである。家宅捜索によって新たな疑惑を捏造し、小沢氏の身柄を拘束して「小沢一郎=犯罪者」を国民に対して強烈に印象付けるとともに、裁判において実際に有罪判決に持ち込む、といった可能性は充分にあり得るのである。あるいは、最悪の場合には、暗殺ということもあり得ないではない、と見ておくべきであろう。
2010年11月20日
「小沢失脚」謀略を問う(13/13)
(13)日本の支配構造についての理解を広げることが最も肝要である
前回は、本稿のこれまでの流れを振り返るとともに、“小沢潰し”とでも言うべき動きの今後の展開について、既得権益層は、あらゆる手段を使って小沢氏を政治的に抹殺しようとしてくるに違いないこと、具体的には、指定弁護人による家宅捜索と「小沢逮捕」によって「小沢一郎=犯罪者」というイメージを決定的なものにするとともに、有罪判決に持ち込む危険性があることを見た。
それでは、このような謀略が淡々と進められていくことを阻むことになりそうな要素は存在しないのであろうか。
ないことはない。それは何かと言えば、この「小沢失脚」謀略が、利益分配政治の打破を掲げる小沢氏と既得権益層との激烈な闘争の過程での必然的な現象であることを掴んだ強固な小沢支持層の存在である。
こうした層が、国民のごく少数にとどまる限りは、既得権益層は、何も恐れることはなく、淡々と謀略を進めていくことができるであろう。しかし、こうした層が、大きく広がりうるだけの可能性を秘めているとすれば、既得権益層は慎重にならざるを得ないのである。あまりに露骨なやり方で――その極限が暗殺という手段である――小沢氏の政治生命を奪ってしまったとすれば、「鉄の五角形+アメリカ」の支配構造を打破しなければならないと考える人々の間で、小沢氏は改革の途上における殉教者のごとき存在となり、これらの人々の精神的な結集の拠り所として、極めて強力に機能することになってしまうだろうからである。
それでは、小沢支持層は、こうした既得権益層の謀略的な動きを抑える程の力を持ちうるのであろうか。
現在、検察とマスコミの横暴に対してデモ行進が連続的に行われており、組織的動員などなかったにもかかわらず、いずれも1000人を超える参加者を集めている。この動きについては、検察とマスコミを直接の実行者とする“小沢潰し”の動きに抗して、優れた国民的政治家である小沢一郎氏を守りたいとの思いが大きな動機となっていることは間違いない。一人の政治家のために国民がこのような自発的な行動を起こすのは前代未聞と言ってもよいだろう。インターネットを駆使することで、こうした行動を全国各地に広げつつあるという点で、小沢支持層は無視することのできない存在となりつつあると言えるかもしれない。
このことに加えて、「脱小沢」を掲げた菅政権の失政が、相対的に小沢氏の政治的な存在感を高めるように作用していることも考慮に入れておくべきだろう。
この点では、小沢氏が、11月3日、インターネットサイト「ニコニコ動画」の「ニコニコ生放送」に出演した際の発言が象徴的であった。小沢氏は、尖閣事件での菅政権の失策について、「自分なら船長を釈放しなかった」「検察に(超法規的な)政治判断をさせたら法治国家でなくなってしまう」などと厳しく批判するとともに、北方領土問題についても「私はゴルバチョフ(元ソ連大統領)に『北方領土を一方的に侵略して占領したのはソビエトだ』と言った」というエピソードを披露した。その上で、「日本政府としての主張をきちんとしないといけない。彼らは自己主張しない人間を軽蔑する」「外交は首脳どうしが直接会ってやるべき。面と向かってしゃべらず、悪口を言うから、信用をなくす」と苦言を呈したのである。要するに、豊富な外交経験を持ち各国首脳と太いパイプを誇っている点で、菅首相や前原外相などとの政治家としての格の違いを見せつけたのである。
こうしたことが度重なれば、「いくら菅さんが『クリーンでオープン』でも、国家の最高責任者を務めるだけの実力がなければダメだ。少々カネに汚くても実力のある小沢さんに総理をやってもらった方がよいのでは……?」と考える人々が増えてこないとも限らないのである。言うまでもなく、これは極めて健全な考え方である。
とは言うものの、このような小沢支持層の拡大の可能性を過大評価するわけにもいかない。国民の圧倒的な多数は、マスコミを通じて強烈に刷り込まれた「小沢一郎=悪」というイメージからそう簡単に抜け出すことはできないであろうし、加えて支配層は、菅・仙石政権の失態が「小沢待望論」の高まりにつながらないような対策を打ってきているのである。それは、反小沢派の「ポスト菅」候補の押し出しである。
現在、マスコミの攻撃の矛先は、仙石官房長官を中心とした菅直人政権そのものに向けられつつある。注意すべきなのは、この間の一連の外交的な失態の第一の責任者(本来なら罷免されて当然!)である前原誠司外務大臣がほとんど批判の対象となっていないことである。それどころか、「世論調査」で首相にしたい政治家のトップが前原氏になったと「前原待望論」を煽っているのである。
そもそも、今回の尖閣事件の背景には、日中関係を険悪化させることで沖縄米軍基地などの対日利権を確保しようというアメリカの思惑の存在が強く疑われる。前原外相は、そのようなアメリカの思惑に沿って、事態を意図的に混乱させてきたのではないかと考えられるのである。そうであるならば、現在のマスコミの動きは、不安定な菅・仙石政権を崩壊させて、忠実な対米従属派である前原誠司氏を内閣総理大臣に据えようという計画が具体的に進行していることを示しているものと見るべきであろう。
支配層の思惑は、単に小沢氏の影響を政権から排するという段階(菅・仙石政権)から、より忠実に自らの意向を反映させうる政権を求める段階に移行しつつあるのだ、と見るべきである。支配層の利害からすれば、鳩山・小沢政権の「マイナス」から菅・仙石政権によって「ゼロ」まで戻したが、これを「プラス」に転じるために「前原政権」が求められている、というのが現局面であろう。
しかし、「前原政権」は日本国民にとって最悪の選択である。そもそも、日本という国の将来を考えるならば、今年9月の民主党代表選挙の際に、菅直人氏などではなく、卓越した改革構想とともにそれを実現するだけの政治的実力を兼ね備えた小沢一郎氏を選出して、内閣総理大臣につけるべきであった。小沢支持層は、現局面においても、小沢氏が早期に裁判で無罪を勝ち取って(あるいは裁判闘争中であってもよい)内閣総理大臣の座につくことを望んでいるであろうが、その可能性はゼロではない(決して諦めてしまう必要はない)にしろ、やはり極めて厳しいことは直視しておくべきであろう。
それでもなお、「小沢失脚」謀略(加えて、現局面で言えば「前原待望論」)の真相、すなわち、これら一連の動きの背後にある日本の支配構造について徹底的に暴き続けていかなければならない。すべては変化するというのが弁証法の教えである。「鉄の五角形+アメリカ」による日本支配の構造も、永久不変のものではあるまい。しかし、この構造を根本から崩すためには、何世代にも渡る激烈な闘争が必要なのかもしれない。そうであるならば、何よりも重要なのは、国民の間にこのような支配構造についての理解を広げていくことであり、国民自身の手によって、小沢一郎氏の志を継いでこのような支配構造と闘おうとする優れた政治家を育てていくことなのである。
(了)
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「小沢失脚」謀略を問う(1/13) (1)検察審査会「起訴議決」の不可解さ
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「小沢失脚」謀略を問う(2/13) (2)小沢一郎氏をめぐる動きは国家の支配構造から解かなければならない
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「小沢失脚」謀略を問う(3/13) (3)小沢「起訴議決」の対象となった「虚偽記載」とは何だったのか
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「小沢失脚」謀略を問う(4/13) (4)小沢「政治とカネ」疑惑は根拠薄弱な妄想の類に過ぎない
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「小沢失脚」謀略を問う(5/13) (5)民主主義を危機に晒す検察審査会の暴走
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「小沢失脚」謀略を問う(6/13) (6)小沢一郎氏は日本の国内政治の構造をどう把握するか
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「小沢失脚」謀略を問う(7/13) (7)小沢一郎氏は日本の外交をどう把握するか
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「小沢失脚」謀略を問う(9/13) (9)小沢一郎氏は自身への攻撃をどのように受け止めてきたか
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「小沢失脚」謀略を問う(11/13)(11)左右の立場を超えて小沢支持層が形成されている
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