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の続きである。
もしも仮に「44分のビデオ」が当初から公開されていたとしよう。
国内外の反応はどうだったろうか?
恐らくは、今或いはそれ以上に「中国漁船の意図的な衝突」のイメージが国際的にも国内的にも強烈に焼き付けられ、何らかの罪に問い、罰を下すかを逼られることになったのではないか? 少なくとも、中途半端な「解決」では済まさぬ雰囲気が形作られたに違いない。
また中国から見ても、一見、あからさまにも見える「衝突」シーンを見せ付けられたとしたら、果たして「反日世論」がこれ程までに沸騰したであろうか?
そうだとすれば、仮にあのままで行ったよりも遥かに日本に有利な状況で事態は展開し、「裁判」へと突き進むことになったかも知れない。
ー以上の事は誰が考えても読めるわけで、だからこそ何故「公開」しなかったのか?が改めて問われなければならないのである。
一体、「ビデオの非公開」を主導したのは誰だったのか?
一般或いは世間の大方は内閣の中心に居る仙谷官房長官であり、彼が「日中関係を慮って非公開にした」と思い込んでるが、それは100%有り得ない。
何故なら、もしも彼が実権を持ち、しかも日中関係を配慮していたとするなら、「裁判」に掛けること自体を許さず、直ちに漁船員を釈放させただろう。
中国や台湾が「領有」を主張する地域での「裁判権」を行使すること自体、国家主権の行使であり、当該国との関係を根本から変える(悪化させる)ことを宣言するにも等しいだからだ。
つまり、「日中関係の配慮」と「裁判」は矛盾するのだ。 だからこそ、これまでは「裁判」以前の段階でコトは処理されて来たのだ。
しかもこれには間近に「先例」が有る。
小泉政権時に起きた「中国人活動家7人による尖閣上陸」事件である。
この時は、「逮捕」したその2日後に「強制送還」している。 しかもその事について、当時の阿南惟茂駐中国大使は「国内法に基づき、適切な対応が行われ、比較的早く事態が沈静に向かった」として、「外交優先」を否定しているのである。
よもや仙谷氏がこのことを、忘れたり、知らなかったわけではあるまい。
6年前と同じ様に処すれば良かったのだし、その事についての「批判」には「自民党時代と同じ」で済んだはずなのだ。 −それをやらなかった事自体、仙谷氏は言われる程には実権を持ってはいないし、指針を与えることも出来ていないー現状維持に汲々としていることを示してはいないか?
だとしたら、「ビデオ非公開」について、巷間信じられてる「仙谷主導説」とは正反対の力が働いてたと見るべきだろう。
結論から言えば、小泉政権時とは異なる対応をする為の「道具」として、この「ビデオ非公開」は使われたのではあるまいか?
つまり、小泉政権の時と同じ様に対処しようとした仙谷官房長官に対して、「衝突ビデオ」を示し、”これだけ(意図的なことが)明らかな以上、取調べが必要であり、早期の釈放は難しい”と現場の意向を伝えたということ(その際、「文春」が流してる謀略情報※が含まれてかも知れない)。
更に、海保から検察への段階で、「起訴する」という検察の意向を示し、もしこれを拒むのであればビデオを公開すると、逆に迫られたのではないか? 何故なら、「ビデオ公開」自体は、「広報活動」の一環として、これまで通常の業務として行われて来たのだから、起訴しないのであれば「公開」を抑える根拠は無くなる。 そして、公開したなら、冒頭で示した流れになって行くことが当然予想され得る。 と同時に、起訴させずに、早期に釈放をさせようとする政権に対して、「政治介入」とか「指揮権発動」の声が澎湃として起こり、非難の大合唱が巻き起こって、そうした「世論」の圧力に抗することはとても出来なくなるかも知れない。
どっちに転んでも同じ結末に向かうとすれば、「非公開」=検察に任せることの方が政権への打撃が少なくて済む−と判断したことは容易に想像出来るのである。
国会論戦で、「船長釈放」や「ビデオ公開」に関して、仙谷が「政治介入」や「指揮権発動」の問題に度々言及したことは、「検察の意向」が在ったことを、問わず語りに語っていたのである。 そうして、無論、「検察の意向」の前には、与野党及びマスコミも、正面から異議は唱えられないだろう、という読みも在ったには違いない。
この間、国会論戦や記者会見を通して浮かび上がった仙谷官房長官の「ビデオ非公開」への異常な執着を、以上の様に理解することが最も自然で、かつ合理的であると思われるのである。
「ビデオ漏出」とその後の展開を見て、恐らくは今、仙谷氏は、二階に上ってハシゴを下ろされた、或いは嵌められた様な感じに陥っているのではあるまいか? 誰に?
海保側には「官邸の意向」として、官邸には「現場(海保や検察)の意向」として、事実上仙谷氏の黒子役になって動かしていた瀧野官房副長官、或いは西川徹矢及び河相周夫の二人の内閣官房副長官補にである。
多くの人が勘違いしているようだが、官邸で実権を握り、切り盛りしているのは、官僚OBで、官僚側の代理人である(政治家のお守り、露骨に言えば監視役も兼ねた)これらの官房副長官(補)達なのである。
それは、官房長官が、内閣毎に、その都度替わるのに対して、旧内務省の流れを汲む自治省OBが就くのが慣例である官房副長官は長期(5.6年)が普通で、官房副長官補まで含めたら警察・公安畑出身者が必ず居り、どのように政権が激しく移り替わろうとも権力が安定的に運営されるのは、こういった中核部分が不変だからだ。
官房副長官がどのような力を持ってるのか覗わせるものとして、前回の同じ様な政権交代期の激動時に”影の総理”と呼ばれた石原信雄氏や、最近では、事実上の「指揮権発動」とされた麻生政権時の漆間官房副長官の言動を思い起こせばいい。
「村山政権時代には大事な情報は官邸には上げなかった」と、堂々と言ってのけた柳井俊二元外務省事務次官の「証言」にある通り、情報の出し入れは官僚のサジ加減であり、それを最終的に統括しているのが事務次官会議(麻生政権まで)を主宰していた官房副長官なのである。
仙谷官房長官について、私は、見掛けは力は有りそうには見えるだろうが、権力行使といった観点から見れば、村山政権時の野坂浩賢官房長官と左程違った処に居るものではないだろうと思う。 「保安官処分」を巡って、今回の露呈したのは、まさにその事ではないか。
翼賛マスコミ命名の”赤い官房長官”、所詮社会党、或いは左翼崩れといった親米派の偏見、この国を牛耳る安保官僚の距離感を敏感に感じ取ってのレッテルであろう、と見るべきである。
そうして、権力の真実から観れば、「尖閣」においても、鮮明に顕われ出ているのは、政治家は<権力>のお飾りでしかない、ということだろう。
※オウム事件を始め、こういった謀略的な事件に関して、私は新聞・雑誌等の情報をファイルにしておくが、「文春」に関しては殆ど無い。 無論、デタラメが多いし、役に立たないからだが、その理由がお分かりだろうか?
こういった場合、文春は、「国策メディア」というより「安保メディア」になるからである。 即ち、単なる広報・プロパガンダの枠を超え、謀略工作の役回りをも果たしているからだ。 「文春」程、「国策=買弁」という図式が当て嵌まるメディアは無い。
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