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米国型自由原理(連帯分解型)を一気にコペルニクス的転回させ得るポーランド型自由原理(連帯深化型)のユニークな意義
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/576.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2010 年 11 月 16 日 07:27:04: YqqS.BdzuYk56
 

■米国型自由原理(連帯分解・孤立型)を一気にコペルニクス的転回させ得るポーランド型自由原理(連帯持続・深化型)のユニークな意義

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101115


[エピローグ動画] Lara Fabian - Il ne manquait que toi(Only I missed You)
[http://www.youtube.com/watch?v=WC-5L6GBBeM:movie]


[画像]松島、円通院の夜桜ライトアップ(1)…2010.11.10、撮影


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(エピローグ)


●当内容は、[点描ポーランドの風景/ワルシャワ編、2010.7(ポーランドから衆愚政治に踊る日本への手紙)(第一部)(1/2)、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101103]、[同(第二部)(2/2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101111]
コメント&レスを転載したものである。


●偶然に、“ぴっちゃん”さま(おそらくポーランド在住の方)との対話(ディアローグ)型のコメント&レスとなり、新たな視点などの発見があったので、その内容を転載して独立記事にした。なお、当記事に出てくる「シュラフタ民主主義」、「1791年5月3日憲法」、「ポーリッシュ・ポジティヴィズム」など普段に余り馴染みがないと思われる用語については、御面倒でも上の二つのオリジナル記事をご参照願いたい。


●いろいろ興味深い点が見つかったが、特に重要なポイントは『自由原理が決して米国の専売特許(リバタリアニズム=連帯分解・孤立型)ではなく、特に日本では、今まで殆ど歴史的にも政治・経済学的にも無視同然であった<ポーランド型自由原理=連帯持続・深化型>があり、それが現代のポーランド政治の舞台で見事に生かされつつあるという認識が明瞭に確認されたことだ。とはいえ、未だに“地動説時代に天動説を聞かされる”かの如き感覚で受け止められるはずだが・・・。


●また、ここでは深く捉える余地がなかったが、これは周知のとおりの米国型リバタリアニズムの変種(というよりもリバタリアニズムの原種が欧州の土壌でヨーロッパの心臓とも呼ばれることがあるポーランド型自由原理の養分を吸い取りつつ、突然変異したとでも見なすべき公・財・労による分かち合い&相互監視型)である、オランダ型自由原理もある。


●いずれにせよ、これらヨーロッパ型の自由原理には、多様な人間関係、自然環境、地域活動、家庭生活など広義の外部経済を一切無視して経済・企業活動が成り立つという発想はない。ましてや、<公(政・官・学)・財・労>が癒着・談合して労働者並びに国民一般を騙しつつ成長のパイを密かに分けあうという<たかり経済>なる怪しからぬ発想はない。


●目下の「官民主党政権」が国民の期待はずれで“官からカ〜ン!”と揶揄される始末になってしまった(しかも、その帳尻合わせは国民自身の肩へドッサリと降りかかってくる)根本には、やはり、このような意味での社会・政治・経済についての原理原則的な部分を軽視してきたツケが回ったのだと見なすこともできそうだ。今や、超ネット社会化の影響かどうかは知らないが、日本の社会・政治・経済環境についてのミクロで短絡的な“分離・分裂・分解型のモグラ叩き現象”だけが益々過熱しつつあることに懸念を覚える今日この頃である。


[画像]松島、円通院の夜桜ライトアップ(2) …2010.11.10、撮影


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(本 論)


・・・・・以下、コメント&レスの転載開始・・・・・


ぴっちゃん 2010/11/12 13:36


私は菅さんが新自由主義と相性がいいのは当然のことだと解釈しています。ポーランドや初期ホイッグ党の自由主義とは異なり、新自由主義は社会主義と根を同じくする設計主義であり、マクロ経済学的には新古典主義で説明できるからです。


詳しくはポーランドの生んだ新古典主義の大経済学者オスカル・ランゲの業績を参考になさってください。彼は共産主義の中央計画経済の基本的手法としての新古典主義を研究して、ついに理論的には経済学の最終原理に到達しました。


しかしこの「最終理論」はいっぽうで新古典派経済学そのものに付随する致命的な臨床上の欠陥を明らかにしたのです。新自由主義と訳される政治思想にはNew LiberalismとNeoliberalismの2つがあり、政策アイテムの段階で両者はかなり異なっているように見えますが、根本的な原理のところで新古典派経済学の同じ現実解釈に基づいているので、どちらも同じ種類の矛盾に突き当たって破たんします。


toxandoria 2010/11/15 19:42


“ぴっちゃん”さま、コメントありがとうございます。レスは「2010/11/12 13:23」の方へ書かせて頂きます。


・・・・・


ぴっちゃん 2010/11/12 13:23


「ポーランドの自由主義」の主流派は啓蒙時代にエドマンド・バークが率いていたイギリスの初期ホイッグ党と共通するものがあります。ホイッグ党に対応するのが、同時代のポーランドの国会における政治会派「ファミリア」と、それが中心となって運動した五月三日憲法の推進者たちではないでしょうか。


つまりルソーがポーランド改革期にかかわっていたものの、自由主義とはいってもポーランドの自由主義はルソーの社会設計的な自由思想とは根本的に異なるものであると思います。ルソーの設計思想はむしろ北ドイツやアメリカ合衆国の商人たちと相性が良いように思うのですが、実際のところヘーゲルを通じてドイツの歴史学派に受け継がれているように思います。


ドイツはこの流れなので、同国の大政党はSPDもCDU/CSUもこの思想を基盤にしていますし、特にSPDはそれに加えてジャコバン的な因業な思想が見られるように思います。現代アメリカでは民主・共和両党がどちらもこの手の設計主義の流れを受け継いでいるように見えます。


ドイツやアメリカの自由思想はポーランド人の自由思想とは似て非なるものですから、五月三日憲法の意義や重要性を無視したブキャナンの的外れのポーランド批判は、そういった、アメリカの政治思想には存在しない、したがってアメリカ人には非常に理解しにくい自由思想をアメリカ人が曲解した結果にすぎないのではないかとも思えます。


バークの自由思想は冷戦期にハイエクによる感化でマーガレット・サッチャーに受け継がれました。彼女は英米の主流派の政治批評家や政治思想家によってかなり大きく誤解されているように思います。彼女の自由思想はヘーゲル的な自由主義とはことなり、コンベンショナルなホイッグ自由主義です。


というのも、彼女は停滞期に経済対策として規制緩和や減税を行った一方、景気が過熱すると一転増税による財政再建も志向したからです。考えてみれば非常にオーソドックスなことを、当然の経済政策を着々とこなしていった。経済政策では必要であればハト派政策、必要であればタカ派政策と、柔軟に対応します。一方、ティーパーティーに代表される設計主義的なラジカルな自由主義では、経済政策はマネタリズム的で、すべてマネーの単位で需給を考えるので財政政策も金融政策もハト派一辺倒です。


これはティーパーティーが単に特にあからさまだというだけのことであって、アメリカの大半の政治勢力にはおしなべてこの傾向があるので、あれは決して特殊な人々の集まりではないと思います。ティーパーティー運動を資金面で支援しているのはおそらくアメリカの商人や銀行家でしょう。規制緩和やハト派経済政策は彼らのビジネスを利するからです―国家経済すなわち準備通貨である米ドルの将来を犠牲にして。


貴殿の「ポーリッシュ・ポジティヴィズム」の言及に感銘をうけました。現在のポーランドではこの流れがしっかりとした政治的主流派を形成しており、国政の場でも与党となっています。それが「市民プラットフォーム」党です。


この政党の人々、すなわちトゥスク首相兼党首、コモロフスキ大統領、ブゼク欧州議会議長、ビェレツキ元首相など、そしてこの政党のシンパであるマゾヴィエツキ元首相、ワレサ元大統領などといった面々はしっかりと「ポーランドの自由主義」「シュラフタ民主主義」の本流である伝統的なモデラティズムやポジティヴィズムを受け継いでいるように見えます。


一方、バール連合的な勢力やポーリッシュ・ジャコバン的な勢力も存在します。前者はカチンスキ元首相が率いる「法と正義」党、後者は政党には発展していませんがレシェック・バルツェロヴィチをはじめとする経済タカ派を「支持する」人々(バルツェロヴィチ本人をはじめとした経済タカ派勢力の当人たちは現政権の政策批判や支持を是々非々で行い、政党などといった具体的な政治運動からは距離を置いているのが興味深く、一時的に中道政党の民主党に所属したりしたものの選挙で議席を得ようとする野心に乏しく、基本的にはノンポリのテクノクラートといえるかと思います。実際のところ彼らの多くは旧ワルシャワ中央統計学校/現ワルシャワ経済大学の出身者で、SGHそのものが一種のマクロ経済学派を形成しているようにさえ見えます。


これにロンドン・スクール・オブ・エコノミクス卒業者であるロストフスキ財務相も合わせてオーストリア学派から発展した「ポーランド学派」を形成しているといえるかもしれません。マクロ経済政策の具体的な実現手法でバルツェロヴィチとロストフスキは激しく対立していますが、肝心の経済政策そのものの内容は同じものだというのが面白いところです)。


「市民プラットフォーム」党のシコルスキ外相だけは私の見るところ少し異質で、彼はバール連合的な「法と正義」党から市民プラットフォームに鞍替えした人物ですが、彼はどうもロマン主義的な発想が強く、外交においても自らそういった欠点を露呈しています。いまのところ決定的な失敗はしていませんが、リトアニア、ベラルーシ、ロシア、ドイツなどを相手にした外交問題でそれぞれ少し危なっかしい言動があります。


こういったポーランドの自由主義を一度理解してしまうと、まるで鱗が落ちたように日本やアメリカなどの政治がその思想から今後の行動予想まですべてエレガントに整理して理解できてしまうのが、とても面白い気がします。


ポーランド経済について見れば、今後も順調に安定的に発展していけるかどうかは、ひとえに市民プラットフォーム党に代表されるポーランドの穏健主義・自由主義が、同国の人々によって高い支持を受け続けられるかにかかわってくると思います。彼らによって今後のポーランドは財政再建に向けてさらなる民営化と増税の時代に入ることは確実ですが、彼らの同志のサッチャーが過去に失敗したこの増税政策をポーランドの主流派がどう成功させられるか、というところに非常に興味を持って観察しています。


成功すれば、それはアメリカ式ケインズ主義やマネタリズムといった設計主義がはびこる現在の世界の経済学の臨床分野における画期的な大業績、あるいは政治経済学におけるコペルニクス転回的なパラダイムシフトとなるといえるかもしれません。アメリカや日本もこれに感化されて、政策の方向性が大変化することでしょう。私自身は無力なので、せいぜい陰ながらポーランドを応援するぐらいしかできませんが…。


それでは。


[画像]松島、円通院の夜桜ライトアップ(3)…2010.11.10、撮影


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toxandoria 2010/11/15 20:19


“ぴっちゃん”さま、懇切なコメントありがとうございます。


1 全般的な感想


特に、ポーランド政治の現況については、日本における情報の少なさもあり、大変に興味深く読ませて頂きました。「市民プラットフォーム」のこれからの仕事が、世界の政治経済学のフィールドでマンデルブロのフラクタル理論を実証する如き成果(コペルニクス転回的なパラダイムシフト)を齎し、日本へも大いに良き影響を与える可能性を期待しつつ、今後もポーランドの動向を注視して行きたいと思っています。


ご指摘のとおり新自由主義が社会主義(共産主義)と同じ胎盤から生まれた兄弟のようなものであることは薄々ながら感じていました。資本主義も社会主義(共産主義)も何か共通の“根源的怖れ”(人間的触れあいやコミュニケーションなども含めた意味での外部経済性に対する?)のような強迫観念(観念同時的トラウマ)を抱えており、それに突き動かされつつ暴走しているような感じです。

米ソ対立の冷戦構造が崩壊し社会主義(共産主義)が否定されたとはいえ、未だに共産党一党独裁政権の中国が米国顔負けのネオリベラリズムを採りつつ、世界の超市場原理型資本主義(超市場原理主義)を先導しつつあるという現実は、考えてみれば現代版リバイアサンの蠢きを見るようで異様さを感じます。


だからこそ、フランス大革命の影を引きずる意味での“左右のドグマ”を乗り超えた地点に立つポーランド・シュラフタ民主主義の(再)発見が重要ではないかと思っています。なお、余談ながら、このように“異様に見える中国”が、医療保険制度に限っては、日本型の「国民皆保険」の理念に倣って、全国民をカバーする完全な医療保険制度確立(目標2020年)を目指して「新医療制度改革」に取組中である(⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091226)ことは驚きです。


ティーパーティー旋風で、せっかく生まれたばかりの「国民皆保険」に近い「オバマ医療保険改革」の先行きに暗雲が垂れこめつつあることと余りにも対照的です。それにしても、日本政府と日本国民自身が日本型の「国民皆保険」理念を蔑にしつつあるように見えるのが不可思議です。ポーランド出身の経済学者オスカル・ランゲの功績が“現在の資本主義”の限界(欠陥)を明らかにしたというご指摘も興味深いことです。


翻って、設計主義(型資本主義)の血を引くネオリベラリズムの権化のようなミルトン・フリードマンが、産軍複合体と米国政府機関の癒着という意味での米型クローニーキャピタリズム(ナオミ・クラインが言う、戦争・災害をビジネスチャンスと見なす災害資本主義の橋頭保たる米型縁故資本主義)を先導しており、その最先端に米国の仕掛型中東戦略(イラク・アフガニスタン・イラン等)が未だに大きく位置づけられていることも異様です。


実は、20世紀初頭のNew Liberalismと現在のネオリベラリズム(Neoliberalism)の違いと共通する部分(の可能性)については気づいており、一度、記事で書いたことがあります(⇒『北欧型福祉社会と米国型市場原理の共通起源、「制度経済学派&リアリズム法学」についての試論(日本は何処へ向かうべきか?)』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091219)。


この時は、殆どが課題の抽出と羅列に止まりましたが、副次的にa「北欧型福祉原理」とb「米国型市場原理」が同根であること、「制度経済学(設計主義による公正資本主義の追求)」と「リアリズム法学(現代法理論の基盤となる考え方)」が両者を孵化させたこと、および「リアリズム法学(現代法解釈の基盤)」の北欧型・米国型への分岐(前者はJ.J.ルソーの普遍的人権へ進み、後者がリバタリアニズムの軍門に下る)」が両者(a、b)への大きな変容を齎したことなどが見えてきました。


ご指摘の「ハイエクとマーガレット・サッチャーについての誤解=両者が元祖ネオリベラリズムであるという解釈」については、覚醒の思いを感じました。たしかオーストラリア国立大学のテッサ・モリス=スズキ女史らも同じ“誤解”を説いていた筈です。オーストリア学派のハイエクが渡米後にリバタリアニズムと見なされるようになったとしても、古典的自由主義者でフランス的理性主義を批判するハイエクが元祖リバタリアニズム(従ってサッチャーも同じ)」だとする解釈は、たしかに狭量すぎると思います。そもそもリバタリアニズムそのものの範囲が極めて漠然としています。


ご指摘のとおり、エドモント・バークの自由思想(正統保守の立場≠米国保守思想)は重要だと思っています。初めはフランス革命を熱烈に支持し、アメリカ独立革命へ強い動機を与えたとされるトマス・ペインも、晩年には、コモンズと国民基金への関心からバーク的な意味での漸進的な保守思想へ接近した筈です。(エドモント・バークも、特に我が国では大いに誤解されているような気がします)


因みに、米国保守思想や日本のネトウヨの類は全く“異次元の世界”なので論外ですが、日本に真っ当な保守思想が根付かぬことも日本を大いにおかしくしていると思います。例えば、かつて自称・保守本流(?)のプリンスこと”安倍晋三・元首相が中東派遣の航空自衛隊員に向かって“坂の上の雲”ならぬ「諸君は、青嵐の天空を貫く美しい国のために・・・」なる意気盛んな檄を飛ばし、心ある人々から顰蹙を買いました。


この寸劇からは、あの石原慎太郎の“マッチョな一物の屹立が障子を突き破った”とかいう未熟で野蛮なエピソード(おそらく青春時代の)が連想され、彼ら自称・日本の世襲保守の偏向した愛国心の奥に「潜む野卑な獣性」(Phallus、Eros、Patriot観念の潜在意識下での幼児的癒着)が窺われ背筋が寒くなります。おそらく目下のところネトウヨらの信仰対象とされる“田母神閣下”現象も同類で、彼らを真っ当な日本型保守思想の代表者と見なすことは到底できません。


我が国の国会議員の約6割は世襲議員ですが、同じ世襲でも、「地盤、金庫、安倍晋三らの如き見当違いの歴史観」を世襲する日本の事情と異なり、ポーリッシュ・ポジティヴィズムの伝統を引き継ぐ「市民プラットフォーム」の議員らが<戦略的に個人の名誉と誇りを守るポーランド型自由原理>を現代政治に生かそうとする姿は真に羨ましい限りです。それこそが、仰るとおりで、シュラフタ精神を生かすべくポーランド国民のために全力を傾注する現代ポーランド型の伝統保守の姿ではないかと思います。


一方、我が国における「実効権力」(現行政権の中枢を占める労組・市民活動系左派および野党・自民党らも含む政・官(司法)・学・財・マスメディアの癒着・談合連合体)は、高度経済成長期いらい<自ら実効権力側が行ってきた悪業(=日本経済発展の代償に政・労・使・マスメディアの癒着・談合戦術を採り、無辜の社員・市民・国民層の『連帯』を崩壊させたこと)>の罪を偽装するため、一見では理想主義風の米型ネオリベラリズム(新自由主義思想)を日本再生のイデオロギーとして掲げたあげくに、日本社会を根底から疲弊させ、『連帯』の絆を解体しつつあると理解することができます。


そして、その寒々とした日本の地平を彷徨うのが、途方に暮れ孤立した有期労働者らの群れと悪徳貧困ビジネスの跋扈です。まさに、この悲惨な日本社会の現状は、共産党一党独裁体制を崩壊させたワレサの『連帯』意識が、伝統のシュラフタ民主主義精神を介して、EU議長国を約1年後に控えた今だからこそ益々立派に生かされようとするポーランド社会の健全な姿に比べれば、その余りの倒錯ぶり(ポーランド=一層の『連帯』強化へ、日本=『連帯』が、まっしぐらに解体へ進行中!)に驚かされるばかりです。それは、「日本のシュラフタ」ならぬ「実効権力層」の歴史的モラルハザードの賜物たる『日本残酷物語』です。


2 コメントに触発された連想(シュラフタ民主主義の現代的意義、小沢の政治とカネの真相、リバタリアンの“たかり経済”について、ほか)


あのアレクシス・ド・トクヴィル(1805-1859/仏の政治思想家)が冷静に観察し、その危機的未来を予見したとおり、米国は徹底した自由原理主義の国であり、特に、ここ約10年来の「第一次小泉政権」以降の(厳密に言えば、昭和57年(1982)の「第一次中曽根政権」以降の)日本が、大きく米国型の自由原理主義(リバタリアニズム型の市場原理主義)へ舵を切ってきたことは周知のとおりです。


そして、米国は本質的にリベラリズムであるというよりも「自然的リバタリアニズム」(個人主義的無政府主義に過激なほど近い『小さな政府』志向)へ現実的に近づきつつあるようです。つまり、2009年1月に就任したオバマ大統領の“チェンジ”(リベラリズム)が今回の中間選挙で“ティーパーティー”に敗北したということは、この意味でのアメリカの本質である「自然的リバタリアニズム」へ重心が傾いたことを意味すると思われます。


また、この先のアメリカが更にどの方向へ向かうのか、それがどれだけの振幅と度重なる揺り戻しで蛇行し続けるかは未知数ですが、少なくともいえるのは、金融市場原理主義に関わる革命的(相当にドラスティック)なショック等(例えば、ポーランド型自由原理の有効性に気づき自然的リバタリアニズムのマインドコントロールが解けるとか、あるいは再び超リーマン型金融パニックが襲うとか・・・)で、漸く、大きな方向転換を決定することになるだろう、ということです。


また、一つ考えられるのはリバタリアニズムのなかから、「仕掛型戦争の拡大、没落中間層と貧富差と弱者層の更なる拡大」など非常に多大な人的犠牲と大いなる人的能力の無駄(人的・人材的資源の浪費)という大迂回路を経由した挙げくにして、漸く「必要悪」としての政府の最低限の介入を認める「最小国家主義」(右派リバタリアニズムの一種)か、あるいは「ポーランド型自由原理」の有効性を(再)発見することになるのではないか、ということです。真にバカげた遠回りとしか言いようがありませんが・・・。


因みに、自然的リバタリアニズムの基底には<自我・権力・資本の三原理が渾然一体化して暴走する一種のカルト的酩酊感の如き病理>が潜在すると思われますが、それは、本質的な意味で常にアメリカが主戦・好戦国家であり続けることの証左でもあります。そして、このことは今回の米中間選挙でオバマに一撃を喰らわせたティーパーティー旋風の過熱ぶりが見事に象徴しています。


未完のプロセス(過程)に過ぎぬ資本主義が中間層なる公正実現の幻想をバラマキつつ再生産の過程を持続させるための暴力構造の内包を指摘したのはナオミ・クラインの「大惨事(災害)資本主義」です、ポーランドのシュラフタ民主主義は、これへのアンチテーゼと見なすことができます。具体的に言えば、それは欧州で最も先進的な民主憲法であった「1791年5月3日憲法」による政治権力(この場合は王権)への授権規範性の役割です。


つまり、肝要なのは、<リバタリアニズムが唱える政府の大小の是非>ではなく、<権力機構(政府および実効権力)が未完のプロセスに過ぎぬ資本主義の奴隷(下僕)と化していないか>を絶えず「民主憲法」下で監視できるかどうかということです。シュラフタ民主主義の現代的意義は、特にこの一点にこそ関わると思います。


例えば、シュラフタ民主主義的な視点(発想・観念・概念)が全く日本で欠落していたため生じた無批判を是とする親方日の丸の空気が実効権力側を増長させる結果となり、それと癒着してきた主要メディアがプロパガンダを仕掛けたため「小沢の政治とカネ」が見事に成功してしまったとも言える訳です。


その挙句の果てが「菅からカ〜ン内閣」による現在の日本の大混迷です。しかし、そもそも、この異常な潮流が生まれた原因は何だったのか?その発端は、1993年の「平岩レポート」にあると考えられます。


同レポートは、米国流の先進的な新自由主義(ネオリベラリズムという新しいイデオロギー)思想に則り、規制緩和・自己責任・市場原理で<新ビジネスと労働市場を創出すること>こそが、日本のこれからの未来を決めることになる、そして、その障害となる敵こそ<既得権益集団=政財界の癒着構造>だと自己批判を込めつつ高々と掲げるパフォーマンスを見せたという訳です。


しかし、実はこのレポートが大きく掲げられた背景には、それまで<政財界&労使の癒着構造>に只管頼ってきたことが、結果的に酷い不景気を招くに至ったという国民サイドから財界への厳しい批判の芽が伸びる前に摘み取るための財界側の深謀遠慮が存在したと思われるのです。


そして、この頃から、日本の既得権益(実効権力)の主犯格たる族議員・官僚・談合汚職等に連なる腹黒い黒幕が「小沢に違いないという共通観念」が半ば捏造的に創られ、それが主要記者クラブメディアによって、多くの国民層へ、コトあるごとに、その当時から既に巧みに刷り込まれ続けてきたという訳です。


そして、この「平岩レポートに始まる対立図式」のモデルを狡猾に、かつ悪辣に再び援用したのが「小泉劇場」の「聖域なき構造改革vs抵抗勢力(既得権益守旧派=敵)」という、一般国民層にとっては真に分り易い明瞭な対立の構図でした。


片や、真の実効権力と交尾(つる)んでいた朝日新聞ら主要記者クラブメディアは、率先して小泉・竹中がB層ターゲットへ吹きまくった「このアンチョコないかにも絵になる対立構図」を持て囃し、首尾一貫してそれを必要以上に激しく煽りたて<主要記者クラブメディア自身を含む真の実効・既得権益層の実像>がバレぬように巧妙に立ち回ってきたという訳です。


ともかくも、「小沢の政治とカネ」に繋がる伏線のプロパガンダは、このような流れの中で、既に、遅くとも1993年の小沢の自民党離党頃から、かなりのロングスパンで仕込まれてきた節があるのです。


もう一つ付け加えれば、もともと菅・千石ら現内閣中枢を占める市民運動or左派系労組人脈の「資本主義についての理解」がハイエクを曲解した設計主義だということがあります。それに彼らの政治基盤が労使癒着であったということもあります。これらの意味で「菅カラ内閣≒小泉劇場」であり、両者の観念の深層はティーパーティーのリバタリアンと通底しており、その本質は“たかり経済学”ということです。


いささか品の悪いコトバである“たかり経済学”はtoxandoriaの造語ですが、例えば労組と経営側が癒着しつつ働きバチ化した善良なその他の社員層(つまり、国民一般に繋がる人々)を誑かしてきた<日本型経営の醜悪さ>の類のことを意味します(ただ、toxandoriaは日本型経営の全てが悪とは思っておりません)。


この“たかり経済学”が意味するのは、「小泉劇場」と「菅カラ内閣」の両権力が、共に<未完の過程に過ぎない現状の資本主義>を自らの責任において少しでも進化させ、かつ改良しようとせず、ひたすら、その甘い果実の巧妙な山分けだけに関心が向いてるということです。また、それは、彼らが地域社会の存在意義、農林業の自然・文化的価値、プレカリアート、専業主婦等の家庭内労働価値など、いわゆる広義の外部経済の問題に無関心であることも意味します。


なお、ポーランド・シュラフタ民主主義と北欧型福祉経済は根本的に異質で、後者はむしろ米国型自由原理(リバタリアニズム)と共通の基盤から生えた異形の果実と見なすことが可能です(この論の詳細はhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20091219を参照乞う)。


そして、これは“ぴっちゃん”さまのご指摘のとおりですが、その観点からすれば、「小泉=労使癒着経営の使用者側」、「菅=同癒着経営の労組側」になります。そして、彼らが共有する信仰は他でもない米国型自由原理(リバタリアニズム)なので、彼らがポーランド・シュラフタ民主主義(ポーランド型自由原理)を理解できないのは当然だと思われます。


【エピローグ動画】Celine Dion - Just Walk Away
[http://www.youtube.com/watch?v=QB-kr0EbQew
 

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コメント
 
01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw
ポーランドの現状。
ポーランド人はポーランド当局の経済統計を全く信用していません。しかしその統計に於いても失業率は10%を超えて高止まりしたままです。特に本年の第一四半期には、失業率が13%近く増えると言う異常な動きを見せました。
http://www.stat.gov.pl/cps/rde/xbcr/gus/PUBL_ls_registered_unemployment_2q_2010.pdf
期待した外国からの投資はなく、給料は凍結されたままで、ローンに頼った結果、現在200万人以上のポーランド人が、債務超過状態にあると言われています。仕事と言えば低賃金の「1ズルチ・ジョブ」と言われるものしかありません。
そのために政府の税収も上がらず、今年だけで580億ズルチの不足が見込まれています。すでに政府はIMFから204億ドルの融資を受けていて、緊縮財政措置を取っています。年金は凍結され、消費税はさらに上げられる予定です。所得税も値上げされました。水道、電気、ガス代は10%値上げされましたが、果たしてそれで済むかどうか分かりません。法人税だけが変わらず19%のままです。このままでは、ドイツの労働市場が開放されれば、多くのポーランド人が移住するだろうと考えられています。
民営化という国営会社の切り売りも続いています。電力会社の75%は外国の資本の手に渡りました。銅鉱山会社の株は来年までにすべて売られる予定です。
ポーランドの銀行の第2位と3位を占めるBank PekaoとBPH Bankも身売りされました。EU加入推進者が語った夢のような話の片鱗さえ
どこにもありません。
http://www.youtube.com/watch?v=brotY-aMCBE

02. 2010年11月17日 16:55:17: 35Lt1MOeqI
(01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw)さま

大変に貴重な現地情報をありがとうございます。

レスは、少し時間を置き、追って書くつもりです。


03. 2010年11月18日 19:40:57: 35Lt1MOeqI

(01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw)さま、大変に貴重な現地、ポーランド情報をありがとうございます。

1 全般的な感想

ご多分に漏れず、あまり日本人に馴染みがない国を紹介する機会に恵まれたため、ひょっとするとtoxandoria は、客観的な冷静さを忘れ自分の波長に合う部分だけを贔屓目で紹介するというお決まりの罠に嵌っているかも知れません。が、そこはそれ“机上の妄想”ということで、ご容赦ください。

ところで、些か古いものですが、いま手元に一冊の本があります(⇒アダム・ミフ二ク著『民主主義の天使、ポーランド・自由の苦き味』1995刊‐同文館‐)。ご周知のとおり、アダム・ミフ二ク(1946− )は“ワレサの連帯”を支えた理論家の一人であり、“円卓会議”(1989)で体制転換を実現した重要人物らの一人でもあります。

一党独裁の共産党政権が消え去った後のポーランドは、「大きな敵(外圧となる暴力的権力=ソ連)」が消滅したため社会の中の求心力が弱まり、排外的な面なども目につくようになり、あの東欧革命を指導したポーランド市民意識の熱気が消えたように見えるのも事実だと思います。

自由経済への解放(1989)から20年を経過した今のポーランドが、一定年齢以上の高齢者層のなかに些かは残るノスタルジーに応えて旧共産主義体制へ回帰することなどはあり得ず、愈々、これからEU加盟後の本格的な自由経済の果実を刈り取る正念場に差し掛かったというのが今のポーランドではないかと思います。

しかも、改めてミフ二クの著書を開くと、そのページからは、新しい漸進主義(19世紀後半のポーリッシュ・ポジヴィティズムのアナロジー)、連帯の夢(共産主義政権、ヤルゼルスキの暴力的戒厳令で覚醒させられたシュラフタ的な意味での市民意識)、民主主義の実践など、今でも新鮮に見える躍動するようなコトバが目に飛び込んできます。

およそ森羅万象の何事にも光と影があり、英雄的人物と裏切り者がいます。そして日本では余り知られていない、例えばポーランドのような国の歴史・社会事情などを少しばかり齧り、少しばかり現地体験した者にとっては、その生々しい歴史と独特の市民意識の名残を今も身に纏うポーランドは大変に魅力的な国と目に映るようです。

美しい自然環境と歴史景観(第二次世界大戦で悉く破壊され、その殆どが再現された!)、ショパンのピアノ、リーズナブルでオーガニックな食体験、そして想像を絶するほど複雑な政治状況、これらは、いずれも無責任な一人のエトランゼの勘違いに過ぎないのかも知れませんが・・・。

ポーランドには現代の日本が捨て去った何かが、別にいえば、とても魅力的で個性的なスピリット(古城の幽霊と対話ができたハムレット体験を想起させるような空気!)が感じられました。実は、それこそが日本からは消え去ってしまった(というよりも、特に第二次世界大戦後の日本には存在しなかった)、シュラフタ民主主義の伝統を引き継ぐポーリッシュ・ポジティヴィズム(シュラフタ民主主義の伝統=ポーランド的自由原理)の空気です。

そして、そのポーリッシュ・ポジティヴィズムが、あの共産主義一党独裁政権時代に幅を利かせた「覇権国ソ連の軍事・暴力機構」に取って代わる新たな「軍事・暴力的大権力=米国型ネオリベ戦争・災害資本主義=中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス)」の核心的な部分に対し、再び、その優れたセンサーを向け始めたようだと感じました。

それに比べ我が国の政治・経済状況は惨憺たるものです。例えば、常日頃から日本の経済動向の先導役を自負する日経新聞は『清富の時代』なる記事(11/16、“更なる高度IT技術と特に医療介護・環境・教育等を中核とする産業振興、更なる法人税引下げ、TPP等によるグローバル開放通商政策”の主張)を書いています。

地域社会の存在意義、農林業の自然・文化的価値、必然的なプレカリアートの発生、専業主婦等の家庭内労働価値など、いわゆる広義の外部経済の問題に無関心のまま、TPPらによるグローバル開放通商政策を強行し、大企業優遇税制を更に推し進め、かつ広義の外部経済に関わる分野への無定見な高度IT技術関連市場拡大へ突入するのは、日本を本格的にシミュラクール化することを意味します。

<注記>シミュラクール(simulacre)・・・、「現実社会」と「ITユビキタス化による仮想空間」が相互浸透し、それらが互に強く影響を与え合いながら次第に日常生活のリアリズム(=生命体のリズムと精神活動の因果が司る現実世界)が見えにくくなるため、悪意のある政治権力(中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス))によって操られ易い方へ向かい我われの社会が仮装化・厚化粧化して行くこと。ニセモノ・擬装などの意味もあり、シミュラクール社会化とも言う(詳しくは下記の記事★を参照)。

★映画『マトリックス』が暗示するわが国のアーカイブの脆弱性、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070319

日経新聞のこの記事は、明らかに中野考次著『清貧の思想』(1992)のパロディのつもりだろうが、その悪意に満ちた揶揄の意図は完全にしくじっており、却って同新聞社の軽薄かつ表層的な“たかり経済”新聞の本性を自ら暴露しています。中野考次の『清貧』の意味は、不幸にして仮に収入が少ない境遇の人がいたとしても彼を含めた国民一人ひとりの心が正しいことを為す気になるような社会環境であるべきということのはずです。

ところが、あれから18年を経たというのに、日本の政治家・官僚・ジャーナリズム・経済学者らエリート層に属する人々は、中野考次の『清貧』は“貧乏と貧困を礼賛することだ”としてこの著書を激しく非難した、当時の多くのエリート層の人々と同様に、未だに中野の『清貧』の意味が彼ら日本のエリート(つまり偏差値秀才の成れの果て)たちは理解できないようです。

“たかり経済”とは筆者toxandoriaの造語で、例えば労組と経営側が癒着しつつ、高度成長期以降の長きにわたり、働きバチ化した善良なその他の社員層(つまり、国民一般に繋がる人々)を誑かしてきた<日本型経営の醜悪さ>の類のことを意味します(ただ、筆者は日本型経営の全てが悪とは思っておりません)。

ところが、今まで数回にわたり記事で書いたのでこれ以上繰り返しませんが、ポーランドの伝統であるシュラフタ民主主義の精神(ポーリッシュ・ポジティヴィズムなどに引き継がれ現代ポーランドでも生きているポーランド型自由原理)は、この新種の恐るべき危機をポーランド社会へ持ち込もうとする「米国型ネオリベ暴力資本主義」の本性(中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス))を見破っており、既にそれとの闘いへ突入したと思っています。

以下は、ポーランドと異なり、このような日本の真の危機の意味が一向に理解できず、それどころか相変わらず、日本の“たかり経済”資本主義の上に安住しようとする「菅カラ内閣」の<何もしたくない閣総理大臣>コト、菅直人首相へ語りかける仮想パロールの形式で、「01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw」さまからコメント頂いた内容へのレスということでtoxandoriaなりに連想したことを書かせていただきます。

2 <何もしたくない閣総理大臣>コト、菅直人首相へ贈るパロール

■<何もしたくない閣総理大臣>と揶揄された(11/17朝日・やくみつる政治漫画)菅直人総理大臣に是非ともご理解頂きたい<ポーランド型自由原理=シュラフタ民主主義>の存在

ミクロ局面では、ポーランドもミルトン・フリードマン仕立「米型自由原理(ネオリベ戦争・災害資本主義/その典型が元祖9.11とされる、チリ・ピノチェト軍事政権下で成功が謳われた“チリの奇跡”の欺瞞・虚偽)」の飛火(=米国型ネオリベ戦争・災害資本主義の火の粉)が燎原の炎となり燃え広がり、それが拡大中だ(参照⇒冒頭に掲げた(01. 2010年11月16日 21:18:47: F5bgs0UYxw)さまのコメント)。

因みに、そのチリから米国へ脱出し1976年8月に発表した論文「チリのシカゴボーイズ」で、フリードマン、ネオリベ、ピノチェトらの癒着を厳しく批判した元チリ外相O.レテリエルは、その論文発表のワシントンで、自分の自動車に密かに仕掛けられた爆弾が爆発して吹き飛び爆死した。

<注記>シカゴボーイズ(http://cityscape.air-nifty.com/cityscape_blog/2004/09/post.htmlより部分的に転載)
・・・世界の学者たちのなかでももっとも頭の切れる集団、すなわちミルトン・フリードマンの弟子「シカゴ・ボーイズ」たちが九年間も努力を重ねてチリを破綻させた。彼らの理論の魔法にかけられた将軍は、最低賃金制度を廃し、組合交渉権を違法とし、年金制度を民営化し、財産や営業利益に対する税金をすべて撤廃し、公職を削減し、212の国営産業と66の銀行を民営化し、財政黒字を実現した。将軍は国を率いてネオリベラル(自由市場)の道を行進させ、後にサッチャー、レーガン、ブッシュ、クリントン、IMFそして全世界がその後を追うこととなった。

ところで、辛うじてながらも国民の過半超が支持する与党・市民プラットフォームがポーリッシュ・ポジヴィティズム(シュラフタ民主主義)の伝統理念の下で、その「米型自由原理(米国型ネオリベ戦争・災害資本主義=中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス))」と果敢に格闘中だ。そのため、マクロ局面で見たポーランドは世界不況に見舞われた2009年の経済成長率1.2%は、ポーランドが欧州連合(EU)の中で唯一成長を達成した国であることを明確に示した。
ポーランドの1人当たりGDP(国内総生産)も2009年の「EU平均の50%相当額」から56%レベルへ拡大しており、これは過去最高の伸びとなった。経済協力開発機構(OECD)の発表でも、ポーランドの経済成長率は大方の予想をはるかに上回る1.8%と判明し、ポーランドは2009年の欧州連合(EU) 加盟国でプラス成長率を達成した唯一の国となった。
また、OECD加盟国でポーランドの他にプラス成長を達成したのは韓国(0.2%)とオーストラリア(1.3%)の2カ国のみで、2009年のポーランドはOECD加盟国の中で最高の成長率を見せた。いま、このマクロ実績下で、ポーランドは2011年後半のEU議長国就任を控えており、EU盟主国の筆頭たる独・仏両国はシュラフタの伝統を引き継ぐポーランド指導層の人材的貢献に期待をかけていると伝えられている。

このため、いまポーランドの与党・市民プラットフォームは、は「ポーランド型自由原理」と「シュラフタ民主主義」の伝統に基づきポーランド・ポジティヴィズム政策に取りかかり中だ。

ここで見逃せないのは「市民プラットフォーム」の政治パワーの源泉が次のような点にあるということだ。ある意味でこれは、ポーランド版「シカゴボーイズ(フリードマン製ミュータント)とその仲間たち」を相手取った<壮絶なポーランド・シュラフタの闘い>とも言えるだろう。

それは『原則的に徹底的に暴力的大権力(=中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス))と争うが、戦術としては常に“国民の主権と生命を守る”という、その一点のためにだけ妥協する』ということだ。ここに見られるのはシュラフタ精神を生かしつつ国民のために全力を傾注する現代ポーランド型の伝統保守(アダム・ミフ二クが言うポーランド的漸進主義)の姿だ。

一方、我が国における「実効権力」(現行政権の中枢を占める労組・市民活動系左派および野党・自民党らも含む政・官(司法)・学・財・マスメディアの癒着・談合私益増連合体)は、高度経済成長期いらい<もっぱら実効権力側が自ら行ってきた悪業(=日本経済発展の代償に政・労・使・マスメディアの癒着・談合戦術を採り、高度成長期以降の長きにわたり無辜の社員・市民・国民層の『連帯』を崩壊させ続けてきたこと)>の罪を偽装するため、一見では理想主義風(つまり、国民側にとっては中身が空っぽ)の米型ネオリベラリズム(新自由主義)を日本再生の偽装イデオロギーとして掲げた挙句に、今や日本社会を根底から疲弊させ国民・市民の『連帯』の絆を解体しつつあると理解することができる。

つまり、<何もしたくない閣総理大臣>と揶揄された菅首相!貴殿が「日本版シカゴボーイズ」たる実効権力の癒着・談合の中枢に深く浸かり国民を欺き<米国型、ポーランド型という二つの自由原理の存在と、その二つの決定的な違いに無頓着・無関心だったこと>が全ての元凶なのだ(なお、米型・ポーランド型自由原理の詳細はコチラ⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101115)。

だから、せめて<何もしたくない閣総理大臣・菅直人殿>におかれては、非常に苛烈な「シカゴボーイズ(フリードマン製ミュータント)」との壮絶な闘いに入ったポーランド型自由原理(シュラフタ民主主義)の今後の動向(政治動向)を注視して頂きたい。

仮に成功すれば、それはアメリカ式ケインズ主義とマネタリズムらの設計主義が蔓延る現在の世界の経済学の臨床分野における画期的な大業績、あるいは政治経済学におけるコペルニクス転回的なパラダイムシフトとなる可能性があるからだ。

また、不幸にして、それが仮に失敗するとしても。<ポーランド型自由原理>と<米国型自由原理=中野考次が言う近代人的二元論の発生する元に潜む暴力的存在(ファスケス)>の闘いという<苛烈なポーランド・シュラフタの生の闘いぶりの目撃から、必ずや日本再生の貴重なヒントが発見できるという期待が持てるからだ。



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