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「今の日本政府に人材戦略は存在するのだろうか」
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子供たちが学校を卒業し社会に出れば、殆どの子供たちはなんらかの組織や企業に属することになる。そして、民間組織では事あるごとに経営資源について聞かされる。すなわち、「人、物、金」である。場合によっては「人、物、金、時間」だ。その中で「人」が企業組織にとって最も重要であり、人材育成こそが企業の行く末を左右しかねないと説明を受ける筈である。
大企業を中心に、きめ細かいかつ行き届いた社員教育が実施される。それは、レベルが低下し続ける学校教育を補完すると同時に、企業人として必要な心得や財務知識から固有の科学技術に関するノウハウなどの高度なスキルまで多岐にわたる。
但し、それは今や昔の話になりつつある。それというのも、社員は目先の利益やスキル取得や資格取得を目指して、所属企業を転々と変えるようになった。その一方で、企業は人件費を変動費化して人を都合よく使い始めた。すなわち、人材の流動化が起きているのである。
そのような状況では企業は人材育成に手間やお金などかけない。その代わりに、必要な時に必要な人をすぐさま調達できるようなシステムに頼るようになった。それにより人材の流動化とレベル低下に拍車が掛かる。それは日本の人材育成における負のスパイラルである。
以上の展開の背景として、長きにわたる景気悪化により企業業績は冷え込み人材育成にお金をかけられなくなったことが挙げられる。
視点を企業から国に変えて見れば、行政全体における文部科学分野の存在感がどうしても希薄にしか見えないのである。それは昔も今も同様だ。但し、過去は学校教育がまともに機能し、また企業も人材育成に力を入れていたのでまだ良かった。しかし、企業はもはや人材育成にかけるお金もなく、さらに文部科学省は学校教育を荒廃させた。人材育成の危機的状況である。
それはすなわち日本の危機的状況に他ならない。資源の乏しい日本にとって優秀な人材こそが生命線なのである。それにもかかわらず、文部科学省が学校教育を悪化させてしまったため、過去多くの優秀な学生が海外に逃げていった。そして、財政悪化を受けて今や科学技術のあらゆる分野で予算が削られ始めた。その結果、優秀な研究者が職を失いかけており、その研究者を狙って中国や韓国やシンガポールなどのアジア主要国はヘッドハントしようと画策している。そのような状況を国は一体どのように考えているのであろうか。
教育は人材育成の最も重要なプロセスである。国はいままで教育にも人材育成にも何の長期ビジョンを示さなかった。人材戦略が全くない。長期にわたる一貫性がないのである。お粗末な教育の尻拭いを企業に押し付けかつ人材育成について多くを企業に頼ってきた。ところが今や企業はその余裕もなくなり日本の人材育成は危機的状況下に置かれた。そして、優秀な学生や研究者やビジネスマンが続々と海外に流出している。それでなくとも企業の生産拠点は海外に流出し続けているのである。このままでは本当に日本は空洞化してしまう。
国は国家ビジョンに基づき教育を含めた人材戦略をいち早く作らなくてはいけない。それは、学校教育の立て直しに着手すると同時に、政財官が一体となって学校教育分野と科学技術分野と経済産業分野と厚生労働分野と農林水産分野を横断した人材戦略を一日も早く作り上げ実行に移すことである。ニートや派遣社員の急増に象徴される個人格差の拡大は地域格差の拡大へと繋がった。それは教育・人材育成における国家戦略が不在であったがために引き起こされたとしか思えないのである。
人材戦略とは、例えば人材の配分すなわち産業界への労働力配分を適正化することでもある。国家のあるべき姿を実現するために、いままでの偏った配分を適正な配分へと徐々に是正することである。業種の視点で見れば、重要であるにもかかわらず人が不足している介護福祉業界や農林水産業界に優秀な人材が流れるような中長期戦略と政策を考えることである。職種の視点で見れば、「ものづくり」大国の復権を目指して研究開発分野に優秀な人材が流れるようなことを考えることである。
そのためには、学校教育でも力を入れるべきところを明確化した能力別カリキュラム大綱を作成すると同時に、特定業界や特定職種を目指す学生には奨学金制度を手厚くするなどの施策も必要になるかもしれない。
最近ではシンガポールの人材戦略が報道などでも取沙汰されている。シンガポールは日本以上に領土が狭く資源も少ないため日本と同様に国力は人材に多くを依存する。従って、優秀な人材、特にバイオテクノロジーなどの研究開発者が多いと聞く。それらの人材を世界各国から集め、贅沢な施設や潤沢な研究資金を提供して囲い込みを図るというものだ。但し、それは短期間で十分な成果を挙げられなければ解雇に繋がるという厳しいものである。グローバリゼーションによる成果主義、弱肉強食、自由放任主義、市場原理主義などを科学技術の分野にも適用した事例だと言える。
そのようなグローバリゼーションは日本の文化や風土には合わないし、ましてや科学技術の分野では中長期の視点で取り組ませることが結果的に大きな成果へと繋がることが多いのである。それは「急がば回れ」の譬えにも似ている。
「有形無形」の無形のものを中長期に向けた有益な投資と見るのか或いは短期で見た時の無駄と見るのかの違いである。科学技術の分野では特にその前者の比重が大きいのである。但し、短期的評価すなわち過程における中間成果をその都度評価する仕組みが求められることは言うまでもない。
その意味からすれば、中長期の視点に立つ安定的な人材戦略を求めていくべきである。小泉−竹中親米政治の財政再建至上主義や不良債権の加速処理や米国型会計制度の導入などによってもたらされた負の遺産(=地域と中央の格差拡大による二極化、不況の深刻化、税収減、借金増大など)を見ればそれは明らかだと思う。
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