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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu227.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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内部告発であっても、国民に有益な情報は知らせるべき。政府に
都合の悪い情報が漏れないことを優先するのは、本末転倒です。
2010年11月14日 日曜日
◆いよいよ表に出てきた仙谷長官「超危険思想」 11月13日 日刊ゲンダイ
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/gendai-000130262/1.htm
仙谷官房長官が「危険な顔」を隠し切れなくなってきた。中国漁船衝突事件のビデオ映像流出を受け、機密漏洩の厳罰化を検討する考えを表明したが、衝突事件の場当たり対応や映像公開方針の迷走をタナに上げ、規制強化とは、お門違いも甚だしい。こんな危ない官房長官では、国民の「知る権利」はウヤムヤにされ、日本は“いつか来た道”にまっしぐらだ。
●アンシャンレジーム自民以上のファッショ気質
仙谷の危険な発言は、8日の衆院予算委で飛び出した。衝突映像の流出について、唐突に「国家公務員法の守秘義務規定に関する罰則」を引き合いに出し、「現在の罰則では、抑止力が必ずしも十分ではない。秘密保全に関する法制のあり方について早急に検討を進めたい」と、罰則強化に意欲を示す方針をツラツラと語り出したのだ。
立教大教授の服部孝章氏(メディア法)は「今は映像を非公開にしてよかったのか、公開すべきだったのではないか、と仙谷長官本人の政治判断の是非が問われている時期です。自らの責任に頬かむりし、いきなり機密漏洩の罰則強化を打ち出すなんて、ナンセンス極まりない」と批判する。
仙谷の秘密保護法を強調する姿勢は、1972年の西山事件を思い出させる。当時、毎日新聞の西山太吉記者が、沖縄返還時の米側経費の日本側の肩代わりをめぐる密約をスッパ抜いたが、政府主導で「セックス醜聞」と「機密漏洩事件」にスリ替えられた。西山氏と情報提供者の女性公務員は国家公務員法違反で逮捕され、民主党政権の情報開示まで、密約は闇に封じ込まれたまま。国民の「知る権利」は大きく損なわれてしまった。
「仙谷長官の発言を許せば、国民の知る権利が制限され、社会の損失につながりかねません。たとえ手段は内部告発であっても、国民に有益な情報は知らせるべき。政府に都合の悪い情報が漏れないことを優先するのは、本末転倒です。徹底した情報公開を打ち出した民主党のマニフェストにも逆行しています。仙谷長官は自民党の古い政治以上に隠蔽体質で、ファッショ思想すら感じます」(後略)
◆政治家に向かない職業 11月15日 経済コラムマガジン
http://www.adpweb.com/eco/
仙石官房長官という人物
筆者は、政治家になるのに一番向かない職業は弁護士であるとずっと思ってきた。ところが多くの人々は、逆に弁護士こそが法律に明るく、法律を扱う政治家にはぴったりだと誤解している。
まず弁護士として優秀な者は、法廷における弁論によって、有罪になるべき者に無罪判決をもたらしたり、あるいは減刑を勝取る。つまり依頼人にとってより有利な判決を得るよう働くのが良い弁護士である。しかし多くの弁護士は社会正義のために弁護活動を行っているのではない。ほとんどの場合は報酬を得るためである。
高報酬を得るためには、好き嫌いで被弁護人を選べないのが現実である。特に順番で担当することになっている国選弁護の場合、弁護士は被告人を選べない。
筆者の知っている弁護士は、昔、「弁護の余地のない悪い被告を弁護する時ぐらい辛いことはない」と言っていた。しかしこのような時にも法律の知識や法廷テクニックを使って、被告にとってより有利な判決を引出すのが優れた弁護士である。むしろ哲学や思想というものは弁護士にとって邪魔である。
だが政治家に求められる資質は違うはずである。善し悪しを別にして、政治家はなんらかの政治信条みたいなものを持っていることが期待される。また国民は政治家の言動がブレることを一番嫌う。
反対に弁護士は、職業柄、裁判毎に論法を変えたりする。その場その場でベストの解決方法が求められるからである。つまり物事に対して即物的なのである。
仙石官房長官を見ていると、いかにも弁護士出身の政治家という印象を持つ。国会の答弁でも、記者会見でも、政治家というより、法廷の弁護士そのものの振る舞いである。その場で相手を言い包めれば良いという風である。
先週号で、日本人は相手にどこか誠実なものを期待しているという話をした。しかし仙石官房長官はこれに正反対の政治家である。したがってこの人物が前面に出るほど、菅政権の評判は悪くなる。(後略)
◆ビデオ流出 そもそも船長無罪放免がおかしかった 11月14日 産経新聞
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/463047/
◆国益をはじめに損ねたのは誰か
本気で彼をスケープゴートにするつもりか、という思いだ。そうした言辞を積み重ねれば重ねるほど、国民には何だか情けなく映ってしまう。なぜ民主党の面々はそのことに気づかないのだろう。
海上保安官を逮捕するにせよ、逮捕しないにせよ、政治的目的を帯びた行動であれ、そうでないにせよ、はっきりしていることはある。それは、この問題の根源は政府の初動段階での対応の誤りにあるということだ。ごまかされてはならない。このビデオは国民に公開してよかったのである。
国益をはじめに損ね、今に至るまでそのことに気づかないのは菅政権ではないか。そもそも、ボタンの掛け違いは、ビデオの公開を国会議員ら“特権”ある者に限定して、情報統制に努めてきた政府の判断の誤りに端を発しているのであり、もっといえば、領海侵犯を不問にしようとした政府のトンチキな事件処理に端を発しているのである。
◆責任を官僚に負わす政治主導
菅首相は事務次官を集めて、綱紀粛正を呼びかけていた。これもむなしく映る光景だった。当の民主党が官僚政治からの脱却を訴え、事務次官会議の廃止を高らかに掲げていたからである。処分保留で船長を釈放した際、浴びた批判にも政府は「検察の判断である」などと繰り返していた。
「彼らがいう政治主導っていったい何なのだろう」と考えさせられる光景だった。矢面に立つところは、役人に負わせ、責任を政治家が負っているだろうか、と疑問に思わざるを得ない光景だったからである。決定権は自分たち政治家にある。でも矢面に立ったり責任を負わされるのは常に官僚となる、というのが政治主導の意味ならば、とんでもないことだ。
政権は今、役人社会からも国民からも浮き上がってしまっていないだろうか。ひたすら中国の胡錦濤国家主席の来日に向けて、中国の顔色うかがいに終始しているのではないだろうか。せっかく会うならば、胡錦濤国家主席にビデオを見せ、謝らせてほしいものである。
◆これではつける薬がない
繰り返しになるが、わが国の領海を侵犯するという本件がまずあったのだ。それを海保の巡視艇に体当たりした行為を公務執行妨害ととらえて逮捕した。それを処分保留で釈放した。“無罪放免”である。
その判断の背景には、中国で働いていたフジタの邦人の身柄拘束があった。報復である。これは誘拐まがいの卑劣な行為であり脅しである。その悪辣(あくらつ)な恫喝(どうかつ)に正面から向き合わなかったのは政府ではないか。
日本にこそ非があると、中国ははばからずにデタラメをいう。わが国の名誉は貶められているのに、ビデオすら限定公開という姑息(こそく)な形で、政府は済ませようとした。恫喝に屈した戦後最大の外交敗北すら頑として認めない。これでは、何を言っても、もはや処置なしである。
◆本件船長は無罪放免
現時点の情報で見る限り、彼は国家を憂いて、確信犯でやったとまでは考えにくい面がある。この保安官の行動を見ると、後先考えずに、ネットアップしてあとで騒ぎの大きさにオロオロしていた印象が否めないのである。だからといって、領海侵犯に正面から向き合わずに不正をうやむやのうちに放免した政府にそもそも問題があったことは動かせない。
わが国の名誉が貶められて、なおそれを見て見ぬふりをして、領海侵犯という国家にとって深刻な事態をうやむやに片づけたことで、法と証拠で粛々と不正に臨む捜査機関への信頼はズタズタにされてしまっている。
領海侵犯劇の動かぬ証拠をネットアップした公務員の行為だけに絞って今さら国家公務員法違反で処罰したところで、本件である領海侵犯は無罪放免≠ナある。いびつだとは思わないのだろうか。本気で保安官を訴追するつもりなのだろうか。まさか日中関係に配慮して今度は訴追するつもりだろうか。
本質を置き去りにしたまま国民にも中国にも顔色をうかがう。終始、その場逃れの言いつくろいに満ちた場当たり的な対応を繰り返しているから、あらゆるところに齟齬(そご)をきたしているのである。
事件がどう転がろうと政府のダメぶりは何ら変わらない。政権の性根がにじみ出ている光景を国民はすでにかぎ分けている。政府は少しはそのことを真面目に考えた方がいい。(後略)
(私のコメント)
ようやくマスコミも仙石官房長官の暴走ぶりが危険だと言うj事に気が付いてきたようだ。自分の判断ミスを隠す為にさらに暴走を重ねるのは戦前の陸軍にそっくりだ。弁護士は法廷の場だけで法律論で言いくるめてしまえば終わりですが、政治の世界では結果責任が問われる。
しかし、菅内閣は結果責任も取らずに末端の現場職員に責任を押し付けてしまう。無理が通れば道理が引っ込むわけですが、政治主導といいながら後始末は末端の職員が負ってお終いにするつもりだ。これでは下からの情報も上がらなくなりさらなる判断ミスを重ねる事になる。
鳩山首相が辞任したのも、政権をとって首相になってみたものの外交の世界は甘いものではなかった。だから鳩山首相は辞任して総理bの座を投げ出した。菅首相もおそらく同じような気持ちでいるに違いない。菅首相はつかれきって胡錦濤との会談でもメモを読み上げる形での会談になった。これでは胡錦濤もバカバカしくなって22分で会談を切り上げるだろう。
トップが無能だと情報をあげても無駄ということになり総理の所には情報が集まらなくなる。会社経営でも情報は適切な判断を下せる人のところに集まり無能な幹部には情報が上がらなくなる。現場の事を一番知っているのは現場の人間であり外交でも同じだ。在中国大使館でも夜中に大使を呼びつけたという情報も間違いであり、日本側が会談を最初は拒否したから深夜になってしまったらしい。それを仙谷官房長官は知らなかった。だから余計に日中間が拗れてしまった。
こうなると菅総理も仙谷官房長官もハダカの王様であり、官僚たちをどやしつけても余計に情報が上がらなくなる。情報を上げないと言うことが官僚たちの抵抗手段であり、都合の悪い情報をマスコミにリークして政権を揺さぶる。仙谷官房長官も公務員改革を先送りにすることで官僚を味方につけたつもりだったのでしょうが、判断ミスが重なり官僚たちに見限られてしまったようだ。
外交交渉はまさに情報戦なのですが、官邸がツンボ桟敷に置かれてしまえば外交交渉は最初から負けたも同じだ。外国には外務省ばかりでなく中央情報局もあって懸命になって情報を集めている。しかし日本の菅政権は外務省すら通さずに二元外交をやっているから交渉がおかしな事になってしまう。
異様に思ったのは尖閣問題が日中間の大問題になっているにもかかわらず、菅首相がビデオを見ていないと言うことだった。これでは最高責任者としての判断が下せないだろう。菅総理は政権を投げ出したくても6月に総理になったばかりだから辞めるに辞められない。だから仙谷氏が仕切る形で政権が続いている。
安倍、福田、鳩山と途中で首相を投げ出す事が続いていますが、基本的には年功序列でやる気が無くても首相になる事が出来るからだろう。半年か一年でも務めれば首相として名前を残す事が出来る。本人はそれでもいいのでしょうが、政治のミスを押し付けられる国民がたまったものではない。
日本が失われた10年とか20年とか言われていますが、政治が機能していないから首相がコロコロと代わっても少しも良くならない。橋本総理も銀行がこれほど酷いとは知らなかったと言っていましたが、それを知らずにビックバンを押し進めてしまった。現場のことが分からない最高責任者は当然判断ミスを犯すようになる。
外交にしても同じであり、中国にしてもロシアにしても日本に対してサインを送っているのですが菅首相がそれに気が付かないから尖閣問題が起きたり国後訪問が起きたりしてしまう。無能であるから問題が余計に拗れてしまうのです。一人の人間の能力には限界があるから組織から立て直さなければなりませんが、情報局を作って優秀な人材を集める事だ。
外国の大統領にしても多くの部局や人材が大統領を支えていますが、最終的には大統領が有能でなければどうにもならない。会談にしてもこちらのペースに乗せるにはそれなりの手腕が必要だ。しかし国民からは政治家の能力を見ることがなかなか出来ない。
改めて菅直人のブログを見て見ましたが中身が無くてスカスカだ。情報が集まっていない事を伺わせますが、優秀なスタッフがいないからだろう。だからブログで政治家の資質を判断する事も一つの材料でしょう。しかし日本の政治では有能さよりも年功序列で政党の幹部を長く続けていれば総理大臣になれる。はたしてこれでいいのだろうか?
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