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日曜日はゆっくり、読書でもしていたい。たとえば海堂尊さんの、『ブレイズメス1990』あるいは浅田次郎さんの『終わらざる夏』。でも今日の世川さんの日記を朝から見たら『樅の木は残った』を読みたくなってしまった。しかし今日は「福祉のトップセミナーin雲仙2010」にこれからでかける。まー知ってる人は知ってるだろう元朝日新聞記者の大熊一夫さんがシンポジウムのコーディネーターをやるってわけで。
それよりも、『立ち止まって考えよう国民会議』準備会発足の趣旨をにこの大熊さんや、いろんなひとたちに訴えられたら、とおもってるんだけど。
みちばたの蝶:井ノ子俊一@長崎県島原半島
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山本周五郎『樅の木は残った』
2010年11月14日 07時07分19秒 | 05 文学篇
この20年近く、
小沢一郎という政治家を遠望していて、いつも感じたのは、
「この男は、政治家になんかになるのではなく、
学者になった方が、一番彼らしい生き方ではなかったのか?」
という、
生の選択を間違えた人間に対するある種の痛ましさだった。
僕の眼には、
小沢一郎という男は、
<自民党的政治家>と、まったく対極に位置する男だった。
<自民党的政治家>とはどんなタイプを指すのか、と言うと、
それは、実に簡単な話で、
自民党政権の末期、
政変(内閣交代)が起きるたびに、
あちこちのテレビに、チョロチョロと、蛸を押しつぶしたような顔を出して騒いでいた、
山本一太とかいう名の若い議員がいたが、
あの男が、その典型的人物だ、と思える。
1 出しゃばりの目立ちたがり屋
2 自分を実力以上に見せたがる自己顕示欲
3 すぐに徒党を組んで、そのリーダーになりたがる野心性、
およそ、男としては最低のような政治家だったが、
政権末期の自民党は、そんな政治家ばかりの集団になりさがっていた。
そうした自民党的体質とは、対極の場所に、小沢一郎は立っていた。
小沢一郎の集団の出来方は、
彼が集団を呼びかけるのではなく、
彼の実力に注目して、人の方から寄ってくる、
そんな集団の出来方であった、
という一点が、山本何とかに象徴される<自民党的政治家>と小沢一郎を、
決定的に隔てている。
と、僕には思えた。
山本周五郎の長編小説に『樅の木は残った』という作品があって、
僕は、山本周五郎の大ファンだったから、
若い頃、何十度も読んだ。
世に「伊達騒動」呼ばれる事件がテーマで、
原田甲斐という伊達藩の重臣の謀反劇を、
それまでの原田甲斐評価を逆転させて描き、評判になった作品で、
徳川幕府の外様大名取り潰し政策に巻き込まれ、
なんとか伊達藩廃絶を阻止しようと悪戦苦闘して、
やっと、それを成し遂げたにもかかわらず、
最後の最後で、不忠者として惨殺される物語だ。
その中で、
否応なく、その阻止活動の中心に行かされる原田甲斐が、
「厭(いと)わしい。
自分は、本当は、こんなことは厭わしくて、やりたくない」
と、
洩らす場面があって、
不思議と、そのため息に、共感を覚えた。
たとえば、
山本一太とかに象徴される<自民党的政治家>は、
小さな政治ドラマに自分が一枚噛むことことだけが生き甲斐で、
自分の存在価値の誇示を目論んで、生きていく。
彼らの視線は、「大衆の拍手を得よう」という一点にある。
しかし、
事の本質を見抜いた人間は、
もはや、「大衆の支持獲得」なんぞを通り越した地平を生きざるを得ない。
この20年間、
小沢一郎の姿が、原田甲斐に、ダブって見えて、
仕方がなかった。
くだらない政治抗争が勃発する度に、
「俺は、こんなことは、実に、厭わしい…、」
政治家にならなければよかった小沢一郎が、そう言っているような気がして、
少なからず、同情した。
もう一つ。
その作品の中に、
茂庭周防という、
原田甲斐の兄貴分、とでも言えばいいような重臣がいて、
甲斐の妻の兄でもあるのだが、
最初に、幕府の陰謀に気づき、
義弟の甲斐に助力を求め、二人で闘い始める。
だが、
周防は病弱で、途中で病死したため、
伊達藩廃絶阻止の作業は、原田甲斐独りの肩に背負わされる。
1年ほど前、
書店の立ち読みで、その作品を読み返していて、
何故か、僕の中で、
その茂庭周防という人物が、羽田孜という政治家と重なり、
ふ〜む、
と、思い当たるものを感じ、
自分の本を書き進めた記憶がある。
この作品の終盤部で、
原田甲斐に好意的な、里見十佐という老人が、
甲斐の口から、初めて、幕府の陰謀を知らされ、
「訴えればいいではないか」
と言った時、
原田甲斐が、
「訴える?
誰にだ?
自分たちを殺そうとしているのは、幕府だぞ?
その幕府を、誰に訴えるのだ?
訴える先があるならば、すぐに訴えるから、それを自分に教えてくれ」
とうめくように言う場面があって、
政治の本質をよくドラマチックに描いた作品だなあ、と感心したが、
原田甲斐のその科白は、
今の小沢一郎の心情でもあるわけで、
「訴える?
誰にだ?
自分を殺そうとしているのは、法権力であり、国民だぞ。
その法権力や国民を、いったい、誰に訴えるのだ?」
と、僕には、聞こえ、
しかし、
江戸期と平成期の違いは、
国民の意識は変えることができる、ということだ、と認識してきたから、
原田甲斐の言うように、
「耐えるのだ。
刺されたら傷を拭き、切られたら傷の手当てをして、ただひたすら耐えるのだ」
そんな戦いをやって、この世から消滅させられた組織に、僕自身がいたので、
「平成が22年も経った21世紀の今日、
小沢一郎にそういう古風な戦いをさせてはいけない」
と思って、
この場所にまで来てしまった。
これもまた、厭わしい話で、
誰か、代わってくれるなら、代わってもらいたい。それが本心だ。
などと言っても、
あっちもこっちも、政治好き人間ばかりみたいだから、
そんな言葉は、誰にも信じてもらえないか。
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