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http://www.youtube.com/watch?v=fyIhMIj-wRg
(11/13 )ロシアのメドベージェフ大統領が11月1日に北方領土を訪問と同じ時期に、ロシア人ジャーナリストが北方領土で撮影した最新映像を、入手しました。
ロシア化の進む国後島の素顔に迫りました。
11月、メドベージェフ大統領が北方領土・国後島を訪問していたその同じ時期に、1台のカメラがもう1つの北方領土を映し出していた。
戦後60年以上、日本人が見ることのできなかった素顔の北方領土をカメラがとらえた。
北方領土・国後島は面積およそ1,500平方kmで、沖縄本島より大きく、日本では隣の択捉島に次いで、2番目に大きい島となっている。
撮影日は、大統領訪問前日の10月31日だった。
空港から島の中心地・古釜布までの道路はすべて砂利道の悪路で、街中でさえも未舗装のままだった。
街中では、少年たちが携帯電話でゲームを楽しむ姿が見られた。
さらに、老朽化した家のそばで、カラフルな新築住宅が目立っていて、こうした家は、4世帯が暮らすアパートとなっている。
カメラは、ある家族を訪ねていた。
鉄工所で働くノディロフ・ベジスラフさん(50)は、奥さんと子ども2人の4人暮らし。
ベジスラフさんは、「(国後の生活はどうですか?)前は何もなかったけど、生活は少しずつ良くなってきている」と話した。
北方領土地域では2005年から、ロシア政府の始めた社会経済発展計画によるインフラ整備が進められているという。
一家が住むこの家も、計画による住宅供給事業で建てられたものだという。
しかし、ベジスラフさんの妻・ナディエシュダさんは「ここは教育施設が貧弱で、塾の先生もいないんです」と話した。
そして、ベジスラフさんも「子どもを大きく成長させるためには、どこかに出さなくては。(子どものために)将来、自分も引っ越すつもりだ」と話した。
実は取材の翌日、メドベージェフ大統領も国後島を訪問した。
島民の家庭訪問で訪れたのは、偶然にもベジスラフさんの家だった。
妻・ナディエシュダさんが「突然、ドアをノックされ、『今からお客が来るので待つように』と。長いこと待ったわよね?」と話すと、ベジスラフさんは「2時間半くらいかな」と話した。
ノディロフさんのニュースで流れたのは、同席していた友人だったが、ベジスラフさんも大統領と話をしたという。
大統領はこの時、長男のスラバ君に訪問の記念として、メッセージを書き残した。
メッセージは「スラバ、よく勉強しろ。あなたとご両親の幸福を」というものだった。
ベジスラフさんは「大統領は『ここの住民の生活が良くなるようにしなくては』と言っていた」と話した。
妻・ナディエシュダさんは「『島は発展する』とも言っていました。わたしたちはそうなると期待しています。信じています」と話した。
実効支配を強めたいとするロシアは、インフラ整備と生活水準の向上で、1万人を超える島民の定住化を狙っているとみられている。
実際、島では初めてとなるプールつきの大型幼稚園が開園を控え、さらに国後島には、これまでなかった空港も完成している。
大統領が訪れたスーパーマーケットでは、商品棚には早くも、前日の大統領訪問時の記念写真が飾られていた。
店員は「(何のために飾ったの?)記念よ。(それでお客さんは増えた?)増えたわ」と話した。
店には、野菜などの生鮮食品も並び、商品の品ぞろえはなかなか豊富に見える。
しかし、中には日本のガムなどもあった。
こうした日本製品は、水産物などの取り引きがある北海道から持ち込まれるという。
地理的に近い北海道との強い結びつきをうかがわせる北方領土。
実際、国後島には、日本の援助で建てられた日本人とロシア人の友好の家・通称「ムネオハウス」がある。
宿泊施設として使われている友好の家には、この時、スポーツ大会で周辺の島などから集まった子どもたちが泊まっていた。
子どもたちは「(何をしに来たの?)スポーツ大会があるんです」と話した。
北方領土の色丹島からやって来たこの高校生は、学校で日本語を学んでいるといい、「わたしはパリーナです。よろしくお願いします」と、日本語であいさつした。
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