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2010/11/08
見当違いの官僚批判
事業仕分けで、独立行政法人(以下、独法)がやり玉に挙がっている。官僚の天下り先であり、無駄な業務で税が使われていると言うわけだ。その通りだと思う。ただし毎度この種の議論では、本質的なところで違和感がある。
何が無駄であると判断するのかその判断基準については諸説あろうけれど、無駄な事業を無くすと言う点では誰しも異論無いだろう。だからこれはマル。本日の論点ではない。
問題は何故独法が必要だったのかと言う部分。曰く、官僚機構のピラミッド型が問題で、50歳代になってからの出世レースにおいて脱落した官僚の受け皿として天下り先が必要になった、という話。まあその通りだろう。
だが、では何故出世レースに脱落すると省を辞めなければならないのだろうか。分かるような気がしないでもないがやっぱり分からん。民間企業で、部長から上に行くのに、先を越されたからと言って会社を辞めるか?
なんで官僚だと辞める?その辺が説明されてない。出世レースに負けてカッコ悪いから辞める?んなバカな。ポストが無いから?んなバカな、公務員は降格が無いんだから。降格が無いから後がつかえるので、ポスト明け渡しの為に辞める?んなバカな、そんな話が通るなら民間は?
要は庁内で本来やるべき仕事を外に出しただけ、上に辞めてもらわなければ組織形態の上がつっかえて台形になるので。それを斜めにカットし、見た目の組織形態をピラミッド型に見せかけただけではないか。
では、何故そんな組織形態にするのかと言えば、たぶん上記のような内部的な事情ではなく、外的要因、つまり官僚が多すぎると言う批判をかわすためではないだろうか(←この理屈、実はあまり自信も根拠もないが)。
何故かマスコミの論調や民主党の論理では、官僚が諸悪の根源のように言われている。その根拠は国会答弁から始まり何から何まで、政治主導ではなく官僚に牛耳られているからというもの。モノは言いようだが、確かに牛耳られているなら問題だろう。
だが、牛耳られていると言う表現は、事実を表す言葉ではなく、或る行為に対する主観的評価だ。だから第三者が正確に事態を知るには牛耳られている行為が具体的にどういうことか知らなければ、他人の受け売りにしか過ぎない。
で、良く例に出されるのが、答弁は官僚任せと言う話。こう言う話を聞くたびに妙な違和感があるのだ。だって官僚は専門家中の専門家であり、そのために高い給料と身分保障がされているのではないのか。勿論答弁だけが官僚の仕事ではないが、官僚が自分の仕事の説明をするのは当たり前ではないのか。
だからむしろ、こうした場合に批判されるべきは、官僚ではなく、官僚任せの政治家なのである。例えば自分の上司が全くのデクの棒だったとしたらどうだろう、操るも操らないも無い、職務に忠実ならばデクの棒を好むと好まざるとに関わらず誘導せざるを得ないだろう。
大臣と言うポストを、単なる個人の名誉としか考えず、その職務を全うしようとしてこなかった自民党ゆえ、その配下に置かれた官僚たちは、彼らの言う事を聞いていたのでは国家が危うくなるし、またそうした上司としての指示も無いとなれば、ただのお飾りに過ぎないから、やはり好むと好まざるとに関わらず、官僚は事実上国政の最高責任者とならざるをえなかったのでないかと思う。
で、話は少し飛んでしまうが、拙ブログではマスゴミ批判を再三展開しているが、そのマスコミの取材も、実は我々が想像する以上に綿密で、記事にする以上の膨大な情報収集を行っている。では何故、かくも恣意的な報道が多いのかと言えば、いかな情報といえどもトップの判断次第ということだろう。
では何を持ってトップは判断するかと言えば、会社経営であったりトップ個人の思惑であったり様々だろうけれども、無視し得ない動機として国民の潜在的要求が有るのではないか。というか要求と言う程に能動的なものではなく、国民のレベルはこんなもんだろうと言う見込みだ。
政治家の母親が、他人からの献金を受けていては中立を保てないだろうからと、身銭を切って息子に献金したとしても、それが無名の政治家ならば美談になるが、首相ならば権力者の横暴に結びつけた方が国民には受けるので、偽装だ何だと書きたてた方が面白いと言う判断も働くのだろう。
この結果、事実の報道よりも事実に対する面白おかしい評価が先に立ち、せっかく現場の記者達が一生懸命に詳細な情報を取材したにも関わらず、結果的に恣意的で主観的な報道になってしまうのではないか。その結果マスコミ報道はマスゴミと揶揄され屑情報となってしまうのだ。
だが、当の記者たちの情報や努力は決してそうではない。とは言えこうした事が繰り返されると、現場で一生懸命足を使って取材するのもバカバカしくなって、スクープではない限り適当に仲間内で調整して、横並び記事で楽をしたくなろうというものだ。
結局記者個人の資質や情熱も、全体の流れの中で埋没してしまう。同じように、官僚さん達も、天下国家の為に、馬車馬のように働いてみても、アホなマスコミは理解はしないし、ろくな評価をしない。政治家も選挙の票ばかり気にして、真面目に国家の事を考えてはくれない。まあ、これは私の主観ではあるけれど、そういう気がする。
少なくとも私が個人的に知っている官僚たちは、皆真面目に天下国家を考えている。党利党略や大衆の受け狙いばかりを考えている政治家や評論家などよりよほどマジメだと思う。ただし純粋に国家の事だけを考えているかと言うと省益優先なのは否めない。
ただしこれも、一概には批判し難い。省益優先だけに夢中になり、これを最優先にしてしまうと天下国家もヘッタくれも無いが、力や場の確保と言う点では選挙活動に似る。政治家の目的は選挙活動ではないが落選してしまえば、全てが無になるので、手段としては重要、それと同じだ。
なんて言うと、ちと官僚側に寄りすぎか。まあ、この辺はほどほどに願いたいものではある。いづれにしても、自分の知る限りにおいては、官僚達は今の日本において一番、日本国の事を考え働いている。そしてその働き方もハンパではない。
労働時間の長さ、一生懸命働くと言う点では、民間企業も同じだろうが、その働き方が上司に言われてというより、自発的能動的という点と働く目的が国家の為という点で、官僚と民間企業戦士は違っていると思う。民間企業人は別に天下国家の為に働いたりはしない、どんなに美辞麗句を並べても、民間は己が企業と自分の利益のために働くのである。
だから何を根拠に、脱官僚と騒ぎ、十羽ひとからげに官僚を否定するのか、私にはさっぱり分からない。官僚の天下り禁止と言うのも、全くナンセンス極まりない。あれだけの頭脳と経験を定年退職したからとて放っておく手は無いだろ。そんなことすれば国家的損失だ。
だから、定年退職した官僚の技術と知識を民間企業で活用すべきだ。問題は天下りではなく、天下りした企業に対して官製談合が起こる事が問題なのだ。そして誰よりも、官僚を受け入れた企業は、その見返りに入札指名をもらい、管制談合を仕組む。
天下った役人達は、優れた知識と技術を持っているのに、受け入れた企業側は、こうした使い方しかしない。だから受け入れる官僚の能力なんて実際のところ全く関心が無く、地位だけが問題となる。だから天下った官僚も可哀そうである。
ただし、この辺は県レベルの天下りとは異なり、官僚の天下りともなれば、個々具体な入札指名ではなく、もっと大きな会社全体の売り込みとかのレベルだ。だから、余談だが、いづれ天下り先の社長になる事が多い。
話を元に戻してと、とにかく官僚は優秀であり、誰よりも国家の事を考えている事は間違いないし、官僚の力を借りなければ、民主だろうが自民だろうが国政を動かす事は不可能だろう。というか、コロコロ変わる大臣が官僚抜きで国政を牛耳ったら、ど素人だから、どえりゃー事になる。
今回の尖閣問題なんか、その典型だろう。
本日これにて、
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