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8日の衆院予算委員会で「規模が小さく、財源がいいかげん、地方への配慮もない」と、自民党石破政調会長が政府提案の補正予算案を批判した。その批判が的を射ているかどうかは別として、予算委員会での発言としては相応しい。だが、その後に続いた自民党塩崎元官房長官は、尖閣ビデオのネット流出に関する政権批判の発言であった。これに、誰も何の不思議も感じないのだろうか。
「予算委員会は予算の審議をするところである。ところが国民は予算委員会で予算の議論を見た事がない」と、ジャーナリストの田中良紹氏は書いている。どうしてそうなったのか。55年体制下の野党社会党は、もともと政権獲得を目指す政党ではなかった。従って、国民受けをする政策をある程度、予算案に反映させる。反映できなくても、アピールすることの場として予算委員会を位置づけていた。
しかし、長年の自民党政権下で、予算案は自民党政調会部会と各省庁の間で出来上がり、予算審議を通して予算案を内閣が修正するなどあり得なくなった。仮に、野党が個々の政策について質問しても、回答するのは各省庁の官僚であった。大臣に回答を求めても、官僚の掌に乗っているのだから何も得るものがない。こうなると、予算の中身を質問しても、結局は徒労に帰することだけになって行った。
従って、野党がその存在感を示すには、結局、政治スキャンダルを追及することになった。昔、社会党には「爆弾男」と呼ばれた議員がおり、予算委員会で、時の政権の足許を揺るがすような質問した。このような予算委員会の審議の「ツケ」が、膨大な赤字国債発行である。「事業仕分け」などは、本来予算委員会が正常に機能していれば必要の無いことだと言える。
それでも赤字国債が発行されるまでは、予算額の総枠に無言の圧力があった。だが、その枠が取れた後は、赤字国債を発行し、族議員と霞ヶ関の官僚は、国家予算を膨らませた。その結果が900兆円の赤字国債残高である。こう云う反省の上に立てば、野党自民党が「規模が小さく、財源がいいかげん」と批判をしたからには、後に続く質問では、補正予算案の中身についての質問か、新しい提案になるべきだ。
予算委員会で、野党が内閣の批判や、政府与党のスキャンダルを攻撃すれば、内閣や与党の支持率は下がるだろう。だが、自民党が政権復帰を目指すなら、自らの政策をアピールすべきである。予算委員会を、政府与党のスキャンダルを追及する場だと、昔の社会党の真似をしている限り、自民党は政権復帰の道が遠のくだけである。
野党自民党には、与党時代に野党に審議拒否などで痛めつけられた思いがある。だから、補正予算案の衆院通過を条件に、小沢氏に政倫審への出席を求める。野党がこのような姑息な手段に訴えるなら、岡田幹事長は「小沢氏に政倫審に出席し自ら弁明するよう改めて求める」などと間抜けな記者会見をするより、小沢氏にどのようにして政局を動かすかの教えを請う方が先だろう。岡田氏の「器」の大きさが問われる。
岡田氏の「器」が小さいなと思うのは、民主党内での政争を、野党との国会審議の場に持ち込んでいることである。先の見通しもなく野党の言い分を聞き入れる。そこには政府与党として「毅然」とした姿勢は何も見えないではないか。予算審議を進めるための取引など止め、堂々と予算案の中身の審議を進めるべきである。野党が審議拒否をすれば、その是非を、マスコミを通して国民に問いかけることだ。
田中氏は「この国の国会はおよそ民主主義とは縁遠い政治パフォーマンスにうつつを抜かしてきた。(中略)そのくせ国会が最重要の課題としなければならない国民生活に関わる議論を(予算委員会が)しなくとも誰も批判しない。民主主義の根本が狂っている」と書いているが、当にその通りである。民主党は「国民の生活が第一」で政権を獲得したのである。予算委員会が機能しないのなら、この看板を降ろすことだ。
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