http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/259.html
Tweet |
http://eiji008.blog19.fc2.com/
なんだか、尖閣衝突映像流出事件の犯人探しにかこつけて、ネット言論規制に正当性を与えたい権力者たちの底意が仄見えないでもないキナ臭さに、鼻がむずむずして仕方のない今日この頃。為政者にとって、「情報の独占・統制・操作」こそが、首尾よく国民を統治するうえでの、必要不可欠な要素だった。
露骨にそれが行えた戦前・戦中の軍部ファシズムが滅んでも、「戦後民主主義」の仮面を被り、もっと高度で複雑な「情報の独占・統制・操作」が為されてきた。その端的な例が、マスメディアの屋台骨である、大新聞だ。新聞各社は「国民の知る権利を守る」とか「権力を監視する」とか、一見、「民主的な顔」を標榜しつつ、裏で体制権力とのべったり関係を維持し続けてきた。体制権力の「情報の独占・統制・操作」のお先棒を担ぐ役割を積極的に行うことにより、記者クラブという延命維持装置の中に安住してきたのだ。
考えても見るがいい。もし、ネットも何もない世の中で、たとえば、今回の小沢氏にかんする、検察による一連の捜査が行われたとすれば、誰も小沢氏を擁護する者などいなかっただろう。昔からのクセで、「自民党的な利益誘導型の政治家」には、批判の目しか向けてこなかった、僕のような「左翼くずれ」などは、常軌を逸したマスコミの偏向報道にコロリと騙されたクチだろう。ちょうど、いまだに、十年一日のごとき硬直した「金権政治批判」としての小沢バッシングを、自公と口を揃えて行っている日本共産党のように。
恥ずかしい話だが、僕は鈴木宗男さんが事件の渦中にあるとき、マスコミの偏向報道を鵜呑みにし、完全に、宗男氏を度し難い金権政治家だと思い込んでいた。歌手の松山千春の熱烈な応援ぶりに、「同郷というだけで、どうしてあんなに持ち上げることができるのだろう」と、軽蔑の念さえ、抱いていた。しかし、今となっては、見方は180度変わった。小沢さんが受けた攻撃は、小沢さんにとってはかなりの打撃となったが、しかし、検察とメディアがタッグを組んでの「一大捏造ムーブメント」の実像を、僕らの眼前に、まざまざ見せつけてくれるきっかけとなった。
そこから、さかのぼって、宗男さんの「事件」を見るとき、これこそが、「国策捜査」「国策報道」の「雛形」であることが、よく理解できる。宗男さんの事件から想起させられるのは、例の「ムネオハウス」だ。北方領土に、自身の名を冠した施設を作らせるなんて、なんという僭越なやつだ、と、当時はそう思った。しかし、この「ムネオハウス」は、実は共産党の議員が勝手にでっちあげた「造語」であることを、最近、知った。その命名の妙に、メディアが飛びつき、それが独り歩きして、その年の「流行語大賞」にまでなった。なんとも、ひどい話である。
宗男さん曰く、ロシア人というのは、基本的に自国語を尊重する民族だから、英語である「ムネオハウス」などという呼び方は絶対にしないそうだ。こういう、「わかりやすい呼称」で、イメージ操作をするのは、マスコミの得意技であろう。小沢氏の件でも、「胆沢ダムは小沢ダム」というのがあった。誰も実態を証明できない「支配構造」が、いかにも存在するかのようなイメージを他者に与える「キャッチコピー」だった。
結局、宗男さんにかけられた容疑は、「やまりん『事件』」「島田建設『事件』」の受託収賄罪(これさえも、弘中弁護士によれば、無罪の可能性が大ということだ)であり、そこに「ムネオハウス」は、何の関係もない。要するに「ムネオハウス」という呼称は、鈴木宗男氏の「悪党性」を、端的に「表現する」、いや、デッチあげる小道具として使われたのだ。この当時、「鈴木宗男バッシング」がどんなにひどかったか。その典型的な例を、ふたつ、あげよう。
あるテレビ局で、「ムネオ旗」なるものの存在が、まことしやかに報道された。その旗は、熊をモチーフにした、実在した宗男氏の旗だが、その旗を500万で買い、船に掲げると、ロシア領で密漁のし放題、越境のし放題、要するに「手形」として機能したというのだ。もちろん、それは「事実無根」なのであるが、こういう荒唐無稽なデマを、記者クラブの一角を占めるメディアが、根拠もなく垂れ流したということに呆れさせられる。日ごろ、威張りくさり、ふんぞりかえっている記者クラブメディアの「レベル」が、この程度のものだったということを、肝に銘じよう。
僕ら素人のブログでさえ、こういう「ゴミ記事」を載せれば、信用を落としてしまうことが、容易に想像されるのに。もうひとつは、「鈴木(宗男)踏み切り」にかんすることだ。宗男氏は、パブリックなものであるはずの踏み切りにさえ、自分の名前をつけさせている。そういう報道が流れたというのだ。しかし、鈴木氏いわく、「私の土地を通らなければ、その踏み切りを渡れなかったので、便宜上、そこは『鈴木踏み切り』と呼ばれたことは確か。しかし、その隣の踏み切りは、たとえば田中さんの土地に隣接していたので、『田中踏み切り』と呼ばれ、その隣の踏み切りは、佐藤さんの土地に近かったので『佐藤踏み切り』と呼ばれた。」
しかし、マスコミは、鈴木家に隣接した踏み切りのみを、宗男氏の権力で、「鈴木踏み切り」と呼ばせているかのように報道したのだ。僕は一度だけ、北海道に行ったことがあるが、訪問先の家を探すとき、ある家で「○○さんの家はどこですか?」と訊くと、「ああ、隣だっぺ」と教えてくれる。なんだ、隣か〜と思って、「熊出没注意」の看板に怯えながら、原生林の中に敷かれた国道を10キロほど走って、やっと「隣の家」にたどりついた思い出がある。それほど、家と家の間が、広いのだ。「ナニコレ珍百景」であった、バス亭の「高橋家前」とか「山田家前」とかの名前は、狭くゴミゴミした内地では珍百景だが、広い大地の北海道では、面白くともなんともないことなのだ。
こういうデタラメは、絶対に許してはならない。「真実」を軽んじ、「操作」を重視する姿勢がもたらすものは、「虚構」と「捏造」に他ならない。僕は素人のブロガーだが、ものごとを発信する、同じ立場の者として、こういう体質に対しては、軽蔑の念しか、沸いてこない。しかし、「ネット」の登場で、この国に存在しているのは、ただ、操作されるがままの、愚かな大衆ばかりではなくなった。われわれは、長い間、この国に君臨してきた記者クラブメディアの支配下から、ようやく脱することができた。
そして、もっとも真実に導いてくれるアイテム、「twitter」の出現と、小沢氏への検察捜査が同時期にあったこと。これは、まさに「不幸中の幸い」であると、言わねばなるまい。
「そうは問屋はおろさないぞ」
「もう二度と、操られないぞ」
そう、叫びながら、マスコミの欺瞞、嘘、謀略を、これからも、常に暴いていこうではないか。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK99掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。