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連続転載で申し訳ありません
みちばたの蝶:井ノ子俊一@長崎県島原半島
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昨日は、24時間起きていて、22時間、パソコンと向かい合った。
そのくせ、今日も睡眠時間4時間で眼が覚め、
またパソコンに向かい合って、半日を過ごした。
背筋がゾクゾクしてきたので、
さっき、コンビニに行って、ホカロンを買って、背中に貼り付けたところ。
最近のお前は、なかなか責任感の強い、いい男ではないか。お利口だぞ。
誰も褒めてくれないから、
自分で自分を褒めてやった。
昨夜から、
僕たちの主張に賛同して参加を希望するメールが届き始め、
どの人も、
姓名を名乗り、
住所、電話番号、年齢、
そして短いコメントを書き込んでくれていた。
その文面を読みながら、
僕は、
少し、
感激にむせんだ。
この世の中、まんざら棄てたもんじゃないな、
しみじみ、そう思った。
お蔭で、
会員総数は、250人を超え、
目標にしてきた今週中の300は、もう夢ではもうなくなった。
呼びかけに応じてくれた皆さん。
本当に、ありがとう。
本題に入る。
この1年半に及ぶ、<小沢一郎抹殺キャンペーン劇>を見つめていた僕に、
特に、
小沢一郎が民主党の代表選に敗れ、検察審査会の「起訴相当」議決を受けてから、
小さな不満が、心の奥に、いつか、凝(しこ)り始めた。
それは、
小沢一郎を抹殺しようとする側の人々に対してではなく、
巷間、「親小沢一郎」と言われてきた国会議員や地方議員たちに対してだった。
何故、
親小沢と言われる彼や彼女たちは、
小沢一郎擁護の声を、大きくして、国民に語らないのか。
何故、
小沢一郎に対する理解を求めようと、国民に大声で訴えないのか。
何故、
小沢問題を避けるかのようにして、口を濁して通り過ぎようとするのか。
それが、僕には、小さな不満として、しこり続けて、膨らんできた。
政治現場と無縁な僕たち一国民は、
小沢一郎が殺されようが首相になろうが、
それはそれなりの過ごし方をして、それからを生きていける。
しかし、
小沢一郎の政治理念を<指標>として政治現場に立つ彼や彼女たちは、
小沢一郎が抹殺されたなら、
たちどころに、その政治基盤を失うはずではないか。
彼や彼女たちにとって、<小沢一郎抹殺キャンペーン劇>とは、
文字通り、「我がこと」であるはずだ。
それなのに、
大半の親小沢議員たちは、行動をおこそうとしない。
「この人たちは、
卑怯者なのか?
馬鹿なのか?」
僕は、そんな疑問に、首を傾(かし)げ続けた。
今回、
<75人>の仲間とこの運動を立ち上げようと決心してから、
僕は、わずかな伝手(つて)を頼って、何人かの国会議員に面会を求めた。
もちろん、
会ってくれる議員のほとんどは、
親小沢と言われる人たちだった。
そうした人たちの話の中に、
「私たちがあなたたちの組織に名前を出すと、
我々が裏で操っているみたいに思われるから、それが心配で…、」
という言葉が、沢山出た。
「そうですか」
と答えながら、
僕は、
「それ、あなたたちのうぬぼれだよ」
と思った。
僕たちは、
彼らが動こうともしない時に、意志を行動に移した人間たちだ。
自分自身が動こうとしない人間にあやつられるほどの愚かではない。
しかし、
世間の視線を気にする彼らには、
そうした風評が発生することは、懸念すべき重大事である、
かように見えた。
「それなら」
と僕は思った。
語れる環境を作ったなら、
親小沢と呼ばれる彼や彼女たちは、
小沢一郎に対する理解を、国民にきちんと訴えるのか?
自分の小沢一郎に対する思いの丈を、率直に語れるのか?
それを見てみたい、
と、激しく思った。
僕は、
つたない限りの『泣かない小沢一郎が憎らしい』という書の中で、
「小沢一郎は敗れ続けた男だ」
と書いてきた。
僕の認識の中での小沢一郎は、敗けっぱなしの男だった。
しかし、
この小沢一郎という政治家が、きわめて<男らしい>のは、
どの闘いでも、
力不足の取り巻きたちに担がれて、一軍を指揮して闘い、
そして、無残に敗れながらも、
一度たりとも、自分の兵の不足や悪口を言わず、
言い訳もせず、
また寡黙に次の闘いに向かい続けたことだ。
「敗軍の将、兵を語らず」
という言葉があるが、
彼は、それを頑(かたく)なに守ってきた。
僕たちが、小沢一郎を高く評価する一つに、
彼のそうした「将としての潔(いさぎよ)さ」があった。
だから、
と、僕は思う。
だから、
小沢一郎という敗軍の将に従って闘い、敗れた兵たちは、
逆に、
将を語るのだ。
語らなければならないのだ。
何回でも、
何十回でも、
何百回でも、
実情を知らない国民に向かって、
敗軍を指揮した小沢一郎という将の立派さを、人となりを、
語って、
語って、
語り続けるのだ。
それが、
せめてもの、彼らの誠実というものではないか。
小沢一郎を政治現場から追放しようとする勢力が、
最後の詰めに移ろうかとしているこの時期に、
世間の視線がどうだとか、
マスコミの攻撃がどうだとか、
そんな低水準の話ではないだろう。
将である小沢一郎一人を法廷に立たせ、
本来は無縁の衆生にすぎない数百人の国民にデモまでやらせ、
自分だけは、無傷でこの事態を通り過ぎようなどとするのは、
政治家として以前に、
一人の自立した人間として、
間違っている。
と、僕は思う。
あなた方もまた、永田町や、選挙区から、出てくるのだ。
僕たちの呼びかけに応じるといった消極的参加ではなく、
あなた方が敬愛ずる小沢一郎のために、
あなた方自身が、
あなた方の意志で、
そうした場に、積極的に、下りていくのだ。
そうした、自らも傷を負うのを厭(いと)わない気持ちになって行動しない限り、
数年かけて垂れ流され、定着してしまった「小沢一郎悪人説」を、
この平成日本社会から霧散させることはできない。
親小沢と呼ばれるあなた方は、
いま、
そうした勇気を求められているのではないのか。
僕たちのこういう声に応えてくれる政治家たちと共闘したい、
と、
僕と僕の仲間たちは、
いま、思っている。
そんな勇気と誠実を持った「親小沢国会議員」が、
一人くらいは、この国にいないのか。
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