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『寡黙なる巨人』
2007年7月31日 第一刷発行
小林秀雄賞受賞
転載許可済
愛国心とはなにか
愛国心は自然発生的に生まれるものである。おそらくは、人の生来の帰属本能の現れであり、遠くはそんなDNAに起因する本能的なものであろう。でも、どの国に帰属するかは、もちろん生まれ育った環境によって決まる。
外国にいる日本人は、例外なく日本に対する愛国心を持っている。離れたところで自分を客観的に見る機会があると、愛国心が見えてくるからであろう。一世、二世の方たちは、熱烈な愛国者である場合が多い。戦争で祖国に裏切られたにも拘らずだ。三世、四世になると育った国への帰属心に変わる場合が多い。愛国心のDNAは、環境に適応して発現する。
愛国心の形成は、自国の伝統や歴史、文化に依存している。伝統や歴史を重んじる心、文化を尊ぶ心さえあれば、必ず愛国心は発現される。優れた科学者、芸術家は国を愛する心を持つ。キューリー夫人、ショパンなどの、祖国ポーランドへの帰属意識はいうまでもない例である。それは彼らの成果が、自国の文化に帰属するという心を持っているからだ。
だから愛国心は、ほうっておいても育つ。伝統や歴史、自国の文化を愛する環境が培養器になるのだ。
愛国心の教育など百害あって一利無しだろう。愛国心教育というと、必ず戦前と同じくナショナリズムに陥ることは目に見えている。戦争を知っている世代の人は、こういう教育の恐ろしさに懲りているはずだ。
もしこのごろの若者に愛国心が欠如しているというのなら、愛すべき日本の伝統や文化が失われている証拠ではないかと疑うべきである。それこそ大人たちが、反省すべき点である。
愛国心教育より、日本文化の立て直しのほうが大切である。
その一つである地方文化が、無分別な市町村合併で崩れ去ろうとしている。大切な歴史的名称も失われてしまった。帰属意識の大きなよりどころが失われているのだ。地方都市の特性がなくなれば、愛郷心などない、はぐれものの世界になる。それがもう始まっている。愛国心など生まれる余地がない。
本当に国を愛する心は、自国の文化を享受し、生まれた町や村を懐かしみ、国の歴史を客観的に見ることから、自然発生的に生まれる。そのとき自国が果たした歴史上の役割、他国に与えた痛みまで知ることによって、自国のアイデンティティーに対する帰属心が確立され、初めて健全な愛国心が生まれるのである。
国を愛する心は、愛国心の押し付け教育によっては育たない。愛国心教育の議論は、戦前のナショナリズム教育賛美に陥ることにならぬよう留意すべきだと思う。愛国心のDNAが、健全に発現する文化的環境を作ることのほうが大切である。いまの教育改革などで、作られるものではない。p-148
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■多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010年4月21日)は、日本の免疫学者、文筆家である。東京大学名誉教授。
50代になって執筆活動を多く行い始め、『免疫の意味論』(青土社、1993年)で大佛次郎賞[1]、『独酌余滴』(朝日新聞社、1999年)で日本エッセイスト・クラブ賞、『寡黙なる巨人』(集英社、2007年)で小林秀雄賞を受賞。
能の作者としても知られ、自ら小鼓を打つこともあった[1]。作品に脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島から強制連行された人を主題とした『望恨歌』、アインシュタインの相対性理論を主題とした『一石仙人』、広島の被爆を主題とした『原爆忌』がある。
2001年、滞在先の金沢にて脳梗塞となり声を失い右半身不随となる。しかし執筆意欲は衰えず、執筆活動を続けた[1]。晩年まで文京区湯島で永住した。
2006年4月から厚生労働省が導入した「リハビリ日数期限」制度につき自らの境遇もふまえて「リハビリ患者を見捨てて寝たきりにする制度であり、平和な社会の否定である」と激しく批判し、反対運動を行っていた。2007年12月には『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』(青土社)を刊行した。
2007年には親しい多くの知識人とともに「自然科学とリベラル・アーツを統合する会」を設立し、自ら代表を務めた。
2010年4月21日、前立腺癌による癌性胸膜炎のため死去[1]。76歳没。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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