三宅さんよりお祖父ちゃんの方に興味わいてきたので追加。 __________
台湾は日本の鏡です
石田博英元労相スパイ説は真実か
2006/4/9(日) 午後 0:18 http://blogs.yahoo.co.jp/kim123hiro/31332795.html<全文転載> ●上海領事館員自殺事件がきっかけになったのか、雑誌正論が三ヶ月連続で諜報問題を特集している。それを読むと、ソ連を中心に共産陣営が、世界的な規模でのスパイ作戦を展開していた模様が理解できる。特に正論4月号に掲載されている、中西輝政京都大学教授の「中国の対日工作を予言していた米国“防諜官”の驚愕証言に学べ」には、驚くべき事実が記されている。
● 中西輝政といえば、国際政治の権威である。その人が、“私は信ぴょう性の高い公開文書だけを頼りに“諜報問題”を研究していると断りながら、“ミトローヒン文書”を中心にして、述べているのである。この文書は、旧ソ連のKGB文書課長だったバシリー・ミトローヒンが、ソ連から持ち出したKGB文書を基にして書かれており、信ぴょう性は極めて高いと評価されている。 ● 「本書で名前の挙げられているKGBのエージェントで、最も衝撃的なのは、自民党の石田博英・元労働大臣である。この石田氏で注目すべきは、昭和48年、日本の首相として17年ぶりとなる田中角栄首相のモスクワ訪問の露払い役となっていることである。その際、田中首相はソ連と資源問題で接近しようとした。それを警戒したCIAが、田中首相をロッキード事件で 失脚させたという説が根強くある。 ● また石田元労相は、昭和52年、日本のモスクワ駐在大使がソ連のいわゆる反体制知識人と会ったことを理由に、大使の召喚を当時の福田首相に強く迫ったというKGBの文書がある。同書には、昭和58年に衆議院副議長になり、昭和61年になんと勲一等旭日大綬章を受章した社会党左派の勝間田清一氏も出てくる。」 ● 日本共産党が当時ソ連と仲違いをしていたため、社会党左派には、多数の議員がエージェントとして名を連ねているという。社会主義革命を夢見ていた社会党左派の連中が、こういう始末になったのは、ある意味で理解できるが、理解できないのは保守の実力者であった石田博英氏の場合である。 ● 石田博英氏といえば、日本の戦後政治史を飾った伝説的な人物である。石田氏は、昭和21年4月の衆議院選挙に出馬し当選した。石田の名を高めたのは、鳩山一郎首相引退後の自民党総裁公選であった。石田は石橋湛山の参謀として総裁選挙に臨み、1位岸信介、2位石橋湛山、3位石井光次郎なったとき、二、三位連合を工作し見事成功させた。そして、石橋内閣の官房長官となったが、この内閣は石橋の病気により二ヶ月で崩壊した。 ● 石田氏は、石橋湛山首相退陣後、成立した第一次岸内閣で労働大臣に就任、以後6期にわたり労相を務め、岸退陣後も池田勇人内閣でも労相となり、豪腕と熱意で三井三池争議を解決したことでも有名である。 ● もう故人となった人だから、反論はもちろん出来ないが、これだけのことが提議されながら、国会やマスコミで大きく取り上げられないのが、私としては不思議である。これは例の“偽メール”問題などより、よほど重大な問題なのだ。自民党からも、石田氏の周辺からも何の反論もない。社民党からもない。また国会で論議されたという新聞報道もない。そう言えば、上海領事館の自殺問題が、真剣な論議されたという話も聞かない。 ● 肯定したくない話だが、中西輝政教授が信ぴょう性の高い資料を基にして書くのだから、事実なのだろう。外国に対して国を売るような行為をすると、後世、それは必ず暴露されることになる。汚職天国と言われる中国と関係を強めている人、媚中派といわれる人も用心しておいたほうがよい。情報公開や予想される中国の体制崩壊によって、益々その可能性は高くなるからである。 ● KGBといえば、私個人としての関心事が一つある。地方議員をしていたころ、1980年代だったと思うが、日本国内の地方自治体で革新陣営の先導により、核兵器廃絶平和都市宣言が争うように出された。最近、あの運動にもソ連のKGBから資金がでていたという話を聞いた。あの波に翻弄された一人として、その真実を知りたいものである。 ____________ 石田博英 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E5%8D%9A%E8%8B%B1
石田 博英(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月12日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。あだ名は「バクエイ」(博英の音読み)。 衆議院議員(14期)、労働大臣(第14・17・18・22・23・39代)、運輸大臣(第47代)、内閣官房長官(第16・17代)、衆議院議院運営委員長(第6代)、二日会会長等を歴任した <略> KGBとの関わり[ソースを編集] 元ソ連国家保安委員会(KGB)の在日職員で、1982年にアメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコの証言では、石田が「フーバー」というコードネームを持つKGBのエージェント(スパイ)であったと指摘した(レフチェンコ事件)[4][5]。しかし、日本の警察とCIAによりレフチェンコ事件の調査が行われていた1983年に突如石田が政界を引退したことで、石田に対する捜査は終結し、機密情報の漏えいは無かった事とされた。 ●レフチェンコ証言の信憑性は高く、産経新聞社も1983年5月24日付朝刊で「レフチェンコ証言は全体として信憑性が高い」と報じた。また同年5月25日衆議院法務委員会で、当時警察庁警備局長の山田英雄が玉澤徳一郎の質問に以下のように答えている <略> ____________ 石田博英の足跡(全ては労働者のために) https://mobile.twitter.com/bakueibot<抜粋>
@bakueibot 秋田県大館市 石田博英氏の発言などを紹介するアカウント。元自民党衆議院議員(旧秋田1区) 元官房長官(石橋内閣・岸内閣)労働大臣六期、運輸大臣等を務める。徹底して労働者側に立った施策をとったことで知られる。三宅雪子前衆議院議員は孫にあたる。 <略>
|