http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/532.html
Tweet |
これは特にれんだいこ氏への反論というのではないし、又批判でもありません。
共感する部分もありますし、改めて気付かされたポイントもあったり、結構重宝しておりますからね。
ただ、氏とは全く異なる視点を提示することで、田中角栄や毛沢東に止まらず、また左翼の問題に留まらずに、世界と現在について、全く違った理解の仕方も在り得ることを示しておきたいのです。
かの「60年安保」の際、亡くなった東大生樺美智子さんを毛沢東は”民族の英雄”と褒め称えました。
この発言に当時多くの左派勢力は当惑したり、鼻白んだそうですが、今日から振り返ると、明らかに毛沢東は的を得ていたのだと思います。
何故なら、(私がこの板で繰り返して言ってる様に)、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が同時に発効している事から解る通り、戦後体制とは(米軍支配を根底に置いた)隠蔽され(継続し)た占領体制と言うべきであり、従って戦後日本の「反安保」を中心とする反体制運動は、米軍の占領支配とそのカイライ政権への抗議・抵抗ということで、今日のイラクやアフガンでの反政府及び反米レジスタンス運動と同じとも言えるからです。
言うならば、「左翼」という洋服を脱いだら、そこに現れるのは「民族」という身体であったということです。
全く同じ事が中国についても言えます。
多くの人が、「共産党」と名乗っているのだから「共産主義者」であり、「左翼」だと見做しているようですが、その意識の在り様等を観れば、官僚、或いは統治政党に近かったかっての自民党のメンタリティに近いと見るべきでしょう。
それは中国の近代史を捲って観れば直ぐに分かることだし、毛沢東の来歴を見てみても、そもそもがそういった左右の概念で測るべきではないことは気付かれるはずです。
若き日の毛沢東が、故郷を出立する時に、父宛の手紙で、自らの志しを「西郷隆盛の詩(実は月照作)」に託して送ったことに表れてる様に、或いはその後も、西郷の志しを受け継いだ玄洋社等との交流にも覗われる如く、彼本来の立ち位置は、孫文同様、幕末日本の攘夷派及び近代日本の亜細亜派とも一部立場を共にする、大アジア主義というべき立場に在ると思われるからです。
私自身、毛沢東を勝利した西郷隆盛と見做しており、彼が発動した「文革」は、「義和団事件」以来66年ぶりの、巨大な攘夷運動だったと思っております。 丁度それは、日本において、明治維新を頂点とする幕末以来の攘夷運動の70年ぶりの甦りが昭和維新の運動であり、それが対米戦争へと駆り立てて行ったこととパラレルだと思うのです。
そうして、西南戦争に至る過程で、攘夷派を切り捨てることにより近代化路線(脱亜入欧)に立つ日本の権力が確立したようにー日米戦後も又同様、東条等攘夷派を切り捨てることによって権力は再建されたわけですがー「文革」以降の「ケ小平路線」=近代化路線も又、「毛沢東」を封印することによって確立した、と言えます。
つまり、日中どちらも、攘夷派を排除することで近代化路線を本格的に推し進めることが出来た点では、同じなのです。
〉毛沢東は、感性的にも政治的にも徳球、角栄、大平に対して同志的であった。これに引き替え、野坂、宮顕に対しては敵性的であった。
これは、私は次の様に見ます。 野坂は李立三とか王明同様モスクワ派(隠れ西欧派)であり、宮本顕治は左翼の山県有朋、勿論これらは何れも長州。 そうして、徳田球一は琉球、薩摩の沖から登場したということで、言うなれば左翼版西郷隆盛。
そうして、更にこういったことを歴史的及び系譜的に眺めて見れば、折からの朝鮮戦争勃発に伴って、徳田等が目指したのが、幕末以来、<夷敵>の中心、即ち<主敵>であった米国の軍事覇権に抗する日中韓の武装連帯ー即ち、明治維新の大義名分であり、西南戦争の真因であった<攘夷>の実行であったことが見えてくるのです。
だから、これを逆に見たら、西南戦争に至る過程で、西郷派(アジア連帯派!)を切り捨てることにより近代日本の権力が確立したように、徳田派乃至所感派を切り捨てることで宮本顕治の主導権も確立された。 他方それによって、共産党は国際性を失い、ドメスティックな(内治型の)政治集団と化していった、ということも言えそうです。
これらで分る通り、共産党(という左翼権力)の戦後の軌跡は、近代日本の権力の矮小再生産したものであった、ということです。
〉つまり左派圏内に闖入して来た異分子と看做していたと云うことであろう。
〉「角栄の左派的資質」―ここにキーワードが隠されている、とれんだいこは観る。
れんだいこ氏に最も違和感を抱くのはこの辺りです。 左翼(右翼であっても)は近代(=欧米支配)の延命(=隠蔽)装置としてしか観ない私にとって、左(右)の概念規定を曖昧にしたまま、恣意的に腑分けしているようにしか感じられない。
むしろ私のように、左右共にその言葉の原義に「助ける」とある様に、所詮、それらは<近代>の延命を助けていたに過ぎなかったのではないか?と、冷ややかに、突き放して観た方が良いのではないか?
そうして、このように観ることで、<冷戦>を、イデオロギー対立とのみ表面的に捉えるのではなく、米ソによる世界の分割=支配ー<海の勝者>アメリカと<陸の勝者>ソ連による勢力争いーであり、そのように見て初めて、ベトナム戦争や中国文革は、そうした支配への抵抗でもあったと、多面的・複合的に捉え返すことが出来るように思えるのですが。
それでは何故、本来的に攘夷論者であった毛沢東は、自らを「共産主義者」と規定したのか?
それに対する答えは明らかだろうと思います。 敗戦後、遅ればせながら日本は気付かされたということであり、戦後日本の左翼の場合とその本質は変わるものではなかった、と。
その辺の所については下記のスレで論じておりますので、参照してもらえると一層我が論旨が分り易くなるかと思います。
ファシズム考2 ーファシズムとは何だったのか?
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/324.html
第二次大戦は何だったのか? −それは民族主義の敗北 それ故の、民族主義の仮面としてのマルクス主義
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/258.html
結論として言えば、大戦後の世界では、単なる民族主義でも攘夷派でも駄目で、<普遍主義>と繋がっていなければ世界に伍していくことは出来ないという情勢判断が彼ら孫文の遺志を受け継ぐ者には在った、と言えるのではないか?
従って、有り体に言えば、第一次大戦後から始まる<普遍主義>=<理念の時代>に合わせて、自らを擬装したということでしょう。
そうして、こうした政治思想理解とは縁遠い所に居たからこそ、田中角栄氏はその<擬態>を見破ることが出来たのではないか?と、翻って思います。 訪中時、角栄氏はタイトルにある如く発言した後、”黄河文明以来、最高の知識人階層である中国人が、便宜以外で共産主義をとるはずがない”と付け加えました。
私は、「4つの近代化」に向けて舵を切り替えようとした中国の指導者達の本心をこれ程見事に捉えた発言はないだろうと思いますし、自ら「文革」の幕引きを行うに当って、「日中同盟論」を唱える程の理想の同志を角栄氏の中に見出していたことが毛沢東の背中を押したのではなかったか?とすら考えて仕舞います。
それは、この近代化というのを都市化という側面から捉えてみるといい。
過日私は、目白通りの田中邸を通り掛った時に改めて気付かされたのですが、新潟長岡から関越道を通って目白通りを直進して来ると田中邸にやって来るー恐らくは、地方の代表として中央に出て来てる(攻め上って来てる!)という意識が角栄氏の何処かに在ったのではないか?
彼が政治家を志した動機が、故郷新潟の様に、裏日本や地方の農村のような日の当らない地域を豊かにしたいというものであったことは良く知られています。 だとすると、彼の政治家としてのかかるスタンスは、農業本位、農民主体として、失敗ばかり繰り返して来た建国以来の総路線を転換するに当って、しかも「世界の農村が世界の都市を包囲する」という世界革命戦略を放棄するに際して、中国の指導者達には、農村から都市に攻め上って行った田中角栄氏は、言うならば、理想の先達乃至は同志に見えたのではなかったか?
我々の思考や発想、物事を判断する価値基準というのは、言うならば西洋お仕着せでなのあり、西欧仕様の服を自然に身に着けて、着ている洋服で物事を観る習しになり、身体への関心に向かうのは先ず稀ですから、その人が身に付けてる洋服ー多くの場合モードとかブランドーで済ませて仕舞う。
モードで判断するー言い換えれば、流行り廃れで決めるーのは近代的思考の典型ではありましょうが、結果として、それが身体への眼差しを奪うことになってるのです。
”古い上着よさようなら”(青い山脈)とばかり、軍服からアメリカ製の上着(民主主義)を着たら全てが変わったように感じるように!
身体を顧みなかったことが今日の混迷を招いてる、と言えるのかも知れません。
昨今、”草食系”と言われ、元気も精気も失ってるかのような、生命エネルギーが衰えた如くの若者(男達)の事が取り沙汰されています。 具体的には(目に見える形では)運動能力とか身体能力の著しい劣化として、数々の数値に現れておりますが、「脳科学(者)」が持て囃されるに反して、こういった身体棄却の傾向は更に強まっていくのでしょうし、「男は消耗品」(村上龍)であればこそ、掛かる”草食系”の若者の在り様が、消耗品即ち消費の最前線の有り様として、病理として現れ出てるように思えてならないのですが。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK98掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。