http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/507.html
Tweet |
http://www.janjanblog.com/archives/21248
「意外と善戦した民主党!?」 〜衆院補選、選挙区の本音
2010年 10月 31日 23:53《北海道》 【取材ニュース】 <政治・政党> <選挙>
成瀬裕史
「投票する気にならなかった…。」北海道5区に住む知人の言である。
菅改造内閣が迎える初の国政選挙としてマスコミが注目し、自民党は谷垣総裁や小泉進次郎議員、民主党は岡田幹事長や蓮舫行政刷新担当相など、両党の“大物”が大挙して応援に駆けつけた衆院補欠選挙は、マスコミの言うところ「町村氏の圧勝」で終わった。
しかし、今回の選挙は最初から「町村の勝ち」で「決まり」であって、選挙好き(?)の北海道にあっても盛り上がりに欠けていたという…。
北海道5区は札幌市の東端の厚別区と周辺の石狩管内7市町村からなり、札幌のベッドタウンとして都市化が進むものの元来農村地帯で千歳や恵庭には自衛隊が駐屯し、札幌の選挙区の中では最も“保守的”な地域である。
そんな中、町村信孝氏は、選挙区の江別市に北海道開拓当初から入植した“名家”町村家の一族であり、父親の町村金五氏は1959年から三期北海道知事を務めた。
しかも信孝氏は、森・小泉・安倍・福田と4代続けて総理を出した自民党最大派閥「町村派」の領袖であり、「負ける筈がない」存在であった。
しかし、そんな町村氏も昨年の「政権交代選挙」では、小選挙区で「まさか」の苦杯を嘗めた。「政権交代」の熱気とともに、自民党に「一度お灸をすえたい」という保守層も多く、“実力者”町村氏に対する「逆風」は強く、「負ける筈のない」小選挙区での「初の敗北」となった。
しかし、対抗馬・小林千代美氏が支持母体である北海道教職員組合(「北教組」)幹部の政治資金規正法違反で辞任に追い込まれ、意外にも早く「復権」の機会が到来した。
実は、町村氏の父・金五氏と北教組には少なからぬ「因縁」がある。
北海道では戦後1947年、道庁労組委員長の田中敏文が初の民選知事に当選し、以来三選を果たしていたが、この労働組合による「革新」道政阻止のため1959年の知事選に送り込まれたのが内務官僚で元・警視総監の町村金五氏であり、その対抗馬が「北教組」出身で当時・日教組副委員長の横路節雄氏(横路孝弘・衆院議長の実父)であった。
その北教組が推す日糧パン労組出身・小林千代美氏の四度目の挑戦に、金五氏の子・信孝氏は政治家人生初の「苦杯」を嘗めさせられたのである。
それにしても、今回の補選は、労組が最大の支持母体である民主党陣営にとっては、最大の「逆風」下であった。
直近の参院選でも、定数2の北海道選挙区に民主党は2名を立てたが、落選したのは札幌市役所労組出身の候補であった。
今回の補選でも「労組」が動く程、「票を失う」ことになり、一時は候補者を立てない「不戦敗」も検討した程であった。
また、同時に行われた札幌市議・厚別選挙区の補選では、病気による公明党議員の辞職の後、自民とみんなの党が立候補していたが、公明党は来春の統一地方選も睨み、自民党と選挙協力をすることとなった。
ただでさえ地盤の厚い町村氏にとって、投票率が低くなる「補選」での公明党・創価学会の支援は、まさに「磐石」の布陣となった。
そんな中でも、仮に民主党が北海道内のテレビ局の「女性キャスター」でも立てたとしたら「分からない」情勢になったであろうが、民主党が町村氏の対抗馬としたのは、町村氏とイメージが「被る」、「コンクリート官庁」建設省の技術官僚で北海道開発局千歳道路事務所長の中前茂之氏だった。
ちなみに北海道開発局は戦後の田中敏文・革新道政を阻止するため、道庁に換え国が直営で公共事業を行うために創設した官庁・北海道開発庁の出先機関であり、自民党の公共事業による「地元支配」の象徴のような官庁であった。
ちなみに町村信孝の父・金吾氏の後、保守道政を引き継いだのは、北海道開発庁事務次官の堂垣内尚弘氏であった。
革新・社会党の流れを汲み労組が最大支持母体の民主党にあって、かつての保守道政の基盤であった北海道開発局の官僚が候補者となることは、これが対抗馬の自民党の候補であれば「戦意旺盛」となるのだが、たとえ民主党が「政権党」となったとしても、自らの陣営の推す候補者としては余りにも「しっくり」こない…。
「投票する気にならなかった」という知人の言も“納得”である…。
更なる「逆風」は、新党大地・鈴木宗男代表の「実刑確定」である。元・北海道開発庁長官で保守勢力を地盤に持つ鈴木氏の新党大地は、北海道開発局出身の候補の「推進力」となる筈だったが、鈴木代表の「収監」間近で、「それどころではない」状態であった。
このような数多くの「逆風」が民主党候補に吹く中、ダブルスコアに近い「敗北」が予想された中で、負けはしたものの惜敗率75%という結果は、地元・選挙区民にとっては「善戦」と写ったのではないか?
当選した町村氏には失礼だが、野党に転落した自民党の「退潮」が一層印象付けられた選挙であった。
これで公明党が応援せず、また、民主党代表選後の小沢派のシコリが無かりせば、どうなっていたことか…。
選挙後、全国紙は「小沢氏の『政治とカネの問題』の影響により町村氏が『圧勝』」と書いたが、地元・選挙区民にとっては「労組による選挙違反と民主党代表選後のシコリが残る逆風下、民主党の“無名”の新人による、自民“大物”町村氏に対する『思いのほかの善戦』」というのが正直な感想であったようである…。
成瀬裕史記者のプロフィール
1960年生まれ。北日本の一地方在住。一次産業を主とする“地方”の復興のため、明治維新から続く中央集権・官僚主導の国家体制の“CHANGE”を志す。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK98掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。