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井戸を掘った人たちの苦労を無にする前原外相の日中離間外交 「日中最高首脳部会談考1〜3」 れんだいこのカンテラ時評838 http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/452.html より続く
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れんだいこのカンテラ時評839 れんだいこ 2010/10/31 15:38
【日中最高首脳部会談考その5、政治的意味】
興が乗ったのでもう少し書いておく。
2010.10.31日、新聞各紙朝刊は一斉に30日の東アジアサミットに於ける菅首相と大きく距離を空けて佇むベトナムのグエン首相、中国の温家宝首相の寄りそう写真を掲載している。日中離間の様子を報じていることになるが、如何にもわざとらしい。新聞各紙が一斉に報じているところを見ると、国際金融資本帝国主義の要請によりヤラセと云うことになる。そのわざとらしさを好んで請け負う菅首相とは何者か。真の政治家なら、離間の様子を探られまいとしてワザと接近したり工夫して写真に収まるのが芸である。それをあからさまにする菅首相の政治芸とは何ぞ。鳩山の遊び人政治と似ているが少し違う、小泉と近い劇場型政治であり、小泉がレイプ政治とするなら菅のそれはピエロ政治とみなすべきではなかろうか。いやはや我が日本はトンデモな御仁を代々首相に据えるものである。
バカバカしくて付き合いきれない。もとへ。今日から見て「毛沢東―角栄会談」をどう読みとるべきだろうか。時代は大きく変わった。日本に角栄−大平同盟に象徴される戦後保守系ハト派が居なくなったように、中国にも文革派が一掃され、文革用語で云う走資派の天下となっている。日中が争って国際金融資本帝国主義の総本山である米国との親密さを競うと云う変な時代になってしまっている。時代は大きく変わったことになる。こういう時点から見れば「毛沢東―角栄会談」は幻影的な昔のことになる。しかし、こういうテイタラクだからこそ捉え直すのも一興ではなかろうか。
日本が対中親和政策を押し進めたのは如何なる政治判断によったのだろうか。その理由として、戦時中の贖罪、中国市場の魅力、経済低迷する社会主義中国に対するテコ入れ支援、日本頭越しの米中国交交渉に対する焦りからのバスに乗り遅れるな等々が考えられる。では、中共政権は如何なる政治判断によったのだろうか。思うに、毛沢東政権は、建国後20年余のこの時点において建国革命に失敗し続けていた。建国以来ソ共の指示に従った政策のことごとくが失敗に帰し、その経緯から根っからソ共を嫌悪していた。その背後に潜む国際金融資本帝国主義の左からの干渉に疑問を抱き始め云々、そういう諸々のことを思案した結果、ソ連を油断のならない社会帝国主義国家であると位置づけ訣別せんとしていたのではなかろうか。これが中ソ対立の背景事情考になる。これについては機会があれば別に論じたい。
中国は、日中国交回復交渉のこの時点で既にソ連を明確に敵性国家とみなしていた。この中ソ離間を察知し、米国が食指を伸ばし始めていた。中国は、これまで最も激しく批判して来たアメ帝といっそのこと直接的に向き合った方が賢明と考え路線転換に向かったと考えられる。そうすると、どの程度まで関係修復するのかが国策課題となるが、やはりイデオロギーが違いすぎるので何かと難しかった。しかし、カードとしてこの切り札を切り始め、キッシンジャーの訪中、続いてニクソン訪中が実現した。
注目されていないが、その結果、毛沢東派は文革遂行上、最も親密な盟友関係にあった林彪派を左派性ゆえに粛清している。恐らく、米中親和化の前提代償としてキッシンジャー戦略に基づく「文革の左バネたる林彪派粛清」が要請され、これに応えたのではなかろうか。これにより文革は左バネを失った。このことが毛沢東政権の基盤を危うくすることになった。毛沢東は臍をかむが時すでに遅かった。以降、文革は斜陽化し、四人組逮捕を経て遂に破産する。
毛沢東政権は、そういうしんどい米中交渉の裏腹で、奇跡の復興を遂げつつあった日本に熱い視線を送っていた。日本は、アメ帝との軍事同盟下にありながらも、戦後の平和的国際協調的憲法精神に則り没イデオロギー的に未曽有の経済発展を遂げつつあった。そういう戦後日本を羨望していのではなかろうか。歴史的に繋がりが最も深い日本と提携していくことが中国のためにもなり、日本のためにもなるという国家百年の計による文明的判断を確立し、日中ブロックを形成して、近現代世界を席巻する国際金融資本帝国主義の世界支配計画に対抗して行くべしとする青写真を構想していたのではなかろうか。
しかし、このシナリオは当の中国でも日本でも困難があった。なぜなら、既に両国とも国際金融資本帝国主義のエージェントを政権上層部に抱え過ぎていたからである。その後の流れを見ると見えてくるが、このエージェントの暗躍によって両国とも、日中同盟化シナリオの徹底的破壊方向に向かっている。国際金融資本帝国主義の魔手が暗躍したものと思われる。
これにより中国には走資派のケ小平政権が誕生し、文革派が潰され、以降この親米親シオニズム系譜が代々政権を司(つかさど)ることになる。この過程で数次の天安門事件が発生している。日本も同じで、ロッキード事件が引き起こされ、田中派が解体され、大平派も分裂させられる。ハト派政権に代わってタカ派政権が登場する。以降この親米親シオニズム政権が代々政権を司(つかさど)ることになる。こうして今や日中両国とも、国際金融資本帝国主義の陣営に与し、その意向を媒介せずには内政も外交も施策できないところまで楔を打ち込まれている。要するに、煮て食おうが焼いて食おうが太らせて食おうが絞りとろうが自在の「カゴの鳥」にされている。
話を戻す。1970年代前半のかの時、日本に田中政権が登場した。田中首相、大平外相、二階堂官房長官の布陣となったが、戦後日本政治史上ハト派系の勢威が頂点に達していたのがこの時ではなかったか。考えて見れば、よりによって角栄、大平ともが貧農出身にして戦後秩序ならでは頭角を現すことのできた政治家であった。存在が意識を決定するとしたなら、その政治が左派系になるのも理が叶っていよう。三者の生き様も良い。れんだいこは、この勢力を日本の在地土着型プレ社会主義、あるいはもっと遡って縄文系社会主義に基づく「近代天皇制イズムに拠らなくとも成り立つ縄文系民族主義者団」ではないかと推定している。この観点から戦後史を見ていくと、既成の政治史論ではさっぱり役に立たないことが分かる。どんな党派のものであろうと権威大御所のそれでも納得できるものがない。
れんだいこ史観によれば、かの時の毛沢東ー角栄の最高首脳会談とは、中国の土着型社会主義者と日本の土着型社会主義者が邂逅した後にも先にもない一回こっきりの歴史的意義深いものであったということになる。緊張し且つ緊迫した中にも旧知の間柄の肝胆相照らす同志的雰囲気が漂っていたのもむべなるかなであろう。面白いことに、時のニセ左翼がこれに如何に対応したか。ニセモノ度の強さに応じて金切り声を上げ罵倒している、あるいは陰に陽に価値を貶めるよう策動している様が見えて来る。後日勃発したロッキード事件で誰が最も執拗に反角栄的動きをしたか云うまでもない。そして、その正義が未だに語られ通用している。そろそろそういう不義を撃たねばなるまい。通史を書き替えせねばなるまい。
もとより、時代は動いている。かの時代に戻せば良いと云う単純なものではない。かの時代から何を拾いだし継承するのか、何を吐き出し否定するのか現代水準で諮らねばなるまい。これを思う時、れんだいこの眼には、小沢政治がまだしも良質ではないかと思っている。小沢政治の先に日本の未来があると思っている。これに引き替え、反小沢標榜組の政治は名目の党派、派閥、グループが違えども皆シオニスタンに見える。仮面正義集団でありシオニズム奴隷の売国奴である。誰が幾ら民族主義者ぶろうとも口先だけであり、実際にやっていることを見ればシオニズムの請負興業師、手配師ばかりである。こういうシオニスタン勢力を排斥し、小沢政治を左から自己否定して行く永続革命の内に唯一の日本の再生の道が有ると思っている。
こう構図ができたら、半ば解決されたも同然であろう。新日本創出に向けて歩一歩参ろう。日本人民大衆の叡慮を信じ連帯しよう。マスコミメディアの反動的な親シオニズム言論に抗して、まずは頭脳戦で勝利しよう。朋輩は幾らでも居る。シオニスタンは一見威勢が良くても、その陰謀性故に常に少数にならざるを得ない。ここに彼らの欠陥が有り我々の勝利のカギあると思う。目指せ大衆路線。大衆を信じて邁進し草莽ネットワークを構築せよ。
2010.10.31日 れんだいこ拝
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れんだいこのカンテラ時評840 れんだいこ 2010/10/31 15:44
【9.25日、日中首脳会談(田中.周恩来)】
1972.9.25日、田中首相一行が羽田発で北京に向かった。日航特別機JA8019(DC−8)に乗り、戦後初めて東京−北京間3千キロの空路を直行した。田中訪中団のメンバーは、田中角栄首相、大平正芳外相、二階堂進官房長官、吉田健三アジア局長、高島利郎条約局長、橋本恕アジア局中国課長、栗山尚一条約局条約課長ら外務省職員、警護の警察関係者36名、16名の報道関係者で、都合52名であった。田中首相の隣には読売新聞記者・中野士郎が坐った。「田中政権889日」は、「なぜ、あなたは北京へ行くのか」の問いに、田中首相が、一瞬苦しげな表情を走らせた後、「時の流れだからだよ」と答えたことを披露している。
到着した北京空港では、「全世界のプロレタリア階級、被抑圧人民、被抑圧民族は団結せよ」と書かれた大きな横断幕と毛沢東の肖像画を背景にして、周恩来首相(74歳)、葉剣英国防長官、姫鵬飛外相(外交部長)、郭沫若中日友好協会名誉会長、寥承志外交部顧問(中日友好協会長)ら最高指導部の面々が出迎え、田中首相と周首相が握手した。歓迎式典が行われ、この時中国側は、「佐渡おけさ」、「金毘羅船船」、「鹿児島小原節」を演奏し、熱烈歓迎振りと気配りを見せている。この後、田中首相(54歳)と周首相(74歳)が「紅旗」に同乗し、魚釣台の迎賓館に向かった。
午後3時から人民大会堂で数次の会談が積み重ねられた。
人民大会堂の「安徽省の間」で第一回首脳会談。日本側の出席者は、田中・大平・二階堂の他吉田アジア局長、高島益郎条約局長、橋本恕中国課長らの面々であった。中国側は周総理、姫外相(外交部長)、りょう・外交部顧問(中日友好協会長)、韓念竜外務次官(外交部副部長)、陸維けんアジア局長。会談は、「日中間の戦争状態終結問題」で、真っ向から対立した。高島条約局長は、「日本と中国との戦争状態は既に1952年に台湾との間で結んだ日華平和条約によって法的には終結している」との公式見解を悪びれず主張した。中共政府を正統とする中国政府は、「台湾との条約」に固執する日本政府に激怒した。
日米安保条約に対して、日本側の「日中国交正常化には日米安保条約の堅持が大前提である」と日米安保条約を堅持した上での日中交渉であるという原則の主張につき、中国側を代表して周総理があっさり、「それで結構です」と受け入れた。更に、先の戦争に対する賠償権問題について、周は、「(このたびの会談で)国交正常化問題が解決するなら、両国人民の友好の為に賠償金を放棄することも考えている」と表明している。それまで、「人的被害は1千万人以上、財産損失額は数百億米ドル」の賠償請求権があるとしてきていた。しかし、台湾問題については譲ろうとせず暗礁に乗り上げた。この経過に対して、以降、秘術を尽くしての外交が積み重ねられていくことになった。
二階堂官房長官は、次のようにスポークスコメントした。概要「驚くべき率直に、双方の基本的立場や考え方について、意見が交換された。非常に有意義だった」。互いに云うべきことを言い合い、火花を散らしたようである。以降、秘術を尽くしての外交が積み重ねられていくことになった。
午後6.30分(日本時間7時半)より、晩餐会が人民会堂で開かれた。周首相が次のように挨拶した。「1894年から半世紀にわたる日本軍国主義者の中国侵略によって、中国人民は、極めて酷い災難をこうむり、日本人民も大きな損害を受けました」。
このあと、日本国歌「君が代」が人民解放軍軍歌部隊によって演奏され、乾杯した。約20分後、今度は田中首相が挨拶を答礼した。首相は盛大な歓迎を謝したうえで「過去数十年にわたって、我が国が中国国民に対する多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明する」と述べた。
この時の発言「迷惑」という表現を廻って悶着が発生することになる。中国側は、田中首相の挨拶の途中、一区切りごとに拍手を送っていたが、「中国国民に対する多大のご迷惑をおかけした」のくだりで拍手が止んだ。「日中双方が合意に達することは可能であると信じます」の結びで拍手が戻った。
2010.10.31日 れんだいこ拝
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れんだいこのカンテラ時評841 れんだいこ 2010/10/31 15:50
【9.26日、日中首脳会談(田中.周恩来)その1、迷惑論争】
翌9.26日午前7時、北京の迎賓館で一夜を過ごした田中首相は、歴史的な第一回の日中首脳会談がトントン拍子に進んでいるためか、すこぶるごきげんであった。朝7時、日本側代表団の朝食。和中折衷の献立てが用意され、首相も外相もせっせとたいらげた。二階堂官房長官は、「きのう夜の夕食会でもずいぶん食べたり、飲んだりしたが今朝もまた・・・。二人ともとにかく元気すぎるくらいだ」とコメントしている。外相のけんたんぶりに首相が冷やかすと、外相は「持ち来るものみな腹に納めてなお従容」と漢詩まがいの文句で応じた。10時半、田中首相は、宿舎の迎賓館で同行記者団代表を招いて懇談した。
9.26日午前10時15分、人民大会堂の「接見庁の間」で第一回日中外相会談が始まり、大平、姫鵬飛の両外相が直接交渉に入った。この時高島益郎条約局長が、復興3原則に対して、第一原則(中国を代表する唯一合法政府は中華人民共和国である)ことに合意するが、第二・第三原則の台湾との関係破棄には早急に対応できないとの立場を1時間余りにわたって立場を説明した。要旨は、1・第1項の中華人民共和国を中国の唯一合法政府と認めることには異論ない。2・第2項の台湾は中国の1省については、日本の内政干渉に関わる怖れがある。3・第3項の日華条約の廃棄はできない。自然消滅の立場を採りたい。4・中国との戦争は日華条約第1条で終結しており、賠償問題は解決済みである。
同日午後、第2回首脳会談が始まった。日本側は田中、大平、二階堂、外務省の橋本中国課長。中国側は周、姫、りょう会長、韓外務次官。この時、前日の田中首相のスピーチに於ける「迷惑」という表現が槍玉にあがった。周恩来は、次のように述べた。(矢吹晋「田中角栄の迷惑、毛沢東の迷惑、昭和天皇の迷惑」等参照)
概要「日本政府首脳が国交正常化問題を法律的でなく、政治的に解決したいと言ったことを高く評価する。田中首相が述べた『過去の不幸なことを反省する』という考え方は、我々としても受け入れられる。しかし、田中首相の『中国人民に迷惑(添了麻煩)をかけた』との言葉は、中国ではうっかり女性のスカートに水をかけたときに『添了麻煩』という軽いお詫びを意味している。中国では添了麻煩(迷惑)とは小さなことにしか使われず却って反感を呼ぶ。日本軍国主義の侵略戦争で中国人民に深い災難をもたらし、戦争では中国では数百万が犠牲となり、日本人民も深く被害を受けた『添了麻煩』を用いてお詫びの言葉とするのは中国人民として到底受け入れられるものではない。我々のこのような歴史の教訓を忘れではならない」(徐之光・編「中日関係三十年」)。
首相挨拶文は外務省が作成したものであったが、周首相は、概要「『謝罪』と云うのはあまりに軽い言葉で、中国では『道端でうっかり女性の着物に水をかけたのを詫びる』程度の意にしかならず、受け入れられない」と批判した。「不用意な文言」が許されない外交交渉の一コマとなった。
この周恩来発言を受けた田中の発言は、日本側記録では、こう書かれている。
「大筋において周総理の話はよく理解できる。日本側においては、国交正常化にあたり、現実問題として処理しなければならぬ問題が沢山ある。しかし、訪中の第一目的は国交正常化を実現し、新しい友好のスタートを切ることである。従って、これにすべての重点をおいて考えるべきだと思う。自民党のなかにも、国民のなかにも、現在ある問題を具体的に解決することを、国交正常化の条件とする向きもあるが、私も大平外相も、すべてに優先して国交正常化をはかるべきであると国民に説いている。日中国交正常化は日中両国民のため、ひいてはアジア・世界のために必要であるというのが私の信念である」(「日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉」石井明、朱建栄、添谷芳秀、林暁光編、岩波書店、2003年、57〜58ページ)。
この暗誦をどう結末つけたのか経過を確認する。「ウィキペディアの添了麻煩」その他を参照する。
9.25日の晩餐会席上で田中首相が「わが国が中国国民に対して多大のご迷惑をかけたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」と発言。それを通訳が「多大なご迷惑をかけた」の部分を「添了麻煩」と訳した。これに中国側が謝罪の言葉が軽過ぎるとして問題にした。しかし、外務省中国課長橋本恕は次のように証言している。「当時の日本の世論に配慮したぎりぎりの言葉づかい」であり、「何日も推敲を重ねて、精魂を傾けて書いた文章であり、田中首相、大平外相に何度も見せて『これでいこう』ということになった」。
結局、次のように解決した。大平外相は、「文言を変えてもいい」と中国側に大きく譲歩し、姫鵬飛外相に「過去、戦争によってもたらされた苦しみと損害に対して深く反省の意を表明する」と記した案を示した。姫外相は、「苦しみ」を削除、「責任」を追加した。「日本側が過去、戦争によってもたらした重大な損害の責任を深く反省する」。大平は、「責任」とは何の責任かと姫に問い、姫は「損害を与えた責任」と反論。日本側はこれに「痛感」の言葉を加え、「責任」という表現を受け入れ、次のように案文した。
「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」
(英訳・The Japanesr side is keenly conscious of the responsibility for the serious damage that Japan caused in the past to the Chinesr people through war,and deeply reproaches itself)。
これが最終案となり日中共同声明に盛り込まれた。「責任」と「反省」というロジックを生み出すことにより合意が為されたことになる。
この交渉経緯は、特筆されるべき日中外交史の財産ではなかろうか。なぜなら、今時の日朝外交史の如くの米国を交えての六カ国会議を通してでしか何も決められないと云うへっぴり腰の粗脳外交ではなく、日中両国が、それぞれの関係各国への根回しを済ませ上で主体的自律的外交を繰り広げ、譲るべきところは譲り押すべきところは押し、その結果としての共同声明条文の文言一つづつにこれほど脳に汗を掻き、共同で隙のない珠玉の名文を作り上げているからである。その後の日本外交史にはこのような能力は絶えてない。このことを確認しておきたい。
2010.10.31日 れんだいこ拝
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れんだいこのカンテラ時評842 れんだいこ 2010/10/31 15:56
【9.26日、日中首脳会談(田中.周恩来)その2、高島発言論争】
続いて、周首相は、午前の外相会議での高島発言に噛みついて、「日中国交正常化は政治問題です。それを法律論でやろうというのは間違いです」と高島条約局長を批判した。更に、高島条約局長を法匪呼ばわりし、「あの人のいる限り、まとのる話もまとまらない」と難色を示し、交渉が決裂寸前となった。この時と思われるが、周恩来の直々発言か周の意向を汲んだ取り巻きの発言かは定かでないが、高島条約局長に国外退去令が出された。要するに、賠償金放棄を梃子に三原則を認めるよう迫る中国側と、外交の一貫性を理由に譲らない日本側の言い分が平行線を辿ったということである。
「高島条約局長国外退去令」について、田中首相は次のように述べた。概要「賓客にまねかれ、供の従者を非難されたときは、主賓にも帰れと言われたことになります。それが日中共同の文化ではないのですか。そうは行きません。この男を帰す訳には行かない。この男は代表団の一員だから、帰れと云われれば我々全員が帰らねばなりません」。
この角栄の言葉で、周恩来は冷静さを取り戻し、双方の歩み寄りで再交渉が始まった。周恩来は日本軍が何年、どこの戦いで何万人殺したと、数字を際限なく上げはじめた。田中の血圧は200をこえ、鼻血を出すほどだったが、持ち前の粘り腰で望み、粘り強く交渉を続けた。
野上浩太郎氏の「政治記者」に次のように記されている。「おれは周恩来にこう言ったんだ。今はあなたにとって大きなチャンスですよ。日本では会社と交渉するときは、トップが交代して新しい社長と商売するのが、一番有利なのです。新しい社長には社内の期待もあって、大きな裁量の幅を与えるからなのです。私は今、日本という会社の新しい社長なのだから、あなたにとって大きなチャンスなんです、とね」。
この後と思われるが、2005.3.10日付け「雑記帳」の「諸君!4月号」掲載の佐々淳行「このまま対中ODAを続けたら」を参照すれば、周恩来は、戦時賠償問題を持ち出し、「北京は戦時賠償請求権を放棄していない」と主張した。これに対し、大平外相は黙りこんでしまった。が、田中首相が猛然と反論した。「国民政府から共産党政権に代っても外交継続の原則により、"一つの中国"と主張するならなおさら、サンフランシスコ条約で中国は日本の在外資産の接収とひきかえに賠償請求権を放棄した。従って北京には請求権はない」。
角栄の反論は、周恩来を黙らせた。この正論の裏で、実務的には賠償放棄の代償」として「中国が近代化するまで可能な限りの経済援助を行う」ことが口頭約束された。結果的に、共同声明には賠償放棄と書かれることになる。
二階堂官房長官が、「第1回会談に引き続き、広範な具体的問題について精力的に意見交換が行われた」と発表した。
遅い昼食となった。大平と高島は食事がのどを通らず、水ばかり飲んで考え込んでしまっていた。この時、次のような遣り取りが交わされている。
田中首相「どうしたんだい、君ら」。座を持ち上げようとしても塞ぎこんでいた。「そんなに心配してもしようがないじゃないか。だから大学出はダメだというんだ。また明日やりゃいいじゃないか」。大平外相 「だけど、どうすりゃいいんだ」。田中首相「そりゃぁ、お前ら大学を出ているんだから考えろよ」。沈黙の後、 大平外相「なあ田中君、君は越後の田舎から出て来たとき、総理になれると思ったかい」。田中首相 「冗談じゃない。食えんから出てきたんだ。お前だってそうだろ」。大平外相「俺もそうさ。讃岐の水のみ百姓の小せがれじゃ食えんからのう」。田中首相 「それなら当たって砕けても、元々じゃないか。できなけりゃできないでいいさ。このまま帰るさ。責任は俺が取る」。
午後5時、迎賓館で、第2回外相会談。
9.27日、万里の長城、明の13陵の案内を受けた後、午後4時過ぎ、第3回首脳会談。この時、高島条約局長の退去令を取り下げさせている。この会談の席上、周は、中国とソ連は既に一枚岩ではなく、矛盾と対立関係にあると懇切に解説した。周と田中が互いのソ連観を遣り取りしている。次いでアメリカ観、日米安保条約観を披瀝しあっている。最後に領有権を廻って対立中の尖閣列島(中国では釣魚台諸島)が論ぜられた。これにつき詳報はないが、決着は未来の叡智に託したのではなかろうか。更にこの時、周は田中に北朝鮮接近を要請している。この流れは帰国後稼動し始めることになる。
2010.10.31日 れんだいこ拝
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れんだいこのカンテラ時評843 れんだいこ 2010/10/31 16:07
【日中共同声明】
9.29日午前10時過ぎ、北京の人民大会堂の「西大庁の間」で共同声明の調印式が執り行われる。午前11時過ぎ、日本側は田中と大平、中国側は周と姫が日中国交正常化共同声明にサインをした。かくて日中間の国交が回復した。田中と周は何度も力強い握手を繰り返す。
取り決められた内容は、1・両国の不正常な関係の終了、2・中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることの承認、3・台湾は中国の不可分の領土であるとする中国の主張を日本が十分理解する、4・外交関係を樹立し、大使を速やかに交換する、5・中国は対日戦争賠償の請求権を放棄する、6・両国の平和関係の維持、7・両国がアジア・太平洋地域で覇権を求めない、8・両国は平和友好条約を早期に締結する、9・貿易・海運・航空・漁業などの締結交渉に合意。日華平和条約は破棄され、台湾とは国交断絶となった。
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【日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明)全文】
日本国内閣総理大臣田中角榮は、中華人民共和国国務院総理周恩来の招きにより、1972年9月25日から9月30日まで、中華人民共和国を訪問した。田中総理大臣には大平正芳外務大臣、二階堂進内閣官房長官その他の政府職員が随行した。
毛沢東主席は、9月27日に田中角榮総理大臣と会見した。双方は、真剣かつ友好的な話合いを行つた。田中総理大臣及び大平外務大臣と周恩来総理及び姫鵬飛外交部長は、日中両国間の国交正常化問題をはじめとする両国間の諸問題及び双方が関心を有するその他の諸問題について、終止、友好的な雰囲気の中で真剣かつ率直に意見を交換し、次の両政府の共同声明を発出することに合意した。
日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな1ページを開くこととなろう。
日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立つて国交正常化の実現を図るという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。
1、日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
2、日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
3、中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基く立場を堅持する。
4、日本国政府及び中華人民共和国政府は、1972年9月29日から外交関係を樹立することを決定した。両政府は、国際法及び国際慣行に従い、それぞれの首都における他方の大使館の設置及びその任務の遂行のために必要なすべての措置をとり、また、できるだけすみやかに大使を交換することを決定した。
5、中華人民共和国政府は、日中両国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
6、日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
7、日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
8、日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
9、日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の関係を一層発展させ、人的往来を拡大するため、必要に応じ、また、既存の民間取決めをも考慮しつつ、貿易、海運、航空、漁業などの事項に関する協定の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
1972.9.29日に北京で 日本国内閣総理大臣 田中角榮(署名) 日本国外務大臣 大平正芳(署名) 中華人民共和国国務院総理 周恩来(署名) 中華人民共和国外交部長 姫鵬飛(署名)
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その後、台湾派がどう対応し、田中政権が椎名を派遣し国民政府とどう裏で修復したのか等々を確認したいが又の機会に譲ることにする。
今、前原外相が如何に日中離間を策そうとも、この時の日中共同声明及び精神を抹殺できる訳ではない。日中人民大衆は、菅政権が考えているほど愚かではない。むしろ、うす汚い筋書きを見破り、歴史の彼方へ葬るすべを心得ている。我々から見れば、菅政権の愚行は単に、請負士の悪あがきでしかない。
2010.10.31日 れんだいこ拝
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