http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/487.html
Tweet |
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/bb51701a2f2518a9e379b825c40757fa
2010年10月31日
マスメディアの報道と云うものは主客が転倒しており、「倒置法」を駆使し読み解くもののようである。甚だ厄介だが致し方ない。(笑)
昨日の日中首脳会談のドタキャン(一度も中国政府は正式に首脳会議に応じるとは明言していない)とその背景について、日本の各新聞社の報道や社説を読むと、中国がAFPの誤報外電をまともに受け取り、頭に来てドタキャンしたとか、国内反日デモへの対策であるとか、共産党政権への批判をかわす国内事情で強気に出るしかなかった、と云う論調に占められている。
外交で悪いことはすべて「中国の所為」、内政が悪いのはすべて「小沢一郎の所為」で片づける。マスコミだけならまだ許せるが、民主党幹部までは、この調子で評論家になるのだから、もう言うべき言葉すらない。
国民に、ハノイでの日中首脳会談が頓挫したのは、概ね中国の所為だと云う腐れメディアの論調も逆さまに読めば真実に到達する。中国の新たな怒りの発火点はハワイの前原・クリントン会談そのものだ。その原因を語らずに、その後の状況だけを後追い報道し、解説する。そのような報道を「偏向報道」「洗脳報道」と言うのだ。
おそらく真実はハノイの直前、ハワイで日米外相会談を行い、念には念を入れて中国がハノイでの日米首脳会談に応じられないように、前原とヒラリーが画策した結果に過ぎない。米国の意図は今ひとつ明確とは言えないが、前原と云う男が中国に喧嘩を売っている事だけは、完璧な事実だ。
そして、日本の一部外務省官僚と菅直人は、大臣の意に反し(大臣が総理の意に反し?)、日中首脳会談実現に奔走していた。菅民主党の「クリーンとオープン」自由が一番主義の無秩序政権の証左と云う事だ。
昨日の拙コラムで書いたように、この前原と云う男は、本気で総理になろうとしている。彼の絶対的自信は「宗主国アメリカ」と「日本のマスメディア」と「小泉純一郎と市場原理主義者」の確定的支持が担保されているからに相違ない。その流れの臭いを嗅ぎ分け、市場原理主義で良い思いをした既得勢力がさみだれ的に迎合する構図が俯瞰できる。
現在の流れを強力な政治パワーで是正しない限り、日中関係は改善よりも、悪化する可能性の方が、数段高い。それで、日本が平和で僅かでも経済が成長し、安定した民主的成熟国家になるのなら、それはそれで良いだろう。しかし、その前提は米国が一極集中の絶大なパワーを持っている事だ。その前提を、今現在証明できる人間は居ないだろう。居たら、ただの嘘つきか、オカルト米国教の信者と云う事だ。
欧米を軸としたグローバル経済の発展は、当面彼等の利益を確保した。そこまでは、彼等の思い通りであり、バブルに湧きかえったわけである。ところが、このグローバル経済と云うネットワークは地球上を隅々まで網羅し、365日、24時間ボーダレス経済と云う構図を作り上げ、今やモンスターとなり、成長を続けている。グローバル経済で一儲けしようと思った連中の意の枠をあっさり乗り越え、謂わば原始生物のように、力強く自活し、増殖しているのだ。
その結果、経済の範疇で世界中が相互依存する関係が生まれ、東も西もイスラムもなくなる筈だったが、人間とか民族と云うもの「銭だけで生きていない」証左で嬉しいことだが、困った事に久しく忘れていた「ナショナリズム」と云う単純明快な観念が別途生まれることになる。
経済ではボーダレスだが、国家がボーダレスな訳ではない。それとこれとは、次元が違うだろうと云う議論が生まれ、結果的に領土に固執する闘いが始まるのである。 四方八方海に囲まれた我が国だけみても、尖閣列島、竹島、北方四島の領土問題が鮮明に浮き彫りにされることになる。陸続きの国家の領土紛争など、想像以上のものだろう。この領土問題を、その領域の資源がどうのこうのと云う次元に矮小化すべきではない。
領土の確保こそナショナリズムと云うか、国家を一つにまとめる象徴的ファクターなのである。その為に、過去における戦争の多くは、「領土問題」そのもであった事を、平和ボケの日本人は肝に銘じておく必要がある。 この領土問題に関する限り、中国も韓国もロシアも、我が国の超右派の人々と、殆ど変わらない血の気を有している事も忘れてはないらない。
米国が日本を我が領土と思っているかどうかは微妙な問題だが、日米安保発動で尖閣や沖縄を守るようだと、「俺の領土だ」と思っているし、日中間で具体的衝突が起きた時、逃げだせば「日本は米国領にあらず」と云う事だろう。(笑)それを知る為に、実験してみる? 我々日本人はこう云う問題にも向き合わないと、国際社会で生き抜く事は難しいのかもしれない。
筆者自身は、1960年程度の貧乏も「悪くない」と思っている。勿論90%の人々が嫌だというだろうが、個人的にはそれで良い。(笑)40代以下の人々はあまりにゆっくりと流れる時間で気が狂うかもしれない。 しかし、そのような覚悟が出来ないのなら、グローバル経済が自己増殖する事実を認め、それに準ずる生き方を模索せざるを得ないだろう。相互依存経済とナショナリズムは対峙する観念だが、それを整合的調和乃至はモラトリアムにさせる努力と知恵が不可欠なのだと思う。
ナショナリズムと領土の関係に「白黒」つける手段は戦争しかない事実を、少なくとも我々は認識したうえで、菅直人の「精神如意棒」なき政権をどうするか考えるべきだろう。
筆者はこのような世界の混沌と日本政治の混沌故に、「それを切り抜けられるかもしれない政治家」が、小沢一郎や亀井静香だと考えている。こういう混沌の世界で「戦争を知らない子供たち」の舵取りは、身震いするほど怖い。
それを小沢一郎は感じたから「縄文の心」と云う象徴的言葉が生まれたのだろうし、「教育」を重視しようと考えるのだと思う。日本の教育から「日本史」「戦後史」が疎んじられている点は非常に問題だ。
勿論「神の国」まで熱心に遡るのも行き過ぎだよ、安倍さん!(笑)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK98掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。