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文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』
2010-10-31 03:00
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山崎行太郎の「月刊文藝時評」
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政治家も思想家も「私との闘い」「現実との闘い」を避けて通ることは出来ないのだ。
■私小説と自伝的小説は、何処が、どう違うのか?
近頃、あまり流行らないものの一つに純文学というものがあるが、世の中には「腐っても鯛」という言葉もあるように 、近頃、流行らなくなったとはいえ、純文学に固執するものもいまだに少なくない。もちろん、私もその一人である。その代わり、私は、ミステリーや時代小説、ビジネス小説、冒険小説、ファンタジー小説といったものをほとんど読まない。私にとって、小説を読むことは娯楽や退屈しのぎの一種ではない。では、私にとっては、小説を読むとは何か。私は、何のために小説を読むのか。少し大袈裟な言葉を使うとすれば、 私にとって小説を読むことは、思想書や哲学書を読むことと変わらない。いや、思想書や哲学書を読むより以上 の深い読書体験を味わうために小説を読む。小説を読むことによって、思想書や哲学書を読むことでは身につかないような、深い根源的な思考力を身につけることが出来るのだ、と私は思う。つまり、私は、「私とは何か」「人間とは 何か」「存在とは何か」を知るために小説を読む。したがって私が読む小説の多くは、私小説的な小説である。純文学は近代文学の誕生以後に現れた文学(小説)であって、言葉を代えて言えば「私小説」と言っても いい。つまり、私が固執する文学( 小説)は、「自己との闘い」を描く私小説なのである。私は、私小説的探 求の道筋は、フッサールの超越論的現象学の探求の道筋に近いものだ、と考える。いわゆる自然的な「現実」ではなく、現象学的還元の果てに見えてくる現実、それが私小説的現実である。現実を直視するとは、現実という名の幻想を直視することではない。実証主義や科学主義が見落している現実を直視することである。生きた哲学、生きられた哲学が私小説の中にある。私小説を、身辺雑記的自伝小説と混同するのは、文学に対する認識が甘いからだ。たと えば、姜尚中の自伝『母』は自伝的小説ではあっても私小説ではない。そこには、フッサール的な「私との闘い」「現実との闘い」がない。姜尚中の現実は、私小説的現実ではない。姜尚中の思想や書籍が飛ぶように「売れ」ていても、思想的に現実を動かす力となりえないのは、そこに根拠がある。それに対して、数少ない私小説作家の一人、柳美里は、私小説について、こんなことを言っている。
≪わたしは「私」の傷口から立ち上がる「痛み」を書きたいんです。「痛み」を拠り所にして書くと、「 私」の傷を曝すことになります。なぜその傷を負ったかを書くためには、「私」と「私の周囲に実在している人間」との関係を書かなければならないと思うんです。(中略)ただし、わたしが受けた影響というのは、 書いてはいけない、と法律で禁じられたからこそ、後退するのではなく、足を前に踏み出して、「私」と「 私の周囲に実在している人間」を素材にして、実名で書く。発禁処分になった『石に泳ぐ魚』よりもさらに 徹底した「私小説」のスタイルで『命』を書き切って、読者を感動させることができなければ、作家として 敗北すると思ったんです。 ≫(「群像」10月号「愛し、憎み、書く」)
姜尚中と柳美里は、同じように「在日二世」でありながらも、その文学に立ち向かう姿勢は大きく隔たっている。柳美里には、私小説が、「私との闘い」「現実との闘い」として自覚されているが、姜尚中には、それがない。
■三田誠広の私小説「深夜の櫻」を読む。
文藝評論家の伊藤氏高が、「同人雑誌はいま」(「文学界」11月号) で、商業文芸誌と同人雑氏を比較しながら現代文学 の動向を論じているが、今の商業文芸誌は、ごくわずかの例外を除いて、私小説的なものをあまり載せなくなって来ている。商業文芸誌は、もっぱら若者向けの物語性の強い「売れる小説」への志向が強くなり、その代わり私小説は古くさく、現代を描くのに相応しくないものと見做され、敬遠されるようになっている。 私は、そこに現代日本文学の衰退の根本原因があると考える。つまり「自己との闘い」「現実との闘い」としての私小説の軽視、つまり私小説的なものからの逃走が、文学精神の衰弱をもたらしている。私小説的なものを回避することによって、現代文学は娯楽読み物に堕落していると言ってもいい。むしろ、私小説的精神が依然として生き残っているのは、同人雑誌の世界である。同人雑誌の書き手達は、「売れる」ことや世間的な「名声」を求めて小説を書いていない。身銭を切って雑誌を刊行する行為によって、小説を書くことに命を賭けており、何かを書き残さなければ死ぬに死に切れないという思いで書いている。 かつて、『僕って何』で芥川賞を受賞し、その新鮮な作風で一世を風靡し、戦後生まれの新鋭作家として、同世代の中上健次と並び称された三田誠広という作家がいた。しかし、いつのまにか、商業文芸誌を中心的舞台とする純文学の第一線から遠のき、中上健次や村上春樹等の活躍を尻目に、作家としては終わったのではないかと思われていた。その三田誠広が、同人雑誌と言ってもいい「文藝思潮」という雑誌に、母親の死の前後を私小説的に描いた小説を発表している。私は、この私小説「深夜の桜」(「文藝思潮」2010年秋号) を読んで、三田誠広が、何故、文壇の第一線から消えなければならなかったのかが分かったような気がした。三田誠広もまた「自己との闘い」を、つまり「現実との闘い」を避けてきたのだ。三田誠広は、「私とは何か」という重い問題を、「僕って何」という軽い問題に変換することによって芥川賞を受賞し、いわゆる全共闘世代を代表する流行作家になったが、逆にその華々しい成功によって、文学的にもっとも大事な何かを見失ったように見受けられる。その見失った「何か」とは、次のようなものではなかっただろうか。 母親の死の瞬間を、こう書いている。
≪医師が心臓マッサージを止めると、心電図は直線になった。母は魂の抜けた物体となって横たわっていた。母は小柄で痩せていた。生まれたばかりの赤子のようにも見えた。遺体は霊安室に運ばれることになった。わたしたちは廊下に出た。≫
三田誠広は、自分の産みの親、育ての親である父や母と真正面から向きあったことがあっただろうか。おそらくなかったのではなかろうか。
≪母は小学校中退だと聞いたことがある。立志伝中の人物が、自分は小卒だと自慢げに語るのは聞いたことがあるが、小学校中退というのは当時としても珍しいことではないだろうか。詳しい事情は知らない。小学生だった母は、家出して大阪に出てきたらしい。≫
父についても、こう書いている。
≪父にも学歴と呼べるものはない。技術を学ぶ職業訓練所を出て、青写真屋で働き、二十歳の頃には自分で 青写真の機械を購入して独立していた。母と会ったのはその頃だった。≫ 三田誠広は、作家として、母親という存在、父親という存在に、ここで初めて真正面から立ち向かったというべきだろう。そしてその結果、次のように自己分析する。
≪けれども、現実の世界でゆとりを失い、追い詰められるようなことが起こると、わたしは急に腰が引けて 何もできなくなる。これは夢なのだと思って現実から目をそむけてしまう。父が創業し兄が継いだ企業が倒産した時がそうだった。兄や母だけでなく多くの従業員が路頭に迷うことになる困難な状況だったが、わたしはまるで夢遊病者のように、ふらふらしているだけだった。管財人との交渉で、わたしも資産の大半を供出することになり、生活も困窮するような状況になったのだが、わたしは仕事に専念するという理由で現実から目をそむけていた。≫
私は、三田誠広の文学は、あらためて、ここから、始まるのではないかと思う。三田誠広は、若くして芥川賞を受賞し、 新鋭作家として脚光を浴びて以来、鳴かず飛ばずの空白の三十年を経て、今、ようやく文学のスタートラインに立ったのかもしれない。ちなみに三田誠広の父と母が作った「小さな会社」とは、「コピーの三田」と呼ばれた「三田工業」(現「京セラ三田」) である。
■世界を疾走した日本赤軍の群像
さて、最近、読んだ本で僕が密かに感動した本がある。小嵐九八郎を「聞き手」とする「日本赤軍」兵士達へのインタビュー集『日本赤軍! 世界を疾走した群像』(「図書新聞」)である。その本を著者から贈呈を受けたのでじっくり読んでみたのだが、読みすすむうちに、私は、思想的立場や政治立場はまるっきり異なるにもかかわらず、文学的興奮を抑えることができな かった。何故、この本に興奮したのかを私なりに分析し、深く考えてみると、やはり、そこに「純文学」的とでも呼ぶべきな「知行合一」的精神を発見することが出来たからだと言わざるを得ない。かつて、「日本赤軍派議長」と言われ、70年代の左翼過激派を主導し、ハイジャック闘争を指揮、その決行寸前に逮捕され、長い間、獄中にあった塩見孝也、懲役二十年の刑が確定し、獄中で大腸がんを患い、今も闘病中である重信房子、あるいは映画監督として「日本赤軍(世界赤軍)」に参加し、兵士となった足立正生、同じく映画監督として『連合赤軍』という映画を撮った若松孝二等、合計五人にインタビューしているのだが、私は、ここには、最近の文学や思想が見失った「思想と行動の一致」「作品と生活の一元化」、いわゆる「知行合一」的なもの、つまり、損得勘定や立身出世というような世俗的価値を否定して、純粋に戦い続ける精神が散見出来るが故に、彼等とはイデオロギー的立場は異なるが、大いに共感できると思った。 私が、政権交代に貢献したにもかかわらず、身内の民主党の政治家たち裏切りや、あるいは検察やマスコミからの集中砲火を浴びて悪戦苦闘している「政治家・小沢一郎」や、マルクス主義や共産主義が全滅した時代に、あえてマルクス主義や共産主義の理想を掲げて孤軍奮闘する「思想家・柄谷行人」等の最近の思想や行動に共感するのも決してこのことと無縁ではない。政治家も思想家も、「私との闘い」「現実との闘い」を避けて通ることは出来ないのだ。
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