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2010年10月28日
ゼニと労働は、まったくべつの話だってば
ついさっき、知り合いと労働の対価について話をしていた。
そちらの主張は、ものには適正価格というものがあって、労働についても同じであると。
だから、すべてのものの価値は労働時間対価に換算しなければならず、それによって労働者の賃金にも反映させるべきだというわけだ。
残念ながら、それはプロパガンダに掠め取られた意見なのだ。
言いたくはないが、経済的観点で見れば、労働というのも需給に左右される価値のひとつでしかない。
で、どうしてこういう考え方になりがちなのかと考えてみたわけだ。
おそらく、多くの人はゼニと労働を同じものさしで見ようとしているんじゃないか、というのがおいらの結論だ。
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さて、そもそも適正価格とはどういうものか、ということになる。
たぶん、多くの人は、これだけコストがかかり、手間暇をかけているのだから、それ以上の金額であり、なおかつ暴利になりすぎない金額というのを適正価格と考えていると思う。
残念ながら、それはまったくの幻だ。
なぜなら、いかにコストがかかったものだろうが、そうでなかろうが、買い手が高すぎていらないと思えばそれまでのことだからだ。
その逆に、コストがものすごく低いものであっても、買い手が大金を積んで買いたいと思うようなものだってある。
適正価格なんてのは、所詮は需給で決まるものなわけだ。
労働というものも、余計な感情を抜いて考えれば、それと同じようなものだ。
オレの適正価格が月50万だと主張したとしても、雇用側が10万円だと主張し、それ以外の選択肢がなければその金額で我慢するしかない。
一応言っておくが、こういう考え方は、新自由主義的なものである。
労働者を単なるもののひとつと考え、なおかつそこに労働者の権利保護のような規制をつけなかったなら、結局このような需給だけですべてが決まる社会になるわけだ。
もちろん、国家がそこに規制を設けていくことは大事だ。
ご存知の通り、小泉改悪以降、派遣労働法の改正などが行われ、労働者保護が破壊され続けてきた。
これが現在の状態を生み出しているというのは、半分当たってる。
なぜ半分かと言えば、そうして適正価格を設けたところで、まったく雇用なんか増えるわけがないからだ。
つまり、この経済状況で考えれば、雇用側から見て、まったく労働者の価格が高すぎて手が出せないということになる。
だから、そんな適正価格論なんてのは、単に感情的なものでしかない。
最近、何度も書いているキーワードだが、そこには「妬み」というものの存在も見て取れる。
一部の人間はカネを貯めこんでいるが、労働者はいくら働いてもカネがまわってこない。
本来ならもらえるはずのものが、みんな金持ちに行ってしまってるのだ、と。
これもまた、ゼニというものの価値が普遍的で絶対的なものであるという思い込みから発したものなのだろう。
こんなことは言いたくないが、カネというものをまっとうに労働して手に入れるものという考えを捨てたほうがいい。
そもそも、カネとはそういうものじゃない。
これを操る権利を持っている連中が、価値を上げ下げして、本当の価値である「モノ」を他人から奪いとるためにあるものだ。
ご存知のとおり、バブル経済もその崩壊も、金融危機の類もみんなそれの一部に過ぎない。
カネに価値があるのは、カネを信任している人がいるからだって話がある。
例えば、貧乏人がみんなカネなんかなくていいと思ったなら、金持ちはみんなその力を失うのだ。
カネなんかに価値なんかなにもないのだから。
しかしながら、いまの時代、世界がこのカネというもので結びつく世の中になってしまったものだから、どうにかごまかしながらでもこのカネをうまく利用するしかないのが現実だ。
我々は、このカネというものの正体を知らなければならない。
知った上で、カネというものとうまくつき合わなければならない。
なぜなら、このカネというシステムをぶち壊して、本物の全体主義をつくり出そうと本気で考えている連中がいるからだ。
つまり、ゼニに頼り切り、ゼニを信奉し、ゼニに踊らされる状態をどうにか緩和しなければならないってことになる。
で、いつもいつもの繰り返しでしつこい話になるわけだが、その状態というのは、まさにデフレなのだ。
これもさんざん書いたことだが、デフレとは物価が下がる状態ではなく、カネの価値が上がる状態であって、通貨こそが王様なのだ。
それは同時に、労働という価値に対して、ゼニの価値が上がっている状態でもある。
だからこそ、買い手(雇用主)と売り手(労働者)のギャップは埋まるわけがないのだ。
適正価格だなんだって話ではなく、単純にカネの価値に左右されているだけだ。
こうして、人間はゼニのしもべになっていく。
適正価格のカネによって労働者が評価されるべきという、ちょっと考えてみればおかしい考えにまでとらわれるようになるわけだ。
みんな、こうやって騙されて奴隷にされてるわけさ!
しつこいようだが、日本の問題のほとんどは、デフレをインフレに変えるだけで解消されるのだ。
よって、さらにデフレを促進するような、消費税増税のようなことはなんとしても止めなければならない。
たとえば、いまの事業仕分けだ。
元々、事業仕分けは、ゼニの利権の奪い合いという、政治の根本部分を表に出したショーだったわけだが、どうやら今度は増税論のためのプロパガンダと化しているように思える。
だいたい、特別会計をいじるというのは、故・石井紘基先生の話でもわかるように、命がけのことであるはずだが、実情はまったくのんきなものだ。
あれでまた妬みを国民にばらまいて、その上、もうカネはどこにもないという論調に持って行き、消費税増税を狙うのは目に見えているではないか。
これでわかるように、国民の妬みとカネに対する勘違いこそが、この国の経済を危機に導いている最大の危険因子と言えるかもしれない。
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