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村木厚子氏の取調べにおける前田検事の証拠改ざん事件は、ついに、大阪高検の大坪前特捜部長、佐賀元副特捜部長の逮捕という事態に至り、10月21日、検察のトップである大林検事総長は国民に謝罪をした。しかしながら、この謝罪自体が、大阪特捜部を生贄に差し出すことで、とかげの尻尾きりとして、激しい国民からの検察批判をかわそうとする狙いは明白であり、実際、大林検事総長自身か辞職もしない。
そもそもこの村木厚子氏が犠牲になった郵便不正DM事件自体が、昨年の衆議院選挙を前にして、民主党の副代表であり、創価学会批判の急先鋒でもあった石井一副代表を狙った国策捜査案件であり、なぜ、村木氏が生贄になったのかということを、検察は明らかにしなければいけないし、マスコミもそこを伝えなければ本来ならない。
大林検事総長は、会見で、「失われた検察に対する信頼を一刻も早く回復することが、私に課せられた責務であると考えている。そのために徹底した検証を行って原因を究明し、検証の結果明らかにされた問題点を踏まえ、思い切った改革策を講じ、検察の在るべき姿を取り戻すべく、全国の検察庁職員とともに全力を尽くしたい。」と語った。
連日の検察に対する厳しい批判を受け止め、前進しようという意思表明自体はもっともだ。では、いったい何のために、検察改革をするのか。自分たち、キャリア組を頂点とした検察組織の保身を図るためか。それとも、日本の検察制度に、本来の「正義」を取り戻すためか。その根本に立ち返ってもらわなければ困る。
これは何も検察に限ったことではないが、そもそも今の既得権益派が勘違いをしているのが、大手マスメディアを利用して情報コントロールすれば、国民は従うという勘違いである。現代は、インターネットの登場と、その劇的な発展により、すでに企業の宣伝費の投下先をみても、インターネット広告費は、新聞広告を抜いて、テレビについで2位になっている。
また、とくにここ二、三年はツイッター、ブログ、SNSなどの個人が情報発信先、受けてとなる「ソーシャルメディア」が劇的に広まって、許しがたい事実があれば、急激に口コミとして情報が伝わっていくことである。もはや、インターネットを規制することはできない。中国のような統制が厳しい国家、それから発展途上国で言論が厳しく規制されている国家であっても、結局は、インターネットで本当の情報というのは、どんどん口コミで伝わっているという現実がある。
要するに、中世の「活版印刷の発明」と同じようなもので、これは時代の変化であるから、そこを無理やりに規制しようとしたり、情報コントロールをしようとしても、余計に国民の不信感をかうことになるわけだ。つまり、インターネットが新聞を超える第二媒体に成長して、しかも、テレビを抜くのも時間の問題という現実を踏まえたうえで、検察が、国民の信頼を取り戻したいというのであれば、まず、自ら、批判を向けられている事案について、隠すことなく、ひとつひとつ、真摯に向き合っていくべきことではないか。
ここ数年、国民からの検察批判が猛烈に高まった原因は二つある。
一つは、冤罪を生み出す強引な取調べに対する批判。いまだに日本の司法は、江戸時代からの流れを引きずってか、自白偏重主義になっていて、しかもその自白というのが、密室の中で、検察が描いたストーリーによって、取調べ被疑者の意向をほとんど無視して、つくりあげられる。しかも、本来禁止されているはずの司法取引が行われたり、また家族や友人を巻き込むぞという脅迫、そして、暴行も行われることがある。
その結果、起訴有罪率99.8 % という北朝鮮並のむちゃくちゃな状態が生まれ、本来、裁判の場では、罪の因果関係そのものを争うことが必要なのに、まるで量刑を決めるのが刑事裁判のあり方になっている。これは、日本が、欧米、韓国、台湾、モンゴルでも導入されている「取調べの可視化」が行われないために、検察が密室で、やりたい放題に取調べを行ってきたためだ。
そして、現場の検事も、どれだけ起訴できるかが、自分の成績に関わるということで、官僚主義的に、とにかく荒っぽいかたちでも、起訴をするために、ストーリーをつくりつづけてきた。このことが、日本では冤罪を多く生み出す原因になってきた。足利事件での菅家さんの悲劇は、けっして氷山の一角ではない。彼は、刑務所から出てこれたときに、ずっと言っていたことが、刑務所では同じように冤罪でつながれている人がたくさんいるから、その支援を行いたい、ということだった。
もうひとつは国策捜査に対する批判である。
昨年の衆議院選挙を前に、政権交代への期待が国民の間で広がっている中、民主党の小沢代表を狙い撃ちにした西松事件の不可解さが、検察批判が強まる大きなきっかけであった。自民党も森元首相、二階経済産業大臣、尾見元財務大臣が西松事件で名前があがる中で、なぜ民主党の小沢代表だけを狙い撃ちにしたのか。直後に、鳩山幹事長は、これは国策捜査だと批判をしたが。
このことが、結局、官僚権力に対する脅威に、当時の民主党の小沢代表はなっていたから、意図的に、政治生命をつぶそうとしたことを、国民から検察は疑われたわけだ。いや、その前から、国策捜査は、たびたび繰り返されてきていて、とくにコイズミ政権以降はエスカレート。その中心となってきたのが、東京地検特捜部である。また、国策捜査の被害者となった人たちが、体験本を出し、その真相を明らかにしたことも、国民の大きな共感を呼び、そして検察への怒りとなっていった。
とくにそのきっかけとなったのが、佐藤優の「国家の罠」。ここに描かれている鈴木宗男事件。さらに、植草一秀事件、ホリエモン逮捕など、国民的に知名度の高い人々も、既得権益にとって邪魔になった途端に、罪をでっちあげられたり、また微罪を拡大解釈して、意図的に葬り去るという検察の動きが、国民の間に伝わってきた。
昨年には、戦後最大の疑獄事件といわれたリクルート事件の江副浩正元社長が、その体験本を出し、いかに自分の罪が検察と朝日新聞によって、つくられてきたかということを告白した。その本の中で、江副氏は取調べにおいて暴行まがいの事実があったことも証言している。
いまや、こうした話が世の中に、インターネットを通じてどんどん出てきていて、そして国民の共感をかい、検察への怒りとなっている。とくに、検察の裏金づくり問題を告発した三井環元大阪高検部長を、マスコミへの取材を控えた中で、緊急で罪をつくりあげて、国策逮捕した件など、言語道断である。
今週の週刊朝日では、この事件に関わった暴力団関係者が、実は検察と結びついて、罪をつくりあげた構図を証言をしている。もはや暴力団とまで癒着するようになっては、検察への信頼は地に落ちたも同然である。大林検事総長は、こうした現実を受け止めて、日本の司法に正義を取り戻すことを、真剣に考えているのであれば、
・国策捜査の実行部隊である地検特捜部の廃止(東京、大阪、名古屋)
・取調べ可視化に応じること
・過去の冤罪、および国策捜査案件の検証をすべて行うこと
・少なくと、大坪、佐賀、前田が関わった過去の捜査案件の検証はすべて行うこと
これを実行に移すことより他にない。
たとえば、鈴木宗男議員が無実の罪であり、意図的に国策捜査でつぶされたことは、「国家の罠」がベストセラーになったこと。そして本人がブログで、常に地道に真実を、客観的な証拠にもとづいて発信しつづけていることで、国民はだいぶ知っているのである。また、北方領土問題や、アイヌ問題に取り組んできた実力派の議員として、人気も高い議員である。それが、ガンを患って、しかも無実の罪で、政治生命を絶たれ、収監されるという現実が、真相を知る国民の同情をかわないわけない。そうした同情が、国民から検察への怒りとなってくるわけである。検察は、現実に寄せられている国民の怒りと真摯に向き合い、そして組織の抜本的な見直しも行うべきである。過去の生み出してきた冤罪も、正直に白状すべきである。
検察への信頼が、国民から寄せられない今の状態であれば、そもそも法治国家としての基礎が揺らいでしまう。検察組織の一人ひとりが、自らの「良心」を見つめ、そして、一人の人間として、一人の検察組織の構成員として、果たすべき「使命」に取り組んで欲しい。
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