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今週の週刊朝日には先日エントリーしたスクープの他にエッセイなどでも検察や検察審査会について著名人が書いている。一人は、作家の室井佑月(むろいゆづき)女史の連載コラム『しがみつく女』で、「検察、怖い」というタイトルのものだ。内容は、ある飲み会の席で「今いちばん恐ろしいもの」として室井氏が「検察に目を付けられること。あいつらに捕まったらおしまいじゃん」と答えると、みんなは小物などは捕まるわけがないと笑われた、ということだ。
だが、実は、その昔、自身の秘書が東京地検特捜部に起訴されたことがあるという。何で捕まったかというと、その秘書はいろいろな雑誌に検察批判を書いていたそうだ。そのあとの記事では、今までに「検察に目を付けられた人」ということで、田中角栄、リクルートの江副浩正、ライブドアのホリエモンなどを上げ、巨大な経済事件や疑獄事件で動くのが特捜部だと思ったら大間違いだと説く。
≪その大きな事件を扱う間の暇な時間に(たぶん)彼らはどんな小物にも復讐をする。≫と自身の経験をもとに書いている。コラムの最後を次のように締めくくっている。
≪だから、あたしは小沢一郎を応援する。こんな検察に目を付けられて、まだ死んでない。もしかして狙われた場合、彼のこれからの動きが参考になるかもしれないもん。≫
特捜部が扱う案件ではないようなもので起訴したような事件を調べると、いろいろ出てくるかもしれない。
もう一つ、既に読まれた方も多いとは思うが、作家の嵐山光三郎氏の連載コラム『コンセント抜いたか』で、「市民という妖怪」というタイトルのコラムである。最近、暗雲たる、どんよりとした沈んだ思いの中で、このコラムを読んで胸がすく思いにさせていただいた。
要点を書こうと思ったが、結局、全文を書き写してしまった。
嵐山光三郎といえば「不良中年」シリーズがある。私は、椎名誠が好きで「あやしい探検隊シリーズ」など、氏の本はかなり読んでいるが、嵐山光三郎氏の本はほとんどなく、だいたい雑誌のコラムで読むことがほとんどだ。顔を見ても文体でも話でも、人間くさくて魅力がある人だと思っていた。余談だが、この二人の文体は、「昭和軽薄体」といわれ、カタカナやアルファベットを多用した、くだけた喋り口調が持ち味だということだ。私はこの二人のキーワードは「遊び心」だと思っている。
(以下書き写し)
≪小沢一郎氏の強制起訴を決めた検察審査会(検察審)って、ガキの井戸端会議じゃないか。と、先週の「週刊朝日」を読んで身震いした。検察審じゃなくて検察犬ですよ。検察審は有権者のなかからくじで選定した11人の審査員で構成され、任期は6ヶ月である。「検察官の公訴を提起しない処分が適当であったか」を監視する。検察官が独善におちいり、政党勢力によって動かされる事態になったときには、検察を見張る検察審が有効だが、今回のように与野党がねじれ状態のときに、検察審が独走するのは狂気の沙汰である。
平均年齢30.90歳(のち33.91歳と訂正。37歳の審査員を計算に入れ忘れたという。さらに、これも計算違いで、最終的に34.55歳だという。オソマツ!)の11人が、人口1億2000万人の代表となって審査するというのがまずおかしい。検察審の会議録を年齢入り匿名で開示すべきだ。くじで選ばれた人は、ドシロートで、東京都の69歳までの有権者の平均年齢は約43.66歳ですよ。公正に選定すれば、こんな年齢になるはずがなく、裏でなにか操作したんじゃないのか。
20歳代のアンちゃんネエちゃんが半数以上いると思われるが、審査員は匿名で守られているため正確なところはわからないようになっている。これを暴走市民という。審査員は2000ページほどの膨大な捜査資料を読みこなさなければならないが、1ヶ月程度で読めるはずもなく、つまりはテレビのニュースや、番組のコメンテイターの意見や新聞報道をもとに議決した。いくら検察不信といっても、検察が事情聴取して2回も不起訴にした案件である。負けた検察が、腹いせに検察審を煽動した感情審査ではないか。
そりゃ小沢氏に関してはグレーな部分があり、市民感覚で納得できないところがあるかもしれない。悪人づらで無愛想で、口べたで選挙に強く、民主党内に子分が多い小沢氏を嫌うという気分はあるだろう。疑惑は、土地取得が04年だったのに05年の報告書に書いた「期ずれ」で、修正申告ですむ問題である。それを、ドシロートを誘導して、小沢有罪を印象づける議決を出させた。
メディアは小沢嫌いが多いから、この議決を「市民感覚」の勝利としてほめたたえた。こんな事態がまかり通れば市民感覚によって国の運命がきまり、冤罪が生まれる。同じことは裁判員制度にもいえ、市民感覚で裁判に参加し、冤罪をひきおこす。判決に対して、誘導された市民感覚が入りこむのを衆愚政治という。
検察に提訴されれば、それだけで「有罪だ」とみなされる。厚労省の村木厚子元局長が大阪地検から提訴されたときは、新聞やテレビニュースの報道で顔を見て「とんでもない女だ」と思った。日本中がそう思ったが、裁判の結果、無罪であることがわかった。冤罪とはいえ、裁判で判決が出る前は、おおかたの人が犯人扱いしていたのである。
あとで無罪とわかって、「なんてひどいことをされたのか」と世間は同情したけれども、一時的に市民感覚は村木元局長を有罪と思った。大阪地検特捜部の脅迫的取り調べが悪いにしても、一時的に「村木元局長が悪い」と思った自分はどうなのか。
検察審の11人はおそらく20代が多く、日当8000円で「正義の人」になりすまして、さぞかし気分がいいだろう。しかし逆のケースはどうなるのか。身に覚えのない容疑で検察審で「不起訴不当」とされた冤罪事件がある。検察審の議決により殺人罪容疑で再逮捕され、21年後に無罪となった「甲山事件」がその一例だ。園児を殺害したという冤罪は検察審の責任である。
くじで選定された審査員は、6ヶ月の任期がくればそれで終わるが、責任は問われない。検察審のメンバーは名前も顔もわからず、アヤシイと思った人物を起訴できる。起訴しても小沢氏が無罪になるのはほぼ確実で、市民は小沢氏をオモチャにしているわけですよ。人民裁判ここにきわまれりで、コワモテの強者をいたぶってひきずりおろすゲーム。
小沢氏は悪人キャラで、いくら叩いてもくたばらないから、血祭りにあげて日ごろのうっぷんをはらす、といったところ。この世で一番怖ろしいのは市民感覚という妖怪で、市民と名のつくものはすべてうさんくさい。
市民団体、市民会議、市民運動、市民集会、市民ケーン、と市民がつけば偉そうになる。市民を名乗りたがるのは、利にさといインテリで、なにごとにも意見を持ち、連帯を求めつつ自己中心的、名誉欲が強く、お祭りには寄附せず、討論を好み、市役所にはケチをつけ、雨ニモ負ケズ市長ニモ負ケズ、環境を愛して隣人を憎み、警察を嫌いつつ交番に頼り、密告を好んで自分の秘密は守る。
市民はフランス語のブルジョアで、所詮輸入ものである。日本には町衆という町民はいたが、もともと市民なんていなかった。市民を気どらず町民に戻り、町民団体、町民会議、町民運動、町民集会、町民ケーンとすればいい。町民運動は町内草取り大会、校庭のモグラ退治、朝顔品評会、町内名物夫婦、町内野良犬猫研究会、餅つき大会、線香花火競べ、蚊の駆除、ゴミ拾い散歩、芋掘り、雨桶修理、民謡合戦、古池のゴミとり、と、あまりぱっとしないな。
だけど、市民より町民のほうが力が出そうで、無駄をはぶいて、気楽にいったほうがいい。市民感覚ではなく町民感覚なら、小沢一郎氏を起訴なんて暴走をしなかったと思われる。検察審は密室で行われ、非公開である。裁判員制度が裁判への市民参加を口実に強行されたのと同じく、検察審は市民感覚を金科玉条にしており、つぎは市民参加という名目の秘密警察が登場するかもしれない。愚かなる市民、扇動される市民、感覚で判断する市民が、モンスターとなって暴れまわる。≫
(以上書き写し)
嵐山光三郎(あらしやまこうざぶろう・68歳)。東京生まれ。平凡社の雑誌「太陽」編集長などを経て独立し、執筆活動に。1988年「素人包丁記」で講談社エッセイ賞、2000年に「芭蕉の誘惑」でJTB紀行文学大賞を受賞した。食や旅が好きで、国内外を旅して暮らす。
嵐山光三郎氏が裁判員制度を批判したインタビュー記事もあった
「素人はできない」 (共同通信社 2009年03月13日)
「不良中年」シリーズや最近では「不良定年」というものもあるから、今度読んでみたいと思う。ある出版社のやつと「やんちゃなオヤジの会」をつくっている(当初より自分を含め2名)が、椎名氏や嵐山氏の生き方に共感した部分や影響されたものがあると思う。
硬軟織り交ぜた人で、時々、時事ネタなどを披露すると妙に説得力がある。「市民感覚」や「民意」など、官僚やその意を汲んだマスメディアによってどうにでも煽動されてしまう。今、マスメディアに汚染されていない、本当の「町民感覚」と「町民の民意」が試されている。
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