http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/899.html
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http://www.nhk.or.jp/news/html/20101021/k10014716901000.html
菅総理大臣は、政権の情報発信力を強化するため、フリージャーナリストの下村健一氏を、広報を担当する内閣審議官に起用する方針を固めました。
下村氏は50歳。フリージャーナリストとして、テレビのニュース番組でキャスターなどを務めるかたわら、子どもや学生を対象にメディアに関する講義を行うなど、市民とメディアのかかわりを深める活動を行ってきました。また、下村氏は、以前から菅総理大臣の議員活動を支援するなど、菅氏と親交があることで知られています。菅総理大臣は、下村氏の起用によって、政権の情報発信力を強化し、みずからの考えや政策を国民にわかりやすく伝えたいねらいがあるものとみられます。
◇
元TBS下村健一アナウンサーの左遷と小沢一郎の関係 /気楽にいけるか!圓通院住職 高辻哲洋
私の記憶の片隅に残っているが、どうしてもそのキャスターの名前が思い出せなかった。
そのキャスターの名前とは元TBSアナウンサーの下村健一さん。
ちなみに下村氏の公式ウェブサイト↓
http://www.ken1.tv/
その私の記憶とは、あるニュース番組でこの童顔の若いアナウンサーがしつこく小沢一郎にくいさがって、途中で小沢が怒って番組を退席したというもの。見ている私がハラハラしてひいてしまうほど、その下村キャスターの追求は鋭いものであった。
その後、しばらくしてこの下村健一氏はアメリカに行く、ということで日本のテレビ界から消えた。当時の小沢は経世会のドンとして自民党と日本政界を牛耳った竹下・金丸氏の懐刀として飛ぶ鳥を落とす勢いであった。直感で私は下村氏は小沢氏ら政界の実力者の圧力によって左遷されてしまったのではないかと思い、政治の世界とは恐ろしいものだなあ、とおもった。
どうしても出てこなかった、この「下村」という名前を今朝ふとしたはずみで思い出し、「下村 小沢一郎」でググってみたら、当時の事実関係がだんだん明らかになってきた。
まず以下がウィキペディアからコピペしてきた下村氏の経歴である。
1993年10月より、TBS報道番組『スペースJ』のサブ・キャスター兼リポーター。
1994年に起きた松本サリン事件で警察に容疑をかけられ、マスコミに完全に犯人扱いされていた河野義行を継続取材し、冤罪であることをスクープした。しかし、同時期、同じTBSのワイドショー『3時にあいましょう』のTBSビデオ問題が日本テレビによってスクープされ、下村のオウム事件に関する貢献は一気に薄らいでしまった。また自民党の中国向けODA利権を取材していて、自民党議員が札束を紙袋に入れて持ち歩いている映像をスクープ。下村が記者会見で小沢一郎にしつこく食い下がったため、小沢が怒って途中で退席した。その後、金丸信宅に国税局査察が入り家宅捜索の結果、北朝鮮の刻印が押された金塊が発見され、中国や北朝鮮からの自民党旧竹下派に対する、資金の流動化が明確化されてきたころに、番組は突如打ち切りとなった。下村は「TBS社員として最後のお勤め、と腹を決めて」ニューヨーク支局に転勤。「地道なチーム取材で良質のリポートを出す好番組と自負していたが、オウム報道で異様に高い視聴率を取るようになったことが、結局『既存メディアを去る』決断の引き金となった」と自身のサイトに書いている。1999年に依願退社しフリーとなる。
BSジャパンキャスター
東京大学・社会情報研究所 客員助教授〜非常勤講師 「メディア表現論」等
2004年3月3日鳥インフルエンザ事件で浅田農産に対するメディアのバッシング激しいさなか、自身のウェブサイトで「鳥インフルエンザの浅田農産会見を敢えて評価する」というタイトルの記事を書いた。そのなかで「世間から"叩かれる"立場にいる人がここまで率直に語っている会見は、稀有だと思う。なるべく無難な模範回答で逃げて、ひたすら頭を下げ続けて、嵐が頭上を通り過ぎるのを待とうというテクニック(マスコミに叩かれる立場に立った企業・公人などが演じる常套手段)を弄さず、質問攻めの火に油を注ぐことをも厭わず直球で答え続けた浅田農産のその姿勢を、この逆風下で敢えて僕は評価したい。(中略)失敗が重大であるからこそ、この会見の姿勢は、評価すべきなのだ。」と書いた。しかしこのエールの甲斐もなく浅田夫妻は自殺してしまった。ドキュメンタリー作家森達也は「下村さんのHPのメッセージ、全文読みました。今のこの世界に下村さんがいることが、涙が出るほど嬉しい(大袈裟かな。でも本当です)。彼がどんな思いで首にロープを巻いたのか?最後にどんな言葉を老妻と交わしたのか?…自らを主語として想像できるメディアがあるのだろうか?…つらいです。」と書いている。
TBSテレビ『筑紫哲也ニュース23』内『それから』キャスター
TBSラジオ『中村尚登 ニュースプラザ』内「下村健一の眼のツケドコロ」ナビゲーター(1999年4月〜2008年9月)
以上の経歴をみるに下村氏が並大抵のジャーナリストではない事が明らかである。これほど有能なジャーナリストをTBSはアメリカに飛ばす必要があったのだろうか。しかもそれは下村の追求に小沢が怒って退席し、金丸の自宅から北朝鮮製であるとおもわれる金塊がみつかった直後で、しかもこの「スペースJ」という番組は、オウム事件によって高い視聴率をとっていたというのにもかかわらず打ち切りになっているのだ。
下村氏は、「TBS社員として最後のお勤め、と腹を決めて」ニューヨーク支局に転勤。「地道なチーム取材で良質のリポートを出す好番組と自負していたが、オウム報道で異様に高い視聴率を取るようになったことが、結局『既存メディアを去る』決断の引き金となった」と自身のサイトに書いている。」と語っているが、私はどうしてもこれを信じる事ができないのである。
2009-09-22 07:48:47
http://blog.goo.ne.jp/ryogonsan/e/29c2b8853ca7a7808a7bab7a70c3d527
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