http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/892.html
Tweet |
http://takashin110show.blog119.fc2.com/blog-entry-1087.html
生方と生恥って似てるね
チギンナゲットの日記
2010-10-20
生方議員事務所、衆院選収支報告で虚偽記載か
http://d.hatena.ne.jp/earsp/20101020/1287577592
……。
なんだろ、なんか通り越しちゃってる感じがする。
コイズミといい、ケケ中といい、カンといい、マエハラといい、センゴクといい、レンホーといい、シンボーといい……
ゲスが大手を振ってまかり通ってしまってる、誠にミョーーーーなご時世になりました。
神秘の杜
アホ菅政権に「助言」は逆効果だ
http://ameblo.jp/mo-014925/entry-10682599595.html
太陽光発電日記by愛知・横田管工
勘が鈍いエリートを大量生産した日本社会=妄想症候群の検察・マスコミ
http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-5e11.html
一部引用
“ある意味ではエリートといわれる彼らが、政治家の心意気に感じ、
私財をなげうって支援するという、無償の行為の存在を疑問視するような、
狭い了見の持ち主でしかないというのは残念なことです。
人間はいつかはかならず死にます。
限りある命を実感できるからこそ、損得勘定を越えた無償の行為に永遠の価値を見出せたりするわけです。
自らが無に帰する宿命を悟った人間であるからこそ、
もうひとつの命である”こころ”を未来につなぐリレーに生きた証を託そうとするものです。
日本の風土の中で何千年と紡がれてきた”価値観”を喪失し、
エリート面した勘が鈍いKY連中が、
あらゆるものを損得勘定の論理整合性の中に塗りつぶしていく様は、
日本人として容認しがたいものがあります。”
内田樹の研究室
公共性と痩我慢について
http://uchida-tatsuru.blogspot.com/2010/10/blog-post_11.html
一部引用
“現に、北朝鮮では国民的な規模で「我慢」が演じられている。
だが、外的強制による「我慢」が全体化するほど、
この国はますます公共性を失い、「私物」化している。
「こんなこと、ほんとうはしたくないのだけれど、やらないと罰されるからやる」というのはただの「我慢」である。
それは何も生み出さない。
「こんなこと、ほんとうはしたくないのだが、俺がやらないと誰もやらないようだから、俺がやるしかないか」という理由でやるのが「痩我慢」である。
それは「選ばれた人間」だけが引き受ける公共的責務である。
高橋さんに向かって「俺は国のために死ねる」とうそぶいた酔漢は「そういうことを言わないと罰される」という恐怖によってそのような大言壮語を口にしている。
動機は(本人は気づいていないが)処罰への恐怖なのである。
自分が「我慢して公共的なふりをしないと罰される」という恐怖を実感しているからこそ、同じの言葉が見知らぬ隣りの客にも効果的な恫喝をもたらすだろうと信じているのである。
「痩我慢」している人間は決してそのような言葉を他人には告げない。”
生きなきゃいけない。
2010/10/21(木) 07:17:51| 未分類
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK97掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。