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「職務と関係ないことでこういう場に呼び出すやり方は、はなはだ彼の将来を傷つけると思います。優秀な人であるだけに、大変残念に思います」仙谷官房長官 於:10/15 参院予算委員会
15日の参院予算委員会で、経済産業省官房付の古賀茂明氏が、菅内閣が進める国家公務員の独立行政法人などへの「現役出向」について、非常に問題だ、と批判したことを受けて、仙谷官房長官は、答弁を求められていないにも関わらず、冒頭の発言を行い、審議が中断する事態となった。
直後の記者会見で、仙谷官房長官は、恫喝のつもりはなく、古賀氏の国会への出席はルールが違う、などと言い訳したようなのだけれど、出席については、みんなの党の小野次郎氏が出席を求め、民主党側も了解していたことで、それこそ「皆で決めたこと」。それを今になって、ルールが違うなどというのは、筋が違う。
古賀茂明氏は、個人的な見解であって、経産省の意見ではない、と断った上で、国家公務員が関係機関へ現役のまま「出向」することは、どう見ても、「天下り」の言い換えとしか考えられず、政府の現役で出て行けば問題ないというのは不思議である、と政府の方針を批判する勇気ある発言をした。それに対して、わざわざ、「古賀の上司」にあたる官房長官が、彼の将来を傷つける、優秀な人であるだけに、大変残念だ、なんて発言するのは、やはり、恫喝と受け取られても仕方ないと思われる。
古賀氏がちゃんと経産省の意見ではない、と断っているのだから、彼の個人的な意見は別として、政府の立場としては、現役のままの「出向」は問題ない、と言えばよいだけのことだった筈。また、14日の参院予算委員会では、新聞報道をもとに質問した自民党の山本一太氏を「最も拙劣な質問方法だ」と批判した仙谷氏本人が、野党時代に同様の質問攻めにしていたと明らかにされたり、18日の参院決算委員会で、尖閣沖衝突事件で、逮捕された船長の釈放直後に仙谷官房長官と電話で話した内容を“暴露”した、自民党の丸山和也氏をいい加減な人だ、と批判したりと、まぁ、キレ系の発言が目立つ。
この「キレ芸」はマスコミに対しても如何なく発揮され、「陰の首相」などと一部で報じられたことについても、「私に対するおちょくりだ」と激怒してみせている。同じ「影の首相」でも、影は所詮影ですから、と受け流していた福田元総理の方がよっぽど大人。福田元総理も、それこそ「貴方とは違うんです」と思っているのではないか。
まぁ、冗談はさておき、こうした仙谷官房長官の態度が、はたして「うろたえて」のものなのか、それとも「意識して」やっているのか。ここのところの国会では、菅首相に答弁を求めても、仙谷氏が割って入って、声を荒らげたり、けむに巻いたり、逆質問したり、とどちらが首相か分からないくらいにふるまっている。
それでいて、質問の肝心な部分に関してははぐらかして、一切答えないものだから、始末が悪い。自民党の丸山和也氏に電話で話した内容を暴露された時だって、「健忘症」なるものに掛かったらしく記憶にない、とのたまう。普通、うろたえての発言であれば、肝心な部分もぽろっと漏らしてもらうこともあると思うのだけれど、そうしたところが一切見られない辺り、わざとそうした答弁をしているものと思われる。
これは、柳田法相が、14日の参院予算委員会で、尖閣沖衝突事件で船長を釈放したことについて「私が釈放を決める前に…」と、うっかり漏らしてしまうのと実に対照的。こうした、仙谷氏の対応について、自民党の石破氏は自身のブログで、「『答弁の内容が政治的におかしかろうが法律的に矛盾していようが、はぐらかしであろうが、その泥は一切自分が被る』という強烈な意志が感じられ、これは正直かなり手ごわい。」と述べているから、やはり、意識してやっていると見ていいだろう。
だから、こうした御仁は、他人からの批判を気にして、言を左右してうろたえる菅首相のように、簡単にボロを出すタイプじゃないから、国会で普通に質問したり、批判したりするだけでは、無駄に時間だけ空費してしまう。もしかしたら、それさえも計算してやっているのかもしれない。相当に狡猾。
尤も、本人は、自分の頭の良さや切れに絶対的な自信があって政権を切り盛りしている積りでいるかもしれないし、菅首相を始めとして、閣僚達もてんで頼りにならないように見えていて、俺様がいるから、内閣が持っているんだ、という思い上がりにも似た自負心があるのかもしれない。だけど、決定的に「徳」がない。
筆者は、仙谷氏に、恫喝したり、金や名誉で懐柔すれば、人はどうにでも操れるとでもという、一種の傲慢さに似たものを感じている。特に、恫喝して人を抑えつけるようなやり方は、「徳」とは真反対に位置するもの。この点については、他人からの批判を気にする分、菅首相の方がまだマシだと言えるかもしれない。だけど、逆にいえば、徳に欠けているということは、肝心な時に、周りが庇ってくれないことを意味するから、丸山議員のように、今後も、色々と内実を「暴露」されたり、リークされたりする可能性があると思っている。なぜなら、人は恫喝が効く相手ばかりとは限らないから。
自民党の西田議員のように「もし事故にあったり私の家族が巻き込まれたり、変な死に方をしたら、なにかあったと思ってほしい」と腹を括れる人だっている。だから、時間が経てば経つほど、仙谷氏の「化けの皮」は剥がれてくると思われる。それに、いくら肝心なことを喋ならかったとしても、本人そのものへ信頼度がゼロになれば、隠す意味がない。
特に、質問の意味が分からないとか、マスコミに逆切れするところなんかは、逆に言えば、結構追い詰められているとも言えなくもない。普通のロジックで説得力を持って答弁できれば、それに越したことは無い筈なのに、わざわざ、はぐらかしたり、逆質問して逃げなければいけない状況にあること自体、今の政権が、世論の期待とはズレていることを如実に示している。
だから、今の仙谷氏の答弁のように、恫喝、はぐらかし、逆質問といった、まともに答えないやり方が続けば続くほど、時間はかかるかもしれないけれど、仙石氏に対する信頼感は減っていくだろうし、支持率ももっと落ちてゆくだろう。仙谷氏の存在そのものが民主党にマイナスに働くようになったときが、民主党政権が終わりを迎えるときなのかもしれない。
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