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まあ、小沢信者の方々がお嫌いな文芸春秋の記事ですが民主党で生き残った長老議員達の座談会です。長老まで生き残ろうとしたら寄らば大樹の陰。
石井氏も小沢氏を見放したようにも解釈できます。渡辺氏の長広舌にはヘキヘキしますが。
まあ、このようにご長寿として生き残っていったのが日本の政治家でしょうね。
長文ですが他の記事の参考文献として読んで頂いたら幸いです。
kanegon
──今日は経験豊富な、民主党のいわば「三長老」の先生方にお集まりいただきました。
渡辺恒三は、一九六九年の初当選以来、連続十四回当選され、自民党時代から厚生、自治、通産大臣等を歴任。今は民主党の最高顧問をお務めです。石井一さんも御歳は二つ下の七六歳ですが、初当選は渡辺さんと同期の」六九年組。衆院で十一回当選を重ねられ、国土庁長官、自治大臣等を歴任。現在は参議院で、民主党の副代表。藤井裕久さんは、渡辺さんと同じ七十八歳ですが、大蔵省で長く仕事をされた後、一九七七年に初当選されて衆院七回、参院で二回当選を果たされました。細川、羽田、そして昨年発足した鳩山内閣と三度財務(大蔵)大臣を務められました。
今日は、九月十四日に行われた民主党代表選挙の総括と、今後の民主党の進む道について、大所高所から御意見をうかがいたいと思います。まず代表選を振り返って、いかがですか。
渡辺 本当に、こんな国内外が大変な時期に参院選以降二カ月あまりも政治空白を作ってしまって、国民の皆さんに申し訳ない選挙でした。これは何度謝っても謝り足りない。
藤井 私も、今回の代表選挙はやるべきじゃなかったと思っています。何だかんだと理屈をつけて政策論争をやっているように見えても、所詮権力闘争ですからね。今、円高、デフレ雇用など問題が山積で、経済が大変な時期に、内輪の権力闘争をやるのはおかしい、というのが理由の一つ。
もう一つは民意です。七月に参院選が終わった直後の世論調査で、菅直人総理は続投すべきだとする声が大体七割ありましたね。これは驚くべきことです。平成になってから、与党が参院選で惨敗した例は三つある。宇野宗佑総理、橋本龍太郎総理、そして三年前の安倍晋三総理。三人とも参院選後は「辞めろコール」を浴びましたね。しかし、菅さんは違った。なぜか?これは国民の冷静な声なんです。安倍さん以降、福田康夫さん、麻生太郎さん、鳩山由紀夫さんと、一年も待たずに総理がクルクルと変わった。いい加減にしなさいという国民の賢明な声が聞こえているのに、どうしてそれに背を向けるのかと私は思っていました。
石井 私もデメリットが大きかったとおもっていますが、それでもメリットもあったと思います。 オープンな化が血で政策論議をやり、党員、サポーター、地方議員も含めて本格的な選挙をやり、政権政党たる民主党の存在を大きく世間に認知してもらえた。
最近の代表選は、今年六月の菅直人対樽床伸二もそうでしたが、ややもすれば形骸化されていた。やる前から結果が見えるような代表選でした。
私が初当選した頃は違った。例えば「角福戦争」がありました。これはもう壮絶なる闘いで、どちらが勝つか本当に分からなかった。国民注視の下でそうした本格的な選挙を一度きちんと行った点は、民主党が政権政党として歴史を作っていく上で評価されてもいいと思っています。
小沢総理ならネバー・リターン
渡辺 確かに、俺と石井君が初めて議員になった当時は、佐藤栄作がすでに総理大臣になって六年目。「ポスト佐藤」として「三角福大中」が騒がれていた。とにかく派閥の親分が総理になる、という時代の中で「角福戦争」を戦ったのが、私にしろ、石井君にしろ、小沢(一郎)君にしろ、政治家としての原体験なんだ。実力者になるとは、すなわち金を集めて、子分をつくるという意味だった。でもそういう時代は二〇〇一年に橋本龍太郎君が圧倒的有利といわれていた中で、世論を味方につけた小泉純一郎君が勝った時に終わっていたんだ。昔の政治であれば、今回小沢君が負けるはずがない。今、政界の最高実力者は小沢君で、菅直人君は金も作れないし、子分もいないんだから。申しわけないけど、マスコミの皆さんの中にの政治が変わったということをご存じない方が結構いて、一生懸命、票読みをしておられたけど、一番ご存じなかったのは小沢君だったということだなあ。
石井 代表選をやったことに、結果的には一定のメリットがあったとは申し上げたけど、本来、本当に成熟した政党なら、今回のような代表選は止めないといかんかった。ところが、数名の小沢側近が「やれ、やれ」コールをし、あろうことか、その後押しをしたのが前総理だった。
渡辺 鳩山君の仲介についてはもう、何と言えばいいのか……。これは調整力があるとかないじゃないんだ。本人にもやるべきことが全然分かっていないんだから。鳩山君は、総理の時も、朝と夜で言うことが違った。見識も、哲学もないんです。人柄はいい。だから、朝、右と言われると右に動き左と言われると左に動くんだ。今回の仲介劇も、日本の政治にとっても、民主党にとっても最悪のことを鳩山君はしたんだけど、自身は全然そんな気持ちはないでしょう。一生懸命、瞬間いいことだと思ってやっているんでしょう。しかし、せっかく政権交代したのに、最もつまらない男を最初の総理にしちゃったのは、返す返すも不幸なことだった。
藤井 鳩山さんは、六月に小沢さんと一緒にお辞めになり、「とことんクリーンな民主党に戻そう」と明確に言われた。実に立派なことだったと私は思うんです。でも今回は、それを帳消しにしてしまって、」真に残念です。
石井 まあしかし、万が一にも小沢さんが勝たなくて本当によかった。もし小沢さんが勝って総理になっていれば、ただちに国会で立ち往生しましたよ。彼は陸山会事件で、秘書、元秘書ら三名が起訴されたのに説明責任を果たさず今日まで来たわけです。「政倫審に出る」「証人喚問に応ずる」などと言いながら、結局は忌避してきた。やはり、説明がしにくかったんでしょう。多数の力によって、野党の要求を弾き飛ばしてきた。陰の実力者、幹事長の立場ならそれで何とか通用したかもしれませんが、総理という公人中の公人となれば逃げられません。
そうなると、今の円高、尖閣、普天間……あらゆる問題の前に、「まずきちんと自分の事件の説明責任を果たせ!」と野党は徹底的にいいます。なんぼ衆院では民主党が三百六議席を持っていても、これでは政権は持たない。おそらく小沢総理なら十月か十一月には解散、総選挙になったでhそうね。そして民主党はまた百議席台に逆戻りでネバー・リターンでした。だから私は小沢さんに「今回は出るべきではない。あなたが立つべき時期があるとしてもそれは別の時期だ」と忠告したかったんだが、彼は都合が悪い時には電話も受け付けませんから(苦笑)
藤井 今の話は小沢さんご自身が一番よく分かっておられたと思います。出馬については随分逡巡したのだろうと想像します。小沢さんの周りが元気を出しすぎたんですよ。小沢さんにとっては贔屓の引き倒しで、気の毒だったと思います。
石井 小沢さんの周囲には出馬を制止する知恵袋、藤井さんのような方がおられたらよかったのですが、やはりそういう人がいなかった。
小沢君が怒鳴りこんできた
―――お三方とも自民党を九三年に飛び出した。ある時期は小沢さんの盟友であり、知恵袋であり、同志であったわけです。新生党に参加し、新進党が解散する一九九七年までは三人とも小沢さんと同じ道を歩まれた。新進党解散後は民主党で再び合流された。三十年以上、様々な立場から小沢さんをご覧になってきて、改めて政治家・小沢一郎の評価は、いかがですか。
渡辺 小沢君が政治家として田中角栄さんや、金丸信さんや、竹下登さんから信頼されたのはポストを求めなかったからです。一年生議員の時からそうでした。恥ずかしいけど、私らは選挙が弱いから、当選二回となると、選挙区の者に「今度、恒三先生、何になるんだ?」と言われるから、やはり政務次官(現在の政務官)になりたいと思う。当選五回になると、「次は大臣になるのか?」と言われるから、やっぱり大臣にならなくちゃいけない。
小沢君の話で私が直接関わったのは九一年に海部俊樹総理が退陣表明した後、宮沢喜一内閣ができる前のことです。金丸さんは小沢君を推していたし、当時各派閥の親分だった河本敏夫さんも、三塚博さんも、渡辺美智雄さんも「小沢君なら応援する。」といっていた。小沢君が首を縦に振りさえすれば総理になれるという局面で、当時一番親しい立場だった私が口説く役目を仰せつかった。一晩小沢君に「引き受けろ」といっても、結局返事は「ダメだ。まだその時期ではない」。当時彼はまだ五十歳前後でした。最後に「君は若いから、これからチャンスがいくらでもあると思うかもしれんがチャンスは二度とないぞ」と言ったのを今でも思い出します。
ただ、いつからか、人事とお金の実権さえ陰で握ればいいという考えになったんだなあ。
藤井 私は小沢さんと同じ六九年組のお二人とは違って、同僚というより下僚として付き合ってきました(笑)。ただ、小沢さんが立派だったと思うのは、一九九三年に細川内閣を作った時です。あの時、本音では羽田孜さんを首相に望んでおられた。でも、非自民連立政権をまとめるには細川護煕さんだと最後は決断した。これは実に立派だったと今でも思っています。
ただ、小沢さんの手法に違和感を感じたのは、やはり〇七年の福田(康夫)内閣における大連立騒動でした。
そもそも私たちが自民党を出たのは、日本に二大政党制をつくるのが目標でした。八九年、リクルート事件を機に、自民党に党政治改革推進本部ができた。本部長が伊東正義さん、本部長代理が後藤田正晴さん。一番下っ端に私は入った。そこで日本を将来的には二大政党にしていくことが絶対に必要なんだと言うと、自民党の当時の若手が烈火のごとく怒ったわけです。「二大政党ということは自民党を弱くすることじゃないか、それを自民党の文書に書くのか!」と言うわけですよ。そして数年後、離党の際に、僕は後藤田学校の生徒ですからご挨拶にうかがった。すると、「きみらにやることは正しいけれども、十年かかるぞ。十年我慢できるか」と言われた。それを覚悟の上で自民党を離党し、十四年かかってようやく二大政党による政権交代が目前まで来た〇七年に、自民党と手を組んでの大連立という発想は、どうしても出てこないはずなんです。
―――石井さんは昨年の政権交代後、選対委員長に就任され、小沢幹事長、石井選対委員長体制で今年六月の小沢辞任までは一緒に参院選対策をやってこられた。小沢さんとの関係が良好なんだろうと思っていたら、菅さんの選対本部長代理になった。これには小沢さんのびっくりされたと周辺から聞いています。そのきっかけとは?
石井 幹事長と選対委員長との間で、なにか問題があたわけではありません。そもそも私は、ずっと小沢さんんと行動をともにしてきたわけではないんです。新進党の党首選では小沢ではなく羽田を支援して対決しましたし、新進党解党にも真正面から反対しました。ただ、彼も、必要なときじは是々非々で私を登用するということをたびたびやってきた。同期当選で四十一年つかず離れず歩んできたんです。今回は、先ほど申し上げたように、小沢さんを総理にしてはいけなかった。
渡辺 俺の場合、自分から小沢君と離れたことは一度もありません。全部、小沢君のほうから離れていった。
細川内閣の頃、小沢君が新生党代表幹事で、俺が代表幹事代行だった時の話です。あれは小沢君が国民福祉税七パーセントをぶち上げた時だ。突然の発表に、武村正義官房長官が「そんなこと全然聞いていない」と言って対立した。その頃、総理だった細川君が「小沢さんが武村さんを斬れといっていて、困っている」と俺に相談に来たので、「当分、君は黙っていろ。俺が何とか小沢君と話して丸く収めるから」と言ったんだ。にもかかわらず、やっぱり殿様だんだなあ。小沢君が細川君に「何故武村を辞めさせない?」と迫ると、「いや、渡辺恒三さんが辞めさせなくてもいいと言ったんだ」と漏らしちゃった。この時初めて小沢君が僕のところに怒鳴り込んできて「許せねえ」と。俺と小沢がケンカを始めたなんてことはみともないから、俺が兼務していた政次官自を船田元君に譲って退いたんだ。これが一回目のクビだな。それで昨秋、今度は最高顧問をクビになったんだ。(笑)
―――去年の三月に、西松建設違法献金事件で小沢さんの公設第一秘書が逮捕された時、渡辺さんが、「小沢代表では選挙は勝てない。代表を辞任することが結果として国のため、民主党のため」と発言された。八月の総選挙で圧勝した後、小沢さんは幹事長になり、渡辺さんは最高顧問から退かせましたが、あの発言が影響したのでしょうか。
渡辺 実は俺と小沢君は誕生日が同じなんだ。彼が昭和十七年五月二十四日、俺が昭和七年五月二十四日。田中角栄さんはそういう感覚がすごいから、一人がその日に誕生会なんかやったら、もう一人も別の場所でやらなくちゃいけなくなる。合同誕生会にしようということで、赤坂の料亭にみんなを呼んで始めたわけだ。それ以来ずっと合同誕生会をやてきた。ところが本当なら四十一回やてなきゃおかしいのに、二十回ぐらいしかやっていない。これも俺から断ったことは一遍もない。「本会議には出るべきだ」とか、「党の常任幹事会にでなさい」とか、俺が諌言した年には開かれないんだよな(笑)。だから、去年もなかった。要するにアドバイスの中身なんか関係ないの。他人からああしろこうしろと言われること自体、威厳にかかわるという考えなんだな。
菅に足りない王者の貫録
―――なるほど、「俺に近づくやつは百パーセント子分でなければならん」というわけえすね。十月にも検察審査会の議決が出るといわれています。もし仮に小沢さんに「起訴相当」の議決が出て、強制起訴された場合、党としては、離党勧告なり、何らかのけじめを求めるべきすか。
渡辺 そのことについては、申しわけないが、ノーコメント。
石井 もし、強制起訴されれば当然彼は説明責任を負わなければいけません。政倫審なり、証人喚問なりで説明するべきでしょうが、これも今の執行部、菅代表、岡田(克也)幹事長以下が判断するべき話です。「たら」「れば」で話すのは早計すぎる。
藤井 岡田幹事長がその質問を記者から受けて「難しくて私にも答えられません」と言われました。何の役職もない私にはもっと難しい(苦笑)。
――――はっきり言われないところに大きな意味があるんですね。(笑)ところで今回の代表選、国会議員票では菅さん二百六対小沢さん二百.皆さんがおっしゃたように、小沢さんの出馬に派』大義がなかったにも関わらず差はわずか六票でした。これは結局m、菅さんへの支持が消極的なものであることを表していると思うのですが、菅さんへの評価はいかがですか。
渡辺 俺は、菅を立派な政治家だなんてことは、一遍も言ったことはない。ただ鳩山が辞めざるを得なくなったとき、会社の社長が突然辞めるのだから、副社長がなるしかない、そして今回も菅が勝ったんだから、よく教えて、間違っているところは直させて、何とかしばらくは菅にやってもらうしかないんだよ。
―――菅さんには、正月に小沢邸を訪問していたかと思うと半年後には「静かにしていただいたほうがいい」と小沢さんに言うような「ずるさ」を感じるのですが。
渡辺 ウン、ずるい(笑)。
石井 私はね、二十年前に海部内閣で国土庁長官をやていました。バブルでこの国の土地価格がピークになって、大きな問題になった。私が、土地担当の大臣として答弁する際に野党で一番手ごわかったのが当時社民連の政審会長だった菅直人でした。最後に出てくるんですが、彼を相手にする三十分が一番きつかった。その時から、この男はよく勉強していて蓄積があるやつだと感じていました。
そこからこの二十年の乱世を、裸一貫で渡り歩いてきたわけですからそれなりの器の男ではある。ただ、やや帝王学が足りない、王者の貫録がないという側面もあるのは事実でしょう。しかし、時間がたてば、実務型総理としてかなりの実績を残す才能を持っていると思います。ただ、熟議も結構だが、時には小沢式の決断と実行力を側近を抑えて発揮してほしいなあという気はしますね。民主党には次世代、次次世代の総理候補はいくらでもいます。でも、今すぐ総理をやれる人材は今のところ彼以外にはいない。
政治主導は人柄で
藤井 菅さんは「次の世代へのつなぎ役を私はやる」とはっきり言っておられる。これは非常に大事なことです。私は若い議員に、よく司馬遷の『史記』の中にある「四時の序」という話をするんですよ。四時というのは春夏秋冬。春はあらゆる芽が出て、夏になると育成され、秋にはそれが成熟してきて、冬にはそれが納められる。その折々に主役が変わっていくのが筋なんだと書いてある。それが人の道でだり、政治の道です。常にリーダーというのは次の世代のリーダーを作ることを考えていないといけない。会社でも、いくら力のある言い社長でも、次の世代のことを考えないでいては、結局長い目でみたら会社をマイナスにしてしまいます。
渡辺 もう政治は変わったんだ。私と藤井さんは、石原慎太郎さんと同い年だけど、彼のせがれ(石原伸晃)が自民党の幹事長をやる時代だよ。だから、俺らも小沢も、もう歴史上の人物になる時だ。マスコミでも、議員でも、「まだ小沢が何か仕掛けてくる」と見ている人がいるkじゃもしれんが、ありえない。もう小沢君の時代は終わったんだ。小沢君も今更党内をかき乱すような馬鹿な真似はしないと思う。私は小沢君と一緒に、今後は若い人育てますよ。やっぱり明日の日本の政治を担う政治家を民主党から育てることが、私らの世代の仕事です。ただ、昔の「二・二六事件」や「五・一五事件」もそうですが自分の存在ではまだ騒ぎを起こせない若い不満分子が、小沢君の名前を利用して何かをやろうとするかもしれない。そこは気をつけないといけません。
―――今回の人事についてはどう見ますか。閣僚や党役員は小沢さんと関係ない人が多く、副大臣、政務官はむしろ積極的に小沢さんに近い人を起用した感がありますが。
渡辺 実際、大臣が一人、一人を見てもらうと、小沢君に投票している大畠章宏君が経済産業省、鹿野道彦君が農水相です。小沢君に投票した人が大臣になれなかったわけじゃない。ただ、小沢君のグループの中には、誰が見ても。当選回数、経験、実績で大臣にふさわしい者は山岡賢次君しかいなかった。」あとは若手、中堅が多いからどうしても副大臣、政務官で処遇することになるというだけです。山岡君も今度、党の副代表という要職についているわけで、親小沢、反小沢で人事が動いたことは全くありませんよ。
石井 私はね、山岡君みたいな人材を大臣に入れてやったらよかったと思いますよ。それぐらいの肚を示さんと、党内融和はできません。適材適所で、バランスの取れた人事でしたが、そこにもう少し愛情と、人情味があったら、もっとよかった。まあ、そんなこと言う人あんまりおらんから言うんだけどね。
藤井 私はノーコメントです(笑)。
―――代表選を終えて党内は「トロイカはもういい」という空気です。民主党を将来引っ張っていく、ポスト。トロイカというと誰になりますか・
渡辺 大体「トロイカプラス1」なんてマスコミの皆さんが嬉しがって書いているだけで、俺らは彼らが実力者だとか考えたこともない。小沢君が実力者であることは確かだが、あとは日教組かなんかの親分と言うことが朝と夜でクルクル変わる元総理でしょう。もし菅君に何かあったら次の総理は岡田君とか、前原(誠司)君の時代ですよ。正確に言うと仙石(由人)君も、玄葉(光一郎)君も、枝野(幸男)君も。野田(佳彦)君も、みんあに同じレベルで期待しています。
石井 さらにもう一段若いところにも、なかなかいいのが民主党にはいますしね。まあ、今は菅内閣が代表選を経て新しいスタートに立ったんだから、その次まで、私らがどうこう言うのはおこがましいですが。
藤井 今はみんなが切磋琢磨段階ですよね。そこから自ずと、評価されて出てくる人がいる。今の大臣人事でもそうですが、人の上に立つ人には、その地位にふさわしいパーソナリティーが必要なんです。私が官僚時代に仕えた大蔵大臣は水田三喜男、田中角栄、福田赳夫、大平正芳、愛知揆一……。彼らのことを官僚は尊敬していた。人柄に惚れて、言うことをきいた。これが一番の政治主導です。仕組みづくりも大事ですが、政治主導とは、大臣のパーソナリティーに負う部分が非常に大きいんですよね。
ハマコー、角栄、東條英機
渡辺 今の民主党の議員は、政策はよく勉強しているし、英語なんかもみんな話せる。俺たちが代議士になった頃は「花の(昭和)四十四年組」なんて言われたけど、英語をしゃべれる奴は二人しかいなかった。政策をつくるというと、通産省出身の林義郎君に相談をしペーパーを書くのも林君に頼んだんだもんだ。今、民主党の若い議員は政策は作れるし、英語もできる。
石井 そうです。私は参院選の選対委員長として候補者選びをしましたが、公募で二千人を超える人間が着ました。みんな、きら星のごとき経歴の持ち主ですよ。高学歴で留学経験があり、松下政経塾やシンクタンクで政策を研究していたあり、自分が取り組みたい専門分野までにすでに持っている。弁護士もいれば、医者もいれば、官僚もいる。自民党は今でも、どちらかといえば、閨閥、ファミリーの関係者が結構いるけども、民主党は各界のエリートが集まっている集団なんです。ただ政治の難しいとこrは、専門分野g分かっていないようじゃ役に立たない。
渡辺 水準は高くなっているが、残念ながら、面白いのは一人もい愛んだ。かつてゃハマコー(浜田幸一)みたいなのがいたが、今はサラリーマン化している。
藤井 頭のいいのに、いい人間はいない(笑)。どこの学校でも成績一番のにはろくな人間がいたいっていうじゃないですか。一番でずっと来るエリートになっちゃって、世の中のことがわからないんです。昔の話で恐縮ですが、東條英機は陸士も陸大もトップクラスだったでしょう。そのほうが国を誤る。
石井 後世の評価は分かれますねが、田中角栄さんは小学校出で、あれだけの仕事をした。ああいうタイプは今のわが党にはいない。
渡辺 やっぱり最後は「心」なんだなあ。政治家になる「志」。国のために自分の生涯を捧げたいという志が一番大事。今の人は優秀だけど、残念ながら、そういうのが足りないんだ。
―――さて、「ねじれ国会」が待っていますが、どう乗り切っていきますか。
藤井 乗り切るために民主党が気をつけるべきことも、実は先ほどの話に答えがあります。野党のみなさんから謙虚に話を聞き、閣議決定の前に修正する余裕のある段階できちんと話し合うことです。民主党の頭のいい人は「俺がいいこと言っているんだから、従え」となりがちですが、そうなったらおしまいですよ。七六年の衆議院選では新自由クラブが十七議席を一気に取って、今の「みんなの党」よりも多くなった。そこで当時の幹事長大平正芳さんがパーシャル連合を言いだしたのは、一つの参考になる。重要な事柄については、各党ととにかく真摯に話し合うという王道ですね。
石井 国対に入る連中には、私もアドバイスしました。とにかく、丁寧に、野党に配慮する事が大事。それからもう一つは、参議院での過半数よりも、衆議の三分の二のほうが必要な議席数は少ないわけです。その点も努力しておきべきでしょう。
政治を停滞させないために、あらゆるオプションを持った上で、絶対に強行採決はしないという姿勢をみせなきゃいかん。小沢幹事長、山岡国対委員長の時代ははっきり」申し上げなくてよかった。九か月前の間に十回も強行採決し、参議院では会期末処理のきちんとせずに、強引に国会を閉じるという前代未聞のことをやってしまった。あんあことが二度とあってはならない。
渡辺 俺も、四十一年国会議員をやっている中で、一番恥ずかしい思いをしたなあ。ついこの前まで与党の強行採決はけしからん、と言っていた民主党が強行採決。野党の審議拒否。あれ程恥ずかしかったことはない。
俺は竹下内閣の時に「消費税を作るために、野党に顔が利く恒ちゃんしかやれん」と竹下さんにおだてられて国対委員長になったんだ。そこで、当時の安倍晋太郎幹事長に電話して、「あべちゃん、俺、国対委員長になっちゃった。あんたのところから鹿野道彦君を筆頭副委員長にお願いしたい」と言ったら、「鹿野は総務局長に決めた。もったいなくて、君には貸せない。小泉純一郎で我慢しろ」だって(笑)。しかし、結果的にはその小泉が役に立ってくれた。あの小泉が五年も総理大臣やるとはねぇ。………。これは余分な話だったな。
要するにその頃からの大事な国会哲学は、こういうことなんだ。与党は多数でいいと言うならば、国会なんかやなくていいってことになる。だから小沢、山岡主導の国会は大間違い。神様が参議院に野党多数を与えて、「民主党よ、驕るな。謙虚な姿勢で国会の本筋をやれ」と我々に言っているんだなあ。
菅政権は、まだまだ力不足のところはあるかもしれないけど、とにかく、これ以上総理を変えるようなことがあってはいけない。我々は菅政権が誤った方向に行かない」ように小沢君ともども、後進を育てながら後ろから見守っていきますよ。
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