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2010年10月16日(土)
強権を持った検審議決への無効訴訟は是認できる
当然のことながら、小沢一郎氏は、東京第5検察審査会の議決を無効だとして、議決取り消しなどを求める行政訴訟を起こした。
無効だとする理由はきわめてシンプルで、誰にでも分かることである。
前回議決の被疑事実に、異なる被疑事実を付け加え、別紙に「犯罪事実」として記載したうえで、「別紙犯罪事実につき、起訴すべきである」と議決している。詳しくは10月8日の当ブログ(http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10671163703.html) をご覧いただきたい。
これは明らかにルール違反である。強制起訴には二度の「起訴相当」議決が必要だが、同じ容疑内容について二度審査していることが前提となるはずだ。別の容疑を付け加えるのであれば、新たに出直し審査をしなければならないと考えるのが常識だろう。
小沢弁護団が訴状に代わって公表した文書の要旨にはこう書かれている。
今回の議決は(1)陸山会の土地購入をめぐる、いわゆる「期ずれ」についての虚偽記載の事実(2)陸山会が小沢氏から4億円を借り入れたことについての虚偽記載の事実とを犯罪事実としている。
しかし、4億円借り入れの事実は、小沢氏に対する告発、不起訴処分、検察審査会の1回目の審査とそれによる起訴相当議決、再度の不起訴処分のいずれでも容疑事実として取り上げられていない。
強制起訴を行うには、検察官の2回の不起訴処分と検察審査会の2回の議決とを必要とした検察審査会法に正面から反する。
昨年5月21日から、検察審査会の議決は法的拘束力を与えられた。ほとんど国会における真剣な議論を経ることなしに改正検察審査会法が発効したのだ。
検察当局が不起訴にしても、審査会が二度「起訴相当」の議決をすれば、強制的に被疑者を起訴でき、裁判所が指定した指定弁護士に検察と同じ捜査権が与えられる。つまり第二の検察が誕生したということだ。
しかも、任期6ヶ月、半数が3ヶ月ごとに入れ替わる11人の匿名市民の「市民感情」が優先され、被疑者の冤罪が法廷で証明されても、誰も責任をとる者がいないという、いびつな制度である。
とくに、今回の小沢強制起訴議決のように著しく理性や探究心が欠如した文面が有効であるなら、検察審査会という制度そのものが信頼性と存在意義を失ってしまうだろう。
それにしても、マスメディアが今回の議決に全く疑念を抱いている様子が見られないのは不可解である。
朝日新聞の村山治編集委員は15日の「法と経済のジャーナル」で、小沢一郎に対する東京第五検察審査会の強制起訴議決について、このように書いている。
現場の検事の一部には、小沢氏について、石川氏の供述や状況証拠から政治資金規正法違反(虚偽記載)で起訴した石川氏ら秘書との共謀共同正犯を認めることは可能であり、起訴できるとの判断があった。(中略)
審査会は、証拠を検分した結果、2回とも、小沢事件について、現場検事と同様の感触を得たものとみられる。それは、最終的に不起訴の判断を維持した検察首脳に対する不信の表明だったともいえる。
つまりこれは、審査員たちが、現場検事を信頼する一方、検察首脳に不信を突きつけたのだという意味であろう。
ところが、いま検察組織に起きている事態はどうか。検察幹部が、現場検事の捏造捜査を罪に問うて逮捕し、現場検事の荒っぽく非道な捜査手法が世間の批判にさらされているではないか。
そして、朝日新聞は現場検事を今になって叩いている。各社いっせいの検察批判なら怖くないのだ。世間の風向きに検察もマスコミも合わせるのである。
小沢事件については、現場検事と同様の感触であることをもって、検察審査会の判断に共感の姿勢を表明し、村木冤罪事件については、自らの責任から逃れるため必死に現場検事に罪をなすりつけようとする検察の総本山、最高検を是認する。
まさに、報道のご都合主義というほかない。
ところで、今回の行政訴訟の是非について、意見が分かれている。政治家のコメントは政治的思惑があってのことで、小沢氏を支持するグループをのぞき、検察審査会の議決に疑義を呈する者など、ほとんどいないだろう。したがって野党を中心に「潔くない」などという情緒的な批判が噴出する。
また、仙谷由人官房長官は「刑事司法過程の処分は、行政訴訟法の処分に該当しないというのが一般論だ」などと木で鼻をくくったようなことを言う。
識者はどうか。産経新聞からコメントを拾ってみる。
検察OBの土本武司筑波大名誉教授は「起訴手続きの差し止めは、行政訴訟の対象にならない。刑事裁判で争うべき問題だ」と、仙谷長官とほぼ同じような見解だが、これも一般論で、昨年から検察審査会議決に法的拘束力が与えられていることや、今回の議決そのものの異常さを考慮した発言ではない。
一方、阿部泰隆中央大教授(行政法)はかなり意見が異なっている。
「これまでの常識では、起訴は刑事手続きだから刑事裁判で争うべきで、行政訴訟で争うのは許されない」。ここまでは仙谷長官や土本名誉教授と同じようだが、「これまでの常識では」という但し書きがある。ポイントはこのあとだ。
「ただ、市民にとって刑事裁判で被告となるのは苦痛だ。今回は、検察審査会が2回目の議決で本来の審査対象を超えた部分を犯罪事実に含めたのは違法ではないかということが論点。通常の起訴の議論とは異なり、この点は行政訴訟で判断すべきではないか。起訴という国家権力を行使するという点で検察審査会も検察官と同じで、合理的証拠がなく起訴したとすれば、国家賠償責任が認められる可能性もある」
阿部教授は「2回目の議決で本来の審査対象を超えた部分を犯罪事実に含めたのは違法ではないかということが論点」と、今回の議決の異常さをふまえて、一般論に流れるのを避けた発言をしている。
識者のコメント内容に、対象に向き合う誠実さがあるかどうかというのは、このように見れば、はっきりと読み取れるものである。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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