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「何であの男が…」
9月29日夜、超党派の日中友好議員連盟に所属する民主党議員はテレビのニュース映像を見て絶句した。
ニュースは民主党前幹事長代理、細野豪志が訪中していることを伝えていた。細野は沖縄・尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件の打開策を探るための「密使」だった。
先の議員が絶句したのには理由があった。北京市内のホテルで記者団に囲まれる細野の傍らに見覚えのある男が映っていたからだ。
男は日本企業の中国進出を支援するコンサルタント。自民党政権時代から日中のパイプ役を果たしてきた。この人物の話題は瞬く間に永田町に広まった。官房長官、仙谷由人とは学生時代からの友人だとも伝わってきた。
話を聞きつけたあるベテラン議員は「民間人に頼るとは首相官邸も相当焦ってたんだな」と語った。
細野は仙谷とともに外相、前原誠司が率いるグループに属していたが、9月の党代表選では元代表、小沢一郎を支持した。昨年12月、小沢が600人超を率いて訪中した際には事務総長を務め、中国側にも名前を知られていた。選挙後、無役となった細野はかえって動きやすい立場にいた。
日中外交筋によると、中国側は「政権の意思を反映する人を派遣してほしい」と求めてきた。細野が首相、菅直人の親書を持参すると伝えると、中国側は外交を統括する国務委員、戴(たい)秉(へい)国(こく)との会談を設定した。
細野訪中は10月4日の首相、菅直人と中国首相、温家宝の会談につながった。首脳会談に向けての一連の動きのなかで、外務省は「蚊帳の外」に置かれた。
「官邸は外務省ルートを信じず、素人が危ない対中折衝を繰り返している」
外務省幹部は指摘する。コンサルタント氏の“活躍”はその一端だ。
× × ×
衝突事件で圧力を強めた中国に対し、日本は発生当初から「オール・ジャパンにはほど遠かった」(政府当局者)。
事件が発生した9月7日午後、国土交通相だった、前原は海上保安庁長官の鈴木久泰に電話で強い口調で指示した。
「一歩も譲るな!」
仙谷が「日中関係に影響が出るな」などと穏便に片付けたいそぶりもみせていたためだ。中国人船長の身柄拘束から逮捕に時間がかかっていた。
「官邸の誰とは言わないがS長官が弱腰だった。逮捕しろと言ったのはおれだ」
民主党代表時代から中国の軍拡路線に警鐘を鳴らしてきた前原は、周囲にこう漏らした。
逮捕に中国側が抗議を強めるなか、政府内で各省庁の幹部が集まって対策会議を開き、本格的な対応策が練られることはなかった。外務省幹部は振り返る。
「以前ならば事務の官房副長官を中心にして、対策を煮詰めてから政治判断を仰ぐというのが常識だったが、民主党政権はそれをやらなかった」
政府筋も「政治家と官僚が一枚岩でなかった」としたうえで、その理由として(1)政権交代してから間もないため菅や仙谷が対応の仕方に慣れていなかった(2)官僚側も「政治主導」のお手並み拝見のムードが漂って積極的に意見具申しなかった−と指摘した。そのうえでこうつぶやいた。
「過去の対策会議も小田原評定のように何も決まらないこともあった。それでもさまざまな角度から検討作業をした。今回はそれすらなかった。この差は大きいよな」
× × ×
「日本政府の対応にはがっかりしている。個人的見解だが仲間も同じ考えだ」
中国人船長が釈放された後、日本政府当局者は韓国政府の友人から失望を伝えられた。
アジア各国の報道機関も「日本の降伏宣言で幕」(韓国・聯合ニュース)、「中国政府の強い圧力で釈放を決めた」(シンガポールのストレーツ・タイムズ紙)などと報じた。
日本は中国との“外交戦争”に敗れたのか。12日から始まった予算委員会論戦では、この勝敗論が大きな焦点となった。
「国際政治のコモンセンス(常識)から見れば、日本のほうがずっと上手だったと評価を受けている。日本はしなやかでしたたかな外交を行う以外、21世紀を生き抜くことはできない」
仙谷は14日の参院予算委員会でこう強弁した。
仙谷はこれを「柳腰外交」と表現したが、インターネット上にはさっそく芸者姿でしなを作る仙谷の画像が出回った。(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101016/plc1010160122001-n1.htm
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