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先日某掲示板サイトに、「小沢氏への執拗なバッシングは、斉藤隆夫帝国議会衆議院議員の除名を想起させる」という旨の書き込みをし、ツイットもした。すると、その日の晩に板垣英憲氏がやはり斉藤議員の除名と小沢氏への攻撃についてブログで書いておられた。偶然の一致であろうが、多くの人が同じ事件に思いを馳せるという点で、偶然ではなく必然と言えるのかも知れない。
さて、まずは次の文章をお読みいただきたい。
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〇〇新聞のジャーナリズム精神とは何か。
私はそれを「権力監視」にあくまでも食らいつく記者根性であると思っている。
権力を握るのが誰であろうが、どの政党だろうが、暴力装置を持つ権力が、国民の権利を守るのか、侵すのか。国家が人々の心の奥や財布の中にまで手を突っ込んでくることはないか。
政府の外交、防衛政策が、日本と世界の平和と安全を高めているか、しっかりと見張り、正確に報道していく。戦前、アジア太平洋戦争に対しては誤った報道をし、読者を裏切った。〇〇新聞は、戦後、その反省から出直した。「権力監視」と正確な報道というジャーナリズムの原点にいま一度、立ち返る。そして、それを踏まえて、時代の要請により鋭敏に応えるべく、紙面と報道の質を不断に向上させる。それによって「紙面と報道の声価を高める」責任をはたしたい。
[中略]
〇〇新聞は、130年近い長い歴史と800万部以上の厚みのある読者層に支えられている。一部の層やどこかの利害の代表者ではない。それだけに、国民の共通項を分断しかねない格差拡大、弱者切捨て、少数派無視には赤信号を点す必要を感じている。それとともに、国民の文化と伝統の新たな息吹を掘り起こし、日本を再発見し、人々の哀歓を紙面に刻んでいきたい。
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お気づきの方も多いかと察するが、この文章は、朝日新聞船橋洋一氏がそれまで30年空席であった主筆に2007年就任する際に発表した文章なのである。私があえて「〇〇」とした箇所には「朝日」と補っていただきたい。
秋山耿太郎
ウィキペディアによれば、船橋氏は「朝日新聞には珍しい、親米派の大物経済記者」で、2005年に社長に就任した「秋山耿太郎による改革路線のもと、2007年には同社主筆となった」とある。また、格差社会を招いたとされる構造改革を推し進めた竹中平蔵氏との共同編集の本が出版されていることでも知られる。またご存知の方も多いと思うが、駐米大使候補にも名前があがっていたことも付け加えておく。
上記の文章には、「権力監視」、戦争中の誤った報道への反省、そして「格差拡大、弱者切捨て、少数派無視には赤信号を点す必要」と、立派な宣誓がちりばめられている。
しかし、その朝日新聞の「改革路線」なるものがいかなるものであったのか? 船橋氏の立派な宣言は全くのウソであったことが露見した。少なくとも私はそう思う。従米御用新聞となりはて、ファナティックなプロパガンダを載せる三流タブロイド紙と化してしまった。
二見伸明氏がThe Journalで指摘しておられる通り、「権力監視」とはかけ離れた警察・検察リークの垂れ流しで、松本サリン事件の河野氏や厚生省郵政事件の村木氏の報道被害を作り出し、かつ謝罪も行わなかった。
厚生省郵政事件の報道を自慢げに自社の会社案内に掲載するに至っては、滑稽で喜劇的である。さらに、今回の小沢氏の人権を無視したかのような執拗なバッシングは、狂気すら感じさせるほどにまでなっている。詳細は二見氏の論説が詳しいのでそちらに譲る。
「弱者切捨て」には「赤信号を点す」とした船橋氏の宣言はどこへ行ったというのか。朝日新聞が現在行っているのは、「権力」の側と一体となって、「権力」を合法的に改革しようとする者を政治的に抹殺する行為である。
上記の文章には「戦争中の誤った報道」への反省が述べられているが、現在行われているのはその戦争中の報道と同じ、「いつか来た道」である。
良識ある従来の読者が怒って購読をやめ、不買運動を展開するほどまでになってしまった。
徹底的に不買運動を広め、現在のテレビ番組、御用ジャーナリスト、御用コメンテーター、御用芸能人とともに退場していただくほかない。前回のブログでも書いたが、学校で新聞を教材として活用するなど論外であろう。
「説を変ずるはよし。されど、節を変ずるなかれ」
数年前にはまだ朝日新聞に対してこの言葉は投げかけることはできたであろう。しかし、もう手遅れの感がある。
社会部などにまだいると思われる良識ある記者諸氏には、一刻も早く辞職し、内情を暴露し、独自に健全なジャーナリズムを模索していただきたい。そもそも勇気のない記者には「権力監視」はできないのだ。岩上安身氏や上杉隆氏のように体を張る気骨があればできるはず。ぜひ勇気をもって「翼賛会」から出てきていただきたい。
さもなくば所属する新聞社と同罪として扱われても仕方ないだろう。「上の指示がそうだから、仕方がなかった」などという言い訳は後になっては世間に通じない。
<続く>
2010年10月13日
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