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2010年10月12日 掲載
捏造調書で裁判が始まるデタラメ法治
「検察の暗黒体質」は天皇制下の戦前と同じ
民主党で反小沢の頭目といえば、仙谷官房長官や枝野幹事長代理になるのだろうが、両者とも弁護士出身であるところが恐ろしい。
法曹関係者であれば、小沢の疑惑が暴走検察による「デッチ上げ」であることはすぐに分かる。ハナから無理スジなのである。それなのに、検察のリーク、暴走に乗っかり、小沢の事件を「政敵排除」と「政権浮揚」に利用する。とんでもないヤカラだ。
国民の目にもハッキリ分かったように、この国の検察は、法治国家のものではない。最初にストーリーを決めて、ターゲットを絞り、そいつを有罪に落とし込んでいくのである。そのためには暴力的な脅し、すかし、とんでもない証拠捏造、えげつない証言強要と何でもやる。村木事件の証拠捏造、犯人隠避で捕まった前特捜部長、大坪弘道は「オレは検察のストーリーには乗らないゾ」とホザいたらしいが、笑えない話だ。これが検察の正体、本質なのである。
●もともと犯罪性はまったくなかった
「小沢さんの事件だって、どこに犯罪性があるのか。陸山会が買った不動産の収支報告書記載が2カ月ズレただけでしょう。ふつうは記載ミスだし、もともと政治資金規正法25条1項3号は刑罰だけ定めて何が罪になるのかを具体的に書いていない白地刑法なんです。起訴するか否かは起訴独占権を有する検察の腹ひとつ。それで、秘書は捕まったのですが、小沢さんには監督責任を問うのが精いっぱい。虚偽記載の共犯にはなり得ない。こんなことは、この法律をかじったことのある人間であれば、誰でもすぐ分かる話です」(元参院議員秘書で政治資金規正法の研究家である染谷正國氏)
そもそも犯罪性がないのに、検察が小沢の秘書を引っ張ったのは、最初から小沢狙いで、秘書を叩けば、「西松建設の違法献金」や「水谷建設からの裏金」が出てくると踏んだからだ。それがことごとく外れたのが、今回の小沢事件なのである。本来であれば、検察は土下座だが、あることないことをメディアにリーク。小沢を極悪人に仕立てて、自らを正当化させようとした。こうして検察審査会を誘導、とうとう「強制起訴」に持ち込んでしまった。
果たして、こんな暴挙が許されるのか。
小沢の一件や村木事件を見ていると、戦前の特高警察を連想してしまう。プロレタリア作家、小林多喜二をステッキで殴り殺し、しかし、翌日、「心臓麻痺」と発表した弾圧、拷問組織である。
小林の遺体は遺族に戻され、遺族は拷問のすさまじさを知る。デスマスクも作られ、その後、特高警察の非道な行為は関係者によって明らかにされた。戦後GHQによって、治安維持法とともに廃止されたが、それが“特高検察”に衣替えして受け継がれているのではないか。そんなふうに見える。
そして、このことは、仙谷だって、百も承知のはずなのである。
●検察が今も日常的に行っている拷問の数々
多喜二への拷問と今の検察を同じように論じるのは「極論」と言われそうだが、そうではない。彼らがやっていることは拷問と同じだ。ステッキを使わないだけである。
「鈴木宗男さんの事件では、女性秘書が癌を患っていたのに取り調べで治療を受けられず、亡くなっています。小沢さんの元秘書で国会議員の石川知裕氏が捕まった時も女性秘書を狙い撃ちにした。押収品を返すからという理由でいきなり呼び出し、3歳と5歳の子供がいて保育園に迎えにいかなければならないのに延々10時間もの聴取をしたのです。この間、女性秘書は保育園に行かせてくれ、必ず戻ってくるからと懇願したが、無視され、過呼吸状態に陥った。検察はそうやって、一番弱いものを狙う。検察のストーリーに沿った供述をするように迫るのです」(ジャーナリスト・横田一氏)
子供を人質にとるなんて、卑劣だ。精神的拷問以外の何モノでもないだろう。検察は石川議員を逮捕する時、「自殺の恐れ」を理由にした。これもデッチ上げだった。
鈴木氏と元外交官・佐藤優氏の勾留期間は400日を超えた。この間、関係者を次々に呼んで締め上げた。
鈴木氏らを保釈すると会見を開かれ、都合の悪いことをしゃべられてしまう。だから、2人は出さなかった。特高検察の得意技である。
●戦前からの体質がそのまま今も
そして、検察の歴史をよく知る関係者は「ここだけは戦前から変わらないな」と言うのだ。司法・検察の暴走は何も今に始まったことではないのである。
検察の歴史を研究し、いくつもの論文を執筆している衆院議員の中島政希氏(民主党)はこう書いている。
〈検察制度に対する民主的統制をいかに図るかは、軍部に対するシビリアンコントロールと同様に、民主主義国家にとって重要な課題なのである。しかし、戦後日本政治では、このことがあまりにも等閑にされてきた〉
戦前の検察といえば、帝人事件(昭和9年)が分かりやすい。帝人の株買い戻しに絡んで閣僚や大蔵省幹部、財界人ら16人が逮捕されたのに、全員が無罪になった一件だ。中島論文はこう書く。
〈拷問を伴う取調べで高木帝人社長らの自白を取り、これを根拠に小林中らの財界人、黒田英雄次官ら大蔵省幹部が検挙された。三土忠造は鉄相であり職務権限がなかった。そこで検察は三土を偽証罪で1カ月に亘って収監した。偽証と言っても検察の言う「事実」を認めなかったというだけである>
こうした司法の暴走によって、政党政治は危機に瀕する。その間隙を縫って、軍部が台頭、悪魔の戦争に突き進む。
ところが、こんな検察が戦後も天皇の役人として生き残るのだ。悪知恵がきく司法省がGHQが迫った検察・司法改革を骨抜きにし、司法の聖域化を死守したからだ。その結果、今も検事総長以下、法務省の幹部は絶大な特権の上にあぐらをかいている。天皇の認証官であるのに、国会の承認もなく、国民審査もない。今回のような不祥事が起こっても検事総長は居座っている。指揮権発動によって法相が政治介入できる余地はあるものの、その対象は検事総長に限定されている。
そこにメスを入れようとしたのが小沢一郎なのだが、潰された。これが小沢事件の裏側、真相なのである。
●北朝鮮も冷笑する無法国家ぶり
枝野幹事長代理は中国漁船衝突事件の際、中国のことを「悪しき隣人」とののしった。「法治主義が通らない国」と罵倒した。しかし、日本は中国を批判できるのか。枝野の言葉はそっくりそのまま返ってくるのではないか。やりたい放題の検察を見ていると、日本は無法国家そのものだ。佐藤優氏はこう言った。
「日本は法治国家ですよ。ただ、その法律を国民が決めるのではない。官僚や検察が勝手に決めて裁いてしまう。大岡越前がいない悪代官のお白州です。庶民は絶対に逆らえない。恐ろしいのは、検察という組織はこんなことをずっとやってきたことです。多分、前田主任検事は〈自分は天中殺か〉くらいに思っているでしょう。たまたま運が悪かっただけ。だって、他の人は同じことを繰り返してきたのに咎(とが)められずにきたわけですからね」
おそらく、北朝鮮だって日本のことを冷笑している。この国は何から何まであまりにも未熟だ。
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