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田崎史郎「ニュースの深層」/現代ビジネス
「起訴議決」小沢一郎に立ちはだかる「68歳という年齢の壁」
「師匠」田中角栄がロッキード裁判を争ったのは58歳から
政治に「絶対」はない。そう思い、「絶対にこうなる」と書いたり、言ったりしてこなかったし、今もそうだ。
だから、「絶対」という表現は避ける。しかし、これまで何度もよみがえってきた民主党元代表・小沢一郎が、復活することはもはやないのではないか。小沢の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、東京第5検察審査会が2004年と05年分の政治資金収支報告書の虚偽記載について、政治資金規正法違反罪で起訴すべきだとする2回目の議決をしたことはそれほど重い意味を持っている。
起訴議決が小沢の政治生命に致命傷になったと判断するのは、東京地裁の判決までに最低1年、たぶん2−3年かかる公算が大きいからだ。
東京地裁は5日、起訴議決を受け、検察官役として強制起訴する指定弁護士の候補者3人を22日までに推薦するよう、第2東京弁護士会に依頼した。指定弁護士が起訴するのは暮れか、年明けとみられている。それから公判前整理手続きを経て初公判が開かれるのは来春以降になるのは確実だ。
1942年5月24日生まれの小沢は現在68歳。東京地裁の判決が下されるのは69歳以降だ。政治家は一般の方よりも高齢まで活発に活動するが、過去の政治家を振り返ると70歳が分岐点になる。政治家といえども、70歳を過ぎたあたりから判断力が鈍ってくる。
小沢は、師と仰ぐ元首相・田中角栄と比較され、刑事被告人となった後も政治的影響力をふるうという観測が流れている。しかし、田中がロッキード事件で逮捕されたのは58歳の時。それから裁判闘争に入り、無罪判決を勝ち取るため影響力を保持するのに血眼になった。
しかし、1985年2月に田中派内で小沢らが竹下登を中心とする勉強会「創政会」を旗揚げし、その衝撃もあって結成から20日後、田中は脳こうそくで倒れた。66歳の時だった。つまり、田中が裁判を闘っていたのは58歳から66歳まで、体力も気力も充実していた時期だった。小沢の年齢はそれより2歳上回っている。
小沢は田中のすごさと同時に衰えを間近に観察し、かつ、田中から次第に離れていく議員心理を見抜いていた。それなのになぜ、小沢は誰しも避けられない年齢面の限界を悟らないのだろうか。また、小沢は民主党や代表選で支持した議員への悪影響を避けるために、せめて離党して裁判を闘うということができないのか。
田中は1976年7月に逮捕され、東京・小菅の東京拘置所に入れられるとすぐに便せんを借り、自民党離党届を書いた。83年10月12日、東京地裁で実刑判決を受けた後、東京・目白台の私邸で集まっていた田中派議員を前にこう言っていた。
「諸君が選挙に勝つために、(派閥を)去りたい人は去ってもいい。そして、また戻ってくればいい。わたしのことはいくら悪口をいわれてもいい。いくらでも支援を続ける」
田中は裁判を一人で背負い、己への批判さえ許容して、田中派議員に与える影響を極力、減らそうとしたのである。離党も議員辞職もせず、民主党議員への悪影響を一顧だにしないかのような小沢とはまるで違う振る舞いだった。
小沢が検察審査会の議決について、記者団にようやく口を開いたのは7日午後1時50分。この日は首相・菅直人の所信表明演説に対する代表質問を行うため、午後2時から衆院本会議が設定され、ぶら下がりインタビューの時間は最初から10分間しか用意されていなかった。
その中で、小沢は再議決を「またっくの秘密のベールの中に閉ざされている」と批判した。記者団から「検察審査会のあり方ももう少し考えるべきということなのか」と聞かれると、「いえ、そのことを言っているわけではありません。単なる事実関係を申し上げた。あなたたちも知らんでしょ? 中身知ってる? 知らないでしょ?」と、不機嫌な表情で記者団に問い返した。
小沢は同志を守る気概も、国民に説明する腹づもりもないのであろう。そんな小沢に対して、手をこまぬいている民主党の現状が悲しい。(敬称略)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1353
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