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小沢氏の「起訴議決」がもたらした“寂寥感” 〜我が国は本当に「民主国家」なのか?
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2010年 10月 11日 00:38<オピニオン> <人権> <政治・政党> <法律・裁判>
成瀬裕史
■“先進国”に存在する「推定有罪」と「人質司法」
「ある途上国では政権と司法が結託し、政敵の有力政治家を“犯罪者”に仕立て上げ、政治の舞台から追放した。」
軍事政権によりスーチーさんが軟禁されたミャンマーや、朴政権が金大中氏を日本から拉致したかつての韓国など、軍事政権などの“途上国”では「ありそうな話」である。
しかし、それでは我が国・日本はどうであろうか?そんな国々と我が国は変らないのではないか?
こう思わせるような事態が先日の10月4日に起きた。東京第5検察審査会による小沢一郎・民主党元代表に対する「起訴議決」である。
“先進国”と呼ばれる我が国ではあるが、政治事件で起訴された政治家は「推定有罪」として離党を強いられ、事実上、政治の表舞台からの“退場”を余儀なくされる。
また、“先進国”と呼ばれる我が国では、「人質司法」呼ばれる「被疑者を長期勾留し自白を引き出す」捜査手法が認められており、特捜検察もこの手法により「供述が唯一の証拠」といわれる増収賄などの政治事件で、数々の事件を立件する“成果”を上げてきた。
しかし、今般の「郵便不正事件」により、地検特捜部による供述調書の「信用性」に疑問符が生じている。
これまで「検察の正義」として国民が喝采してきた数々の「灰色政治家」の“逮捕劇”の中には、ひょっとして特捜部の“存在意義”を示すための「でっち上げ」も含まれているのではあるまいか?
そんな疑念を抱かせる「郵便不正事件」と「証拠改ざん事件」の渦中の中、今回、東京第5検察審査会が小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件を「起訴議決」としたことが公表された。しかもその議決は、民主党代表選の投開票日である9月14日の当日に行われたという…。
私を含め多くの日本国民は、我が国の司法の中に「ある意思」の存在を感じたのではあるまいか?
「結局、我が国は、ミャンマーやかつての韓国と同じ“非”民主的国家なのではないか?」という、言いしれぬ「寂寥感」とともに…。
■「不戦敗」濃厚な特捜の“援軍”となった「審査申立て」
国民の間に芽生え始めた特捜検察に対し「疑問符」はさておき、これまでの政治事件の場合、特捜部では立件に足る証拠や供述を揃えて「起訴」まで持ち込んで来た。
しかし、今回の小沢氏の事件の場合、天下の東京地検が用意周到に現職国会議員を含む元秘書三人を逮捕し、かつ、被疑事実を当初の「ヤミ献金」から土地取得の2カ月の“期ズレ”だけの「虚偽記載」にまでハードルを下げてさえ、「証拠不十分」で起訴にたどり着けなかった。
こんな中、「不戦敗」濃厚の東京地検特捜部に「援軍」が登場した。東京検察審査会に対する「審査申立て」である。
「検察審査会法」http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO147.html 第2条では、検察審査会は「検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項」を掌るとされ、また、検察審査会は、「告訴」や「告発」をした者、「犯罪被害者(又はその遺族)」などの「申立て」があるときは審査を行わなければならない、とされている。
言い換えると、告発人や被害者の「申立て」がない限り、検察審査会は「始まらない」のである。
それでは、このような特捜検察にとっての「助け舟」のような「審査申立て」は、何時、“誰”が行ったのであろうか?
検察審査会が「非公開」とする中、これまで、それは“謎”であった…。
■「告発」がないと「審査申立て」の“権利”は発生しない?
もう一方で、検察審査会は「検察官の公訴を提起しない処分」を審査することから、検察審査会の審査の対象となるには、「処分」が必要な「事件」であることが必要となる。
通常、検察官が公訴するのは警察などが法律違反として検挙した「事件」である。しかし、特捜検察の場合は自らが捜査・立件し「起訴」する。
言い換えると、特捜検察自らが捜査を開始した場合は、自らが「起訴」まで持ち込まない場合、「事件」そのものが「存在しない」ことになる。
「事件」が存在しない限り「処分」は発生せず、検察審査会の審査対象となる「公訴を提起しない処分」も「存在しない」のである。
このため、検察が自ら捜査しながら「起訴」まで持ち込めなかった場合、これを検察審査会の対象とするためには、誰かがそれを“事件”として「告発」することが必要なのである。
■“偶然”か?小沢氏「事情聴取」の二日前の「告発状提出」
それでは、今回の小沢氏の“事件”の場合は、どうだったのであろうか?
ネットで過去の報道等を調べると、本年の1月21日、行政書士や元新聞記者による東京都内市民団体「真実を求める会」が、小沢氏と3人の秘書を政治資金規正法違反容疑(虚偽記載)で東京地検に「告発状を提出」し、東京地検特捜部はこれを受理した上で、直後の23日に小沢氏を任意で事情聴取している。
この「告発」により、小沢氏は参考人ではなく「被疑者」として検察に事情聴取されることとなった。
しかも、特捜部が起訴を断念した場合でも、告発人の「審査申立て」さえあれば検察審査会で審査される「権利」が発生したのである。
■「告発人」と特捜検察との「関係」は?
特捜検察が組織を挙げて取り組んだ捜査が「不起訴」で終わってしまった場合、「被疑者」に与えてしまった“ダメージ”や人員・予算の“浪費”など、検察組織上部の「責任問題」にも発展しかねない。
しかし、これを国民の代表たる「検察審査員」が「不起訴不当」や「起訴相当」の議決をしてくれた場合、検察組織の「ダメージ」も和らげられることとなろう。
検察が捜査を開始した事案を“誰か”が「告発」してくれたとしたら、万が一、「不起訴処分」で終わった場合も、その“誰か”が今度は「審査申立て」をしてくれれば、「検察審査会での審査」に持ち込むことが出来る。
こう考えると、ひょっとして、特捜部の捜査内容に沿った「告発」をした者は、検察組織と「深い関係」があるのではないか?との疑念も湧いてくるのだが…。
ちなみに、「告発」を受理するかどうかの判断は「検察」自身が行うこととなる…。
■報道され始めた「告発人」&「申立人」
私がこのような“疑念”を抱きはじめた頃、またしても(?)朝日新聞による特ダネ(?)が報道された。
小沢氏告発の団体とは「保守」自認、政治的意図なし(2010年10月8日8時57分朝日新聞) http://www.asahi.com/national/update/1006/TKY201010060349_01.html
この報道によると、今回の「起訴議決」された検察審査会の「審査申立人」は、小沢氏を東京地検に告発した市民団体「真実を求める会」だという。
強大な政治力を持つ相手を告発しただけに「命の危険があるから名乗ることは出来ない」とし、審査会の事務局に頼んで名前を伏せてもらったという。
メンバーは関東近郊に住む60代を中心とする行政書士、元新聞記者、元教師、元公務員などの男性10名で、「政権交代前」から民主党に批判的な目を向ける点で一致していたという。
今年の1月15〜16日に小沢氏の元秘書3人が逮捕される中、「秘書に責任を押しつけ小沢氏だけが逃げるのだとしたら許せない」として、急いで小沢氏を「被告発人」に含めた告発状を作って、同21日に特捜部に提出したという。
行政書士や元新聞記者がメンバーとはいえ、随分な「手際よさ」ではある…。
しかし、この報道により、「審査申立人に資格はなかったのではないか?」との巷の“疑念”は解消されることとなった。
■「検察組織」をある意味「擁護」する、朝日新聞の“特ダネ連発”
思えば、先の「郵便不正事件」で「証拠改ざん」の“特ダネ”を報道したのも朝日新聞であった。
これにより、国民の検察に対する「不信感」は増幅されたが、一方で、その責任を当時の大阪地検特捜部の「3人」だけに集束させる“効果”が生じているようにも思われる。
加えて、今回の“特ダネ”は、「そもそも今回の検察審査は申立人に資格がなく無効」との議論を「鎮火」させる“効力”を有している。
「政治的意図なし」との見出しは、素人の私が見ても、ちょっと「かたはらいたき」ではあるが…。
当然、この二つの“特ダネ”は「検察関係者」からもたらされたものであり、取材先との「利害関係」を否定するつもりはない。
少なくとも、この二つの特ダネがもたらした「事実」により、我々国民は、司法内部に潜む「真実」により一歩、近づくことが出来たのだから…。
■朝日新聞に「抜かれ」た報道他社の“奮起”に期待
掘り起こされた「事実」の積み重ねにより、「真実」を隠してきたベールはほころび始める。
「真実を求める会」のメンバーは、本当に「政治的意図なし」なのであろうか?
司法や、ひょっとしてマスコミと「関係が深い」間柄なのではないだろうか?
朝日新聞に“特ダネ”を「抜かれ」てしまった報道他社にも“奮起”を期待したい。
それにしても、今回の地検特捜部の捜査と「真実を求める会」の「告発」や「審査申立て」のタイミングや、検察審査会の「議決」と民主党代表選のタイミング、そして「証拠改ざん事件」の渦中のなかでの「起訴議決」公表のタイミング。これら一連の「タイミングの良さ」といったら、いかがなものか?
一連の動きの中に「ある意思の存在」を感じざるを得ないのは私だけであろうか?
先日、投獄中の天安門事件指導者・劉氏がノーベル平和賞を受賞したが、まさか小沢氏が「日本の民主化を実現した」としてノーベル賞を授賞するような事態は避けたいところだが…。
成瀬裕史記者のプロフィール
1960年生まれ。北日本の一地方在住。一次産業を主とする“地方”の復興のため、明治維新から続く中央集権・官僚主導の国家体制の“CHANGE”を志す。
【ご意見板】一件の書き込みがあります
1.佐々木時雄 2010年 10月 11日 10:24
告発の時期、受理の時期、同僚の誰もが驚いていました。
中学生でも抱く疑念を朝日新聞は正義を振りかざして無視し、報道により世論を煽り、小澤一郎は悪というイメージを作ることに成功しました。
ペンは剣より強し、という言葉があります。朝日新聞の星浩氏はこの言葉の持つ重みを軽視しているのではないでしょうか。理解しているとすれば確信犯です。一人の市民が被告という立場に立たされた場合の苦悩を思いやったことがないのではないか。一政治家も一市民も法のもとでは平等です。星浩氏の偏執的な姿勢に危うさを窺い知ることができます。優越感や達成感に浸っているとすれば、身の程知らずというべきです。何の後ろ盾もない一市民にはできないことを星浩氏をはじめとする朝日新聞の記者は可能としているのです。
軍部が強いのは武器を持っているからです。記者が強いのもペンを持っているからです。猛省を促します。
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