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文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20101011/1286740835
2010-10-11 05:00
小沢一郎を取り巻く「大きな物語」と「小さな物語」。小沢一郎よ、敵の土俵で相撲を取るなかれ。敵を自分の「大きな物語」の土俵に引き擦り込め。
小沢一郎が直面している問題は、実は「郷原弁護士」等が指摘するところの法律問題、つまり「検察審査会」の議決は法律的に有効か無効か、あるいは小沢一郎の「政治とカネ」疑惑は結局のところ、有罪か無罪かというような「小さな物語」ではなく、ももちろんそういう問題も重要だろうが、しかし厳密に言うと、そういう「小さな物語」に固執しているかぎり、つまりそういう「小さな物語」の次元で争っている限り、敵の土俵で相撲を取るようなもので、一つの問題が解決し、乗り切ったとしても、それだけで終わるはずはなく、次々に無理難題を吹っかけられて、いつまでも、小沢一郎が直面している肝心な問題としての「大きな問題」が解決することはないだろう。小沢一郎の政敵にとって、個々の疑惑や犯罪事実の法律的問題が問題なのではなく、小沢一郎という政敵を潰すという「大きな物語」こそが大問題だからだ。つまり、小沢一郎が直面しているのは、小沢一郎を政治的に殲滅しようとする「大きな物語」であり、その「大きな物語」こそが、いわゆる「小沢事件なるもの」の背後にあるということである。その「大きな問題」を前面に打ち出した上で、つまり小沢一郎を政治的に抹殺したいという政敵たちの存在とその謀略の構図を表に暴露し、その上で、個々の法的な「小さな物語」にも対処していくべきである。そこを間違うと、表舞台のパフォーマンスばかりに気を取られている政治ジャーナリストの上杉隆のように、味方の振りをしながら、あっさりと敵の戦略に乗せられて、「強制起訴された以上、石川議員等と同様に小沢一郎氏も離党するべきだ。」という正論めかした負け戦の議論になるのである。小さな負けは、大きな負けへとつながる。上杉隆のような、小さな「譲歩」と小さな「負け」を受け入れよという議論こそが、敵の土俵で相撲をとる負け戦の論理なのである。法的問題には、徹底的に、綿密に、そして執拗に反論、反撃すべきである。しかしそれだけでは負け戦である。植草氏らが早くから指摘している「悪徳ペンタゴン」の存在こそ、小沢一郎の「政敵」であり、その「悪徳ペンタゴン」の政治構造を、つまり既得権益を奪われたくない官僚、マスコミ、検察、そして背後で彼等を操る米国占領軍(?)……等が、小沢一郎という対米自立を目指す自主独立派の愛国政治家・小沢一郎の存在に危機感を募らせ、何が何で小沢一郎を政治的に抹殺し、次々と無理難題を吹っかけてつぶそうとしている政治構造があるという現実、つまり小沢一郎が直面している「大きな物語」を、日本国民の前に暴露し、説明すべきだ。小沢一郎の国民への「説明責任」とは、そういう説明責任であって、「政治とカネ」疑惑に対する説明責任などではない。したがって、検察、つまり東京地検特捜部や大阪地検特捜部を、検察側の敵失があったとはいえ、結果的に小沢側の土俵に引き擦り込むことに成功したように、次にやるべきことは、いわゆる「悪徳ペンタゴン」の煽動役・先導役であるマスコミを、つまり政治記者や政治評論家たちを、その出鱈目な言動に基づく人権侵害、名誉毀損を理由に「告訴」することで、小沢側の土俵に、つまり法廷の場に引き摺りこむべきである。結果はどうであれ、マスコミ、政治記者、政治評論家を、裁判という場に引き摺り出し、そこで黒白の決着をつけるというような法廷の風景が、つまりマスコミこそ「犯罪者」であるかもしれないという見世物が、日本国民に、小沢一郎が直面している「大きな物語」の存在を暴露することになるだろう。そうなれば、日本国民も目を覚ますかもしれない。
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