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10月7日、民主党の小沢元代表は、記者団に東京第五検察審査会の起訴議決により、強制起訴されることになったことについて見解を表明したが、これに対してマスコミはさまざまの報道をくり返している。
その中で見過ごすことのできないのが、「朝日新聞の社説」(8日朝刊)で、読み返すうちに朝日が戦前、世論を戦争に導いた我が国の悲劇を思い出した。そこで、朝日の社論がいかに議会民主政治の原理を冒涜し、かつての過激派の粛清思想であるかを論じておく。
■朝日社説の問題点
社説のタイトルは「小沢氏のけじめ--民主党はこれでよいのか」というものだ。全体として問題であるが、特に二点について指摘したい。
第一は「真相究明は『司法の場に移っている』として、国会での説明にも前向きと言えなかった」と論じていることである。小沢氏は「(証人喚問や政治倫理審査会での説明は)国会の決定に従う」と明言しているし、それはテレビでも流されたから国民の多くが耳にしている。
朝日の社説は、その後の司法の場での対応の発言を意図的に悪用して、「国会での説明に前向きといえなかった」と、小沢氏がここに至っても説明責任を果たす気がないと、悪いイメージを国民に植えつける悪意を露骨に印象づけている。小沢氏の「国会の決定に従う」との意志を、どうして素直に受け入れないのか。この点については事実を意図的にねじ曲げたものであり、日本一新の会として、謝罪と訂正を断固として要求する。
小沢氏の「政治と金」についての説明は、代表あるいは幹事長時代に、記者会見の質問に対してその都度行われている。問題は、第一線の記者がデスクに持ち込んでも「必要ない」と記事にされないことにあり、現場の記者のぼやきを幾度となく聞かされた。
また、野党や民主党の反小沢派の中に、「国民が納得する説明をすべきだ」との主張がある。検察のリークによる報道で洗脳された多くの国民が納得するには、検察の言い分どうりの説明をしろということに等しいことである。
第二は、「有権者の期待を裏切らず、歴史的な政権交代の意義をこれ以上傷つけないためにも、強制起訴決定の機会に議員辞職を決断すべきだった」という個所である。これは憲法の原理を無視した暴論である。議員辞職はもちろんのこと、離党も断じてすべきではない。もし小沢氏がその道を選ぶとすれば、重大な憲法無視となる。
議会民主政治の歴史は、国家検察権力との闘いであった。検察権力は民衆の代表である政治家を弾圧して、国家権力が有利になるための役割を果たしてきた。現在でも潜在的にその意識があり、憲法に「不逮捕特権」(第50条)、「免責特権」(第51条)などが規定されているのは、国会議員の政治活動の自由を保障するためである。
小沢氏の場合、検察がその総力を傾注し、莫大な税金を弄して捜査して不起訴となった事件を、得体の知れない団体の人たちが、政治目的をもって第五検察審査会に、不起訴は不当と申し立てたものである。
それを常識に欠ける補佐弁護士の指導で「起訴相当」と議決し、そして二度目の審査で強制起訴への議決をするに至ったのである。もともと違憲の疑いのある検察審査会法であるが、今回の議決にいたる手続き、すなはち審査会の年令構成、補佐弁護士の選定、議決日と公表日のあり方などなど重大な疑惑もあり、なかんずく議決理由に違法性があり、多くの専門家が議決は無効と指摘している。
このまま強制起訴にもとづいて、裁判が行われることになると、我が国の司法制度そのものが崩壊しかねない問題に繋がることである、さらに、小沢氏の無罪が確実視される中、これまでの「検察起訴即離党」の前例とは状況が根本的に異なるものである。第五検察審査会の審査実態など、徹底的な究明が必要とされるとき、小沢氏に議員辞職を迫るとは、議会民主政治の何たるかについて無知・無能といわざるを得ない。
改めて朝日新聞の論説諸氏に告げる。「貴方たちは、日本の議会民主政治を機能させなくするために生きているのか。加えて、満州事変勃発直後から第二次世界大戦終了まで、大政翼賛会の発表をそのまま記事にし、戦争賛美の論説を書き続け、国民に多大の犠牲を強いる先導役を果たしたが、現在進行中の朝日論説と重なるとは思わないか。終戦をうけてあなた方の先輩は、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日付、国民への謝罪)、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表・辞任した事実を振り返るべきである。」
第一の、事実を曲げて小沢氏の「国会での説明に前向きと言えなかった」の部分の訂正と謝罪がない場合は、私が代表を務める日本一新の会として、「朝日新聞の不買運動」を始める。すでにネット上では同様の運動が早い時期から進んでいるようだが、私もその一員に加わり、もう一段レベルを上げる先頭に立つことを宣言する。
■小沢氏の「政治と金」の問題の本質
西松事件から始まる小沢氏の政治と金の問題の本質は、政権交代により、健全な議会政治と国民生活を護ろうとする小沢一郎を、政界から排除しようとする政治謀略である。西松事件で、大久保秘書逮捕の2日前の平成21年3月1日、私は当時の森英介法務大臣に「平成になって日本の政治を悪くしたのは小沢一郎だが、その裏にこの平野がいた」と面前でいわれた。
何でこんなことをいうのかと気になってはいたが、2日後から小沢氏は検察とマスコミの総攻撃を受けることになる。麻生自民党政権が、事実上の指揮権を発動した傍証を私は承知しているし、5月22日の「THE JOURNAL」に、「西松事件・大久保秘書逮捕の真相を究明すべし!」として発表したとおりである。
当時の漆間内閣官房副長官の「疑惑は自民党には及ばない」という、まか不思議な発言や、樋渡検事総長らの指導による東京地検特捜部の執拗な小沢氏への攻撃は、今日の大阪地検特捜部と同根・同質の問題を孕んでいる。
しかし、小沢氏を民主党代表から引きずり下ろすことは成功したが、国民の意思による政権交代は実現した。その民主党政権をやむを得ず受け入れた検察官僚と巨大メディアは、小沢一郎を政権から排除すれば、旧体制の官僚政治を持続できると画策し、陸山会事件をでっちあげたのである。
鳩山政権に協力しないことで、不作為に同政権を崩壊させた旧体制官僚は、菅直人政権を手中に収めて、徹底的な小沢排除を断行し、その結末が第五検察審査会の二回目の起訴議決であった。菅氏らと旧体制官僚とのコラボレーションは鳩山政権の中ですでに出来上がっていたのだ。
小沢排除は、菅政権のもと、行政府と司法府と、そして国会の立法府の三権の中で協調して行われるようになった。文字どおりの「暗黒政治」の始まりである。がしかし、日本の国と国民を護れという天命は、絶対にこれを許さない。すでに、日本一新を希求する多くの人々がこれを打ち破るために起ち上がっており、それは燎原の火のごとく燃え上がり、政権交代の大義を貫くためにひとつの輪になる日も近い。
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