http://www.asyura2.com/10/senkyo97/msg/217.html
Tweet |
検察審査会の起訴議決の意味
By しなたけし • 2010年10月8日
http://shina.jp/a/activity/3318.htm
小沢元幹事長の政治団体による土地取得の収支報告書への記載をめぐり、東京第5検察審査会(第5検審)で東京地検特捜部の不起訴処分の当否が審査されてきた。4月27日の起訴相当議決を受けて検察は翌月21日に再度不起訴処分を行ったが、9月14日に第5検審による起訴議決がなされたため、今後強制起訴が行われると、小沢氏は被告人の立場となる。
第5検審での関係証拠の検討方法や起訴議決に至るまでの議論の詳細は明らかにされていないが、10月4日に公表された議決書の要旨を読む限り、小沢氏は議員辞職や離党など重大な決断を行う必要がないと考える。以下、理由を述べる。
(1) 強制起訴では検察起訴以上に「無罪の推定」が強く働くこと。
今回の起訴議決を受け、今後裁判所が指定する弁護士が起訴を行う。こ の強制起訴は、同じ起訴でも積極的に有罪獲得を目指す検察の起訴とは、その目的が根本的に異なることを認識すべきである。すなわち、強制起訴は、検察の判断を最終とせずに裁判所に最終判断を委ねようという、いわば事件処理の慎重を期すために行われるものなのである。
実際、議決書の要旨の記載からも、第5検審は「有罪確実であるから起訴すべし」との積極的な判断を示したというより、「無罪確実とは言えない以上、事件を検察限りの判断で終わらせず、公開法廷の審理を経て裁判所が判断すべき」という慎重な判断を示したことが読み取れる。
検察が有罪確実と見て積極的に起訴を行った場合ですら刑事裁判の鉄則である「無罪の推定」が適用される。まして、検察が2度にわたり不起訴処分とした後、なお慎重を期して行われる起訴議決においては、有罪の可能性が検察起訴より著しく低いのは明らかであり、「無罪の推定」が一層強く働くのは当然である。
(2) 検察審査会には政治家の生殺与奪の権限が与えられていないこと。
主権者たる国民が自らの手で政治家を失職させようとする場合、各人に平等に割り当てられた選挙権を選挙で行使する方法によるのが議会制民主主義の大原則である。
仮に検察審査会の起訴議決を理由に被疑者たる政治家が議員辞職や離党を余儀なくされるのならば、ある時点で検察審査会に所属する11人の審査員は、多くの有権者の中からくじで偶然選ばれただけにも拘わらず、政治家の生殺与奪の権限を握ることとなってしまう。
この帰結は、一般有権者との間で不合理な権利格差を生むという点で議会制民主主義の否定につながるだけでなく、検察の独善的な権限行使の抑制を図るという検察審査会制度の趣旨からも逸脱しており、明らかに不当である。
(3) 今回の起訴議決の背景には検察組織への不信感があること。
今回の起訴議決は、厚労省元局長の村木氏が無罪判決を得た9月10日のわずか4日後に行われた。村木事件では、客観的証拠と整合しない関係者供述に依拠して村木氏を逮捕勾留し、起訴後も漫然と公判を維持した特捜検察の権限濫用となり、一般国民の検察組織に対する不信感を招いた。
この点、検察組織への不信は捜査資料の信用性を低下させ、強制起訴の可能性も小さくなるという見解があるが、むしろ強制起訴の可能性は大きくなるはずである。
なぜなら検察審査会の起訴議決の意味なら、前述のとおり強制起訴は、積極的に有罪獲得を目指す検察の起訴と異なり、検察の判断を最終とせずに慎重を期すべく裁判所に最終判断を委ねるための制度である。とすれば、一般国民の検察組織に対する不信感が高まれば高まるほど、検察限りの判断で事件を終わらせることに躊躇する検察審査会のメンバーが増え、強制起訴のハードルが通常よりも低くなると考えられるからである。
検察不信が続く限り、今後も有罪の可能性が高くない強制起訴が乱発され、被疑者の名誉、地位が不当に害される事態が続くことが危惧される。今回の起訴議決を受けて政治家がまずなすべきは、小沢氏個人の責任を追及することではなく、検察への国民の信頼を一刻も早く取り戻すことである。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK97掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。