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10月1日、菅直人首相が国会で所信表明演説をした。私はこれを聴き、翌日新聞に掲載された演説の全文を精読した。
聴いているときも退屈であったが、活字を読むともっと大変で途中で投げ出したくなった。
残念ながら、演説が人をひきつけないのだ。そう言えば、代表選挙の最後に、小沢一郎氏と共演した演説もそうであった。それはなぜなのか、いずれ別の機会に考えてみよう。
■“官僚作文”でダイナミズムに欠けた菅首相の「所信表明演説」
今回の演説は、ところどころに首相の言葉を盛り込んでいるが、素地は明らかに官僚の作文だ。用語も言いまわしも官僚が書いたことを示している。
施政方針演説ならともかく、所信表明演説は首相が自分で書かねばならない。「所信」が借り物では、首相の熱意が伝わらないからだ。少なくとも、自分でタタキ台の草稿を書いて、それを官僚が、具体的な数字や事実関係についてチェックすればよい。
さて、演説は、官僚作文らしくきわめて体系的に構成されている。それ故に平板で説得力に欠けている。
やはり「所信表明」なのだから、直面する重要案件を冒頭で述べたほうがよかった。具体的な案件を具体的に述べる過程で、自分の政治に対する基本的な考え方が滲み出れば一級の所信表明になる。
まず、尖閣諸島問題に対する対応を語り、次に円高・株安対策について語れば、演説の導入はかなりダイナミックなものになり、聴く人を退屈させなかったであろう。
菅政権は未だ発足4ヵ月。この間、参院選があったから、ほんのわずかの日数しか経ってはいない。ところが、政権の標札はめまぐるしく変わっている。今回は、“有言実行内閣”を称し、先送りされてきた重要課題に取り組むという。“奇兵隊内閣”や“最小不幸社会”は消えてしまった。また次の演説では別の標札がかけられるのか。こんな政治手法がじわりじわりの首相や内閣の信頼を目減りさせるのだ。
■野党や国民への「お願い」は言い逃れするための布石に過ぎない
もう1つ気になるのは、野党や国民への「お願い」が多過ぎること。
ねじれ国会を乗り切るためには、野党の協力が不可欠だが、首相の「お願い」は決して謙虚さから発せられたものではないことに留意すべきだ。むしろそれは国会が混乱したり、重要法案が不成立になったときの、野党への責任転嫁の布石である。
「国民の皆さん、私は一生懸命取り組みましたが、野党が協力してくれなくてうまくいきませんでした。残念です」
そういう言い逃れをするための布石を打つのが菅流の政治手法なのである。
国会の現状はあくまでも首相自身が招いたもの。大敗しても辞職しなかったこと。衆参がねじれても解散しないこと。すべての混乱や停滞が、首相の責任であり、他を責めることはできない。それを首相は常に自覚していなければならない。
http://diamond.jp/articles/-/9642
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