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(回答先: 対米従属の統治論篇 (uedam.com) 投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 10 月 23 日 14:25:53)
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伊藤博文は、「天皇を、西洋のキリスト教のごとく、国家の基軸とする」という発想をどこから仕入れたのか 投稿者:ウエダ
投稿日:2010年10月26日(火)08時11分37秒
おはようございます、皆さん、植田です。
新井さん、サトウさん、書き込みをありがとうございます。
先着順に新井さんの話題から。
バチカンが明治・天皇像を作ったのか?
あるいは、戦前・絶対天皇像を。
可能性はまったくない、とは言えないだろう、と思います。
思い当たるのは2つ。
1 伊藤博文が明治憲法の精神を説明して、西洋にはキリスト教があるが、日本にはない。だから、日本人は天皇を国家の基軸にするしかない、と言いました。
伊藤による〈天皇・基軸〉説については、丸山真男や小室直樹が言及しています。『日本の思想』、『日本人のための憲法原論』など。
それはいいとして、私に気になるのは、伊藤博文は、どこから「西洋諸国はキリスト教を基軸にしている」という考えを得たのか、です。
幕末のイギリス密航の時か。
明治維新直後の明治政府あげての西洋文明の見学会のときか。
それとも、誰かが伊藤に吹き込んだのか。
岩倉使節団の訪問先にバチカンはあったのでしょうか?
今、突然、ここが気になりました。
新井さん、御存じでしょうか?
2 昭和天皇が終戦の工作にバチカンを利用しようとしたこと。
昭和天皇とバチカンには、いかなるつながりがあったのか?
皇室は、カトリック教徒だったのか?
だとしたら、いつから?
戦国時代にイエズス会が日本に布教に来た時、皇室は密かに「隠れキリシタン」になっていた、とか?
以上、私が思いつく皇室とバチカンの関係です。
あと、占領軍の神道指令なり、「人間宣言」なり、日本国憲法での天皇・象徴化ですが、これらを通して見えてくる日本人とアメリカ人の「神」観と日本人のそれとの違いです。
アメリカ人には、神といえば、イエス・キリストしかいませんが、彼らには、日本人が天皇を神と見なして、あたかもキリストと同列に置くのは許しがたい、と解釈されました。
これに対して、戦後の日本の識者たちは、西洋人の神観と日本人の神観は違う、としきりと弁明してきました。
これはその通りなのですが、私が疑問に思うには、戦後の日本が対米従属になっているのは、占領軍が「天皇利用計画」を使ったためですが、問題は、なぜ日米で「神観」が異なるのに、なぜそれがうまく機能したのか、です。
識者たちが言うように、日米で「神観」が異なっているのであれば、占領軍の「天皇利用計画」は機能はしないはずではないか、と。
ということは、占領軍は、戦後の日本人識者たちの弁明が出てくることをすでに予想していたのか。
つまり、彼らは、そこのところを認識していた、と。
天皇とキリストはまったく異なる存在だが、日本人はあたかも天皇をキリスト教徒における「神」のように見なしているので、ここを利用できる、と。天皇は神ではない、とすれば、日本人の国家意志はぽっきり折れる、と。
で、新井さんが指摘されるように、明治以後の天皇像が、もしバチカン製だとすれば、これは奇妙なことになります。
バチカンという西洋人が作った天皇像を、またアメリカ軍という西洋人が破壊した、と。
そして日本人はそれに振り回されている、と。
今も。
今も、というのは、それによって国家意志を立ち上げることが出来ず、それゆえに菅政権は、まさに外交問題である尖閣諸島衝突事件を国内法の問題と解釈することに躍起になっている、と。
昨日の参院予算委員会でも、柳田法務大臣が、「政府は一切介入をしていません」と明言しました。中国人船長の釈放の那覇地検の判断の点です。
不思議なのは、外交問題であれば、政府が介入したと胸を張るところなのに、逆に、介入しなかったと胸を張っていることです。
菅政権は、発想が逆転しているのではないのか?
このような逆転の発想の淵源が、天皇問題にある、と私は考えています。
アメリカ占領軍の「天皇利用計画」であり、それを作動させた明治・戦前日本人が構築した「天皇像」です。
で、それは不比等が構築した天皇像とは別人だった、と。
というわけで、新井さんが言うように、バチカン要因の研究も必要でしょう。
明治以後、天皇「像」、あるいは「社会的立場」は、いかに変貌したか、ということになるでしょう。
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カトリックとアラヒトカミ。
投稿者:新井信介 投稿日:2010年10月25日(月)10時35分7秒
>誰が、不比等の構想を離れて、アメリカ占領軍に利用されるような天皇像をつくったのか?
幕末の志士たちか、明治憲法の中で育った明治世代か。
昭和の日本軍人たちは、もう、「絶対天皇制」像の中の天皇の臣民たちでした。
・・・「絶対天皇制」。神聖にして不可侵。帝国憲法をつくるときに、
中国の皇帝権力と、バチカンの権威を、両方併せ持つ天皇像ができたのでは。
明治維新後にできた日本皇室の大きな変化の一つ。
皇室とカトリックとの関係。これは、研究課題です。
日本キリスト教団(同志社大学系統)を創ったくらいですから、
キリスト教を明治政府は、積極的に受容しています。
信仰の内容よりも、天皇の「絶対性」「無謬性」を高める、
統治手段の一つだったのではないか、と考えています。
バチカンと戦前の日本政府とは、複雑な関係がありそうです。
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