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検察審査会と「市民感覚」の罠
政治 / 2010年10月23日
久しぶりに太陽の光がまぶしい。この1週間は、八ッ場ダムのビデオ撮影のために、現地ロケで歩き回っていた。その間、天気はあまりよくなくて、奄美大島では記録破りの集中豪雨で大きな災害が発生した。亡くなった方にお悔やみを申し上げ、怪我をされた方や家屋の被災のために避難中の方にお見舞いを申し上げたい。
さきほど、TBS「報道特集」で検察審査会を取り上げた。旧知の金平茂紀記者はニューヨークから帰ってきたようだ。かつて「報道のTBS」と呼ばれていたことを見いだすのが難しいぐらい低迷している現状を建て直してほしいと感じる。番組は「検察審査会」を取り上げていた。大阪と東京で、検察審査会で審査員をつとめた経験者が証言していく。
「疑わしきは罰せずというのが裁判所・検察官の考え方。市民感覚では、これだけ疑わしいのであれば、裁判で」「相手側に立てない場合がある。権力が強い人には厳しい判断が出ると思います」(審査員経験者)などの声が続く。「市民感覚」という言葉は、「一般庶民の立場のジョーシキ」と地続きで使われている場合もあり、人それぞれの感覚で使っているが、最近では新聞の社説なども多用する。
小沢一郎氏の二度目の「起訴相当」を決めた東京第5検察審査会の議決文には、「有罪の可能性があるのに検察だけの判断で起訴しないのは不当。国民は裁判所によって、本当に無罪なのか、それとも有罪なのかを判断してもらう権利がある」「嫌疑不十分として検察が起訴を躊躇した場合に、いわば国民の責任において公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度だ」と記されていた。
これは暴論だ。政治家の失脚のために、メディアと相乗効果で「疑惑」を煽り市民感覚で「告発」して、検察が「不起訴」にしても「検察審査会」が強制起訴で刑事被告人に引きずり出すことが出来る。
「有罪かもしれないから起訴すべき」「黒白つける」という記述には、違和感を覚える。「明らかに有罪と証明出来るから起訴する」「黒=犯罪が立証された時に有罪、シロ=犯罪の立証が不十分だった時に無罪」というのが刑事裁判の原則ではないのだろうか。
刑事司法の原則であるはずの「法の下の平等」「罪刑法定主義」「推定無罪」は、「市民感覚」に根付いていない。多くの検審員も裁判員も、しっかりとした法教育を受けていない。「疑わしき者、お白州に引きずり出せ」という感覚で、起訴してみて有罪・無罪を判断すればいいじゃないかという感覚は危険だ。
もうひとつ、「相手が権力者であれば、検察審査会は厳しい判断をする」という声は、今後の検察審査会のあり方を考えるためにヒントになる言葉だった。「権力者→腹黒い→裏金→隠蔽→限りなく黒」という印象を、特捜部の捜査が生み出す大量の情報が社会的な空気をつくりだしてしまう。
平均年齢の不可思議は解決していないが、「34・55歳」は、きわめて若い世代の審査員が多かったことを示している。就職も厳しく、非正規労働で搾取されて、労働市場の底辺に放置されている若者たちが、「億単位の金銭を動かしている政治家を厳しく糾弾しよう」という対象とするのも当然かもしれない。
『報道特集』金平記者のレポートは冷静かつ審査員の肉声もきちんと取っていて良かったと思う。「検察官の不起訴」を審査する検察審査会に対して:「検察官の職務の適格性」を審査する検察官適格審査会の存在に一言でも触れてほしかった検察のチェックを話題にする時、検適をスルーしないでほしい。
なぜ、検察官適格審査会に関心がないのか。それは、簡単だ。メディアがほとんど報道しないからだ。なぜ、報道しないのか。長年、法務・検察のインチキを容認し、60数年にわたって問題にしたこともないからだ。検察改革は、検察報道のメディアのあり方の出直しも必須条件だ。
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