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小沢氏の強制起訴の報道には驚かされたが、それよりも、どうにも納得できないものがある。普通の市民が検察の怠慢をチェックする‥というシステムは分からないでもない。しかし、その中身が問題なのだ。起訴イコール有罪だった検察のプライドが、わずかな無罪の可能性のために起訴を忌避することがあるのかも知れないという、そんな検察の怠慢さなど今回の件には微塵もない。
今回、起訴相当を出した一連の検察審査会の議決は、どうみても、小沢氏に突きつけられている被疑内容より、なにか遥かに大きな疑念‥、あるいは共同幻想といってもいい、そんなわけの分からない疑心暗鬼が起訴議決を生んでいるのではないかという点が問題なのだ。
事あるごとにテレビ新聞・雑誌で、陰謀の元締め扱いをされ、掲げた政策を悪意に曲解されたあげく、しかもそれを反論する機会は与えられず、そうやって作り上げられた巨悪という虚像が一人歩きをした結果、本来、問われるべき論点を逸脱した過大な嫌疑がかかってしまったのではないかと。
これでは、たとえ無罪の判決が出たとしても、市民目線でなるほどと思う結果が出ない限り、つまり、クロの判定が出ない限り、その市民目線とやらは納得しないだろう。問われている嫌疑について処罰するというのならまだ分かる。だが、今回かかってもいない、もっと広範囲な疑惑についての処罰を望むこの市民目線とやらに、判定者としての見識を求めるのは間違いなのだろうか。
これは単なる想像などではない、身近にいる人たちから受ける感触なのだが‥端的に言うと、いま問われている嫌疑で処罰するということよりも、なんとなくあいつは気に入らないから‥とか、気に入らない政策提案を議会という場で正面から批判するのではなく、スキャンダルによって闇に葬り去ろう‥とか普通に考えているところなど、まさに権力闘争の発想そのもの。
いつから日本人はこんな殺伐とした群衆に成り果てたのだろうか。いや、前からそうだったという方も居ろう。‥しかし、このままで良いのだろうか。こんな国民性があるからこそ、いままで地検特捜部とやらが数々の疑獄劇を提供し、市民目線とやらの中にわだかまる内圧を解放させ、その溜飲を下げてきたわけだ。
ところが今、検察組織は証拠ねつ造が発覚して、その疑獄劇を提供するしくみそのものが問われ始めている。彼らはいま変化せざるを得ない局面にいる。そこでもう一方の、いままでその疑獄劇で溜飲を下げてきた市民目線のほうはどうかというと、そう‥何も変わってはいないのだ。
それにしても、こんな共同幻想を作ったテレビ新聞はどのように責任を感じているのだろう。昨日の報道ステーションでは、小沢氏強制起訴についてさすがに責任を感じたのか、無罪になる可能性があるという点を神妙に語っていたのが思い出される。日本人はもう少し賢い民族だと思っている。いまからでも遅くはない、自分たちが作り上げてきたこの疑獄劇という虚像と、それを煽り立てるテレビ新聞という構図にそろそろ気付く時なのではないか。
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