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本日、2010年10月5日付の朝日新聞社説「小沢氏起訴へ―自ら議員辞職の決断を」を読んだ。朝日新聞がついに本音を丸出しにして、その正体を露わにしたものとして、これは後世に残るであろう。ふり返ればこの会社には戦争加担者としての歴史がある。そのDNAは見事なまでに今に受け継がれている。
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小沢氏起訴へ―自ら議員辞職の決断を
小沢一郎・元民主党代表は今こそ、自ら議員辞職を決断すべきである。小沢氏の資金管理団体の土地取引事件で、東京第五検察審査会は、小沢氏を政治資金規正法違反の罪で起訴すべきだと議決した。この20年近く、常に政治変動の中心にいた小沢氏は、近い将来、検察官役を務める弁護士によって起訴され、法廷で有罪・無罪を争うことになる。審査会は議決の要旨で、秘書に任せており一切かかわっていないとする小沢氏の説明について、「到底信用することができない」と述べた。疑惑発覚後、世の中の疑問に正面から答えようとせず、知らぬ存ぜぬで正面突破しようとした小沢氏の思惑は、まさに「世の中」の代表である審査員によって退けられたといえよう。今回の議決は、検察が不起訴とした事件について国民は裁判所の判断を仰ぐ「権利」があると書くなど、制度の趣旨に照らして首をかしげる部分も見受けられる。だが、検察官から起訴に踏み切る際の基準について説明を受けたうえで、その基準に照らしても不起訴処分はうなずけないと結論づけた。その判断を重く受け止めたい。いったんは検察が不起訴とした事件であり、公判がどのように推移するかは予断を許さない。小沢氏は先月の民主党代表選の際、強制起訴されても「離党したり、(議員)辞職したりする必要はない」と語った。確かに有罪が確定しない限り、「推定無罪」の原則が働く。しかし、そのことと、政治的な責任とはまったく別問題である。小沢氏は党幹事長だった6月、当時の鳩山由紀夫首相とともに、政治とカネの問題の責任を取り「ダブル辞任」した。刑事責任の有無は別にして、「クリーンな政治を取り戻す」(鳩山氏)ためには、それが避けられないという判断だったはずである。わずか3カ月後に代表選に出馬し、民意の厳しい批判にさらされたのは、政治責任に対する小沢氏のいい加減な姿勢が問われたからにほかならない。小沢氏が今回、けじめをつけなければ、政権交代に「新しい政治」を期待した有権者を再び裏切ることになる。離党したとしても「数の力」で党外から影響力をふるうなら同じことだ。小沢氏の師、田中角栄元首相はロッキード事件で逮捕され離党した後も、「闇将軍」として大きな権力をふるった。師の轍(てつ)を踏んではならない。小沢氏は政治改革の主唱者の一人でありつつ、「古い政治」の典型的な体現者でもあるという二面性を持つ。ただ、民主党を鍛え、政権交代を実現させた功労者であることは間違いない。であればこそ、その業績の歴史的意義をこれ以上損なわないためにも、ここは身を引くべきである。******
読めば読むほど吐き気をもよおす文章である。それにしても、ここで述べられている「世の中」というのは何なのか?第二次世界大戦中、多くの日本国民は朝日新聞をはじめとするメディアのバラ撒くウソによって「日本は勝つ」と信じ込まされていた。日本が負けるわけがないというのが「世の中」だったわけだ。そうして軍と一体化して国民を鼓舞して朝日は部数を伸ばしていった。いま、朝日がアプリオリに肯定する「世の中」とは、まさに戦時中のそれと同じである。
今回の検察審査会に申し立てをした「審査申立人(氏名)甲」は、マスメディア=マスゴミは一切報じないが、在特会の桜井誠なる人物である。そんなことはネット上では常識だ。そしてまた、小沢一郎にかけられた疑惑がまったくもって犯罪性がないこともまたネットでは常識である。
にもかかわらず、「世の中」が「到底信用することができない」という判断を「重く受け止める」のだという。それは、戦時中に冷静な分析をした上で「日本は負ける」といった人物に対して、「そんなことは到底信用できない世の中の意見」をもとに断罪するのと同じことであろう。
しかもタチが悪いのは、朝日自身が「公判がどのように推移するか予断を許さない」、つまり公判維持が難しいことは知っていることである。にもかかわらず、そのことと政治的な責任とはまったく別問題だと決めつける。驚くべき上から目線、まるで自らが神のごとき裁きである。
小沢一郎が党幹事長を辞任したのは「政治とカネ」の問題ではなく、「政治とカネというウソをバラ撒くマスゴミ」が問題だったからだ。このデマゴーグが参議院選挙に与える影響を鑑みて小沢と鳩山は辞任した。その後、小沢が民主党代表選に出馬したときに金科玉条のごとく「民意」という「世の中」を振りかざして「厳しい」小沢を批判したのマスゴミであるが、にもかかわらず一方で驚くほど多くの人の小沢待望論が顕在化した。
街頭演説に集まった多くの人々から湧き上がる小沢コールの映像はマスゴミでは放送されなかったが、一般市民によるUSTREAMの中継でハッキリと映し出された。党員、サポーター票の「結果」は大差であったが、実際の票差は6:4である。あれだけマスゴミが全力を挙げて「世の中」を捏造したにもかかわらず。
であれば、むしろ民主党代表選で顕在化したのは、政権交代による「新しい政治」を小沢一郎に託したいという気持ちが民意の底流にあるという事実だ。にもかかわらず、朝日新聞は小沢の議員辞職という政治的抹殺を社説に掲げた。私に言わせれば、これはこの国の独裁権力者であり既得権益の権化である霞が関の意志である。
その霞が関の意志を自らの主張に掲げる朝日新聞は、かつて軍とともに戦争に加担した朝日新聞の体質そのものだ。第二次大戦敗戦という国益の大損失に加担し、今また既得権益者の存続という国益の大損失に加担する朝日はそろそろ新聞経営から身を引くべきである。
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