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「自分以外はすべてバカ」。彼はそう思っている。もちろん菅首相も例外ではない。宿敵・小沢一郎を追い落とし、もはや敵する者はいない。「仙谷支配」の幕開けだ。
■「長妻は野党がふさわしい」
菅直人首相が小沢一郎元幹事長を打ち破り、新内閣を発足させた当日のこと。
勝者の陣営に属していながら、いきなり奈落へと突き落とされた人物がいる。厚生労働大臣をクビになり、党筆頭副幹事長に「降格」された長妻昭氏だ。
「いや、私はそういうのは全然、気にしないから。関係ないから。ある意味で、動きやすいというか・・・。政府じゃないけど、党改革でいろんなこともできるというか・・・。うん」
目を泳がせながらそう語る長妻氏。「更迭」は寝耳に水だった。厚労相交代が明らかになった後、首相補佐官として官邸入りするとの噂も流れたが、それも結局潰れ、筆頭副幹事長へと左遷されることになった。長妻氏は動揺していた。
民主党政権の人気閣僚の一人だったはずの長妻氏を、いともたやすく切り捨てた男。それが、仙谷由人官房長官である。
長妻氏がなぜ飛ばされたのか、それは後述しよう。いずれにせよ、9月17日に発足した改造内閣において、菅首相は「何一つ」決めてはいない。大臣・副大臣・政務官の3役、党の各種委員長ポストから、今後の政策の方向性まで・・・。決めたのは、すべて仙谷官房長官だった。
菅首相は小沢氏という強大な政敵を打ち破るため、反小沢派の担ぐ御輿に乗った。そして敵を斃すことには成功した。ところが気がつくと、自分が主であるはずの官邸は、別の人間に占領されていた。手足は糸に縛り付けられ、自由に動かすこともままならない。
ではその糸を、裏で傀儡師のごとく操っている者は誰なのか―それこそが、仙谷氏その人である。
魔物が巣くうという権力の中枢は、これまで数多の「怪物」を生み出してきた。権力の旨味を一度味わうと、容易にはその危険な誘惑から逃れられない。
もとより、必死で己の地位を守り通した菅首相も、その虜となった一人である。しかし、菅首相は気がつくと、単なる使い走りレベルの存在に成り下がっていた。すぐ身近な場所で、怪物・小沢に匹敵する新たな「大妖怪」が誕生していたのだ。
9月14日夜、菅と仙谷、両者の関係を象徴する場面があった。代表選勝利の余韻が残る中、菅首相は公邸において、仙谷氏とサシで向かい合っていた。早速、新政権の人事構想や、政策、国会運営を練るためだ。
「勝負がつけばノーサイドだ。小沢さんのほうからも、人材を登用したいが・・・」
菅首相は小沢氏側近の何人かを入閣させるつもりでいた。勝っても政権基盤に自信が持てない菅首相は、小沢側近の山岡賢次氏を農水相に、三井辨雄氏を厚労相に、などというプランを持っていたという。
ところが、これを聞いた仙谷氏は激怒して、首相のプランを一蹴した。
「そんなものはダメだ。認めるわけにはいかん」
菅首相は「せめて1人くらい・・・」と、多少の抵抗を試みた。しかし仙谷氏は頑としてクビを縦に振らなかった。そして延々2時間に及ぶ、仙谷氏による説教が始まったのだという。
「そもそも小沢は、菅政権に協力する気など毛頭ないよ。アンタがいつもそうやってふらつくから、付け込まれるんだ。そもそも、参院選で負けたことも、不定見な消費税発言が原因じゃないか。何の根拠もない景気対策を思いつきで口にするのも、やめたほうがいい。もうそろそろ総理として、軽挙妄動は慎んでもらわなければならない」
仙谷氏は代表選の最中、首相が小沢氏懐柔のために、「仙谷のクビを切る」という交換条件を呑もうとしたことに、拭い去れない不信感を抱いていた。
「菅はもうアカン」
周囲にはオフレコでそう語り、内心ではすっかり見限っている。だが、小沢という自身にとっても最大の敵の息の根を止めるには、もう少しこの男(菅)を利用するほうがいい―。
結局、首相は何も言い返すことができず、「すべて」を仙谷氏が仕切ることになった。この2時間の説教が終わった後、菅政権が新たに船出した・・・のではない。そう見せかけて、実態としては「仙谷由人政権」が誕生したのである。
「その犠牲者第1号が、長妻氏ということです。長妻氏は鳩山政権ができた時に、『やらせてくれ』と懇願して厚労相になりましたが、本来、そのポストには仙谷氏が就任する予定でした。それを鳩山前首相が『長妻のほうが目立つ』と考え、ひっくり返した経緯があります。仙谷さんはずっとそれを根にもっていた」(民主党中堅代議士)
厚労行政については民主党一詳しいとの自負を持つ仙谷氏にとって、年金問題しかできず、官僚と衝突してばかりの長妻氏は、無能そのものの存在だった。
「まったく使えない」
「野党がふさわしい奴だ」
長妻氏のことを容赦なく酷評し、自分の息がかかった厚労省の役人たちにも、そう吹き込んだ。長妻氏を憐れみ、菅首相は首相補佐官としての起用も考慮した。しかし、それすら仙谷氏によって握り潰された。長妻氏は、岡田克也幹事長に拾われることで、「無役」だけは辛うじて免れている。
■キレすぎて怖い
ただもちろん、この「岡田幹事長」就任も、仙谷氏の描いたシナリオだ。
民主党ベテラン代議士がこう話す。
「首相を見限っている仙谷氏は、すでにポスト菅の布石を打ち始めている。岡田氏の幹事長就任は、堅物で仙谷氏の言いなりにならない同氏を政府から追い出す、厄介払いの口実です。
これから幹事長は野党との連立工作という汚れ仕事をしなければなりませんが、それを岡田氏に押し付けた。もし連立に失敗して菅政権が飛んだ場合、岡田氏は一蓮托生となって、ポスト菅の目はなくなる」
だが菅政権が潰れたら、官房長官の仙谷氏も、当然「同罪」になるのではないか。しかし、それはまったく問題にならないという。
「仙谷氏には、前原誠司氏というカードがある。岡田氏は外相ポストにこだわったが、断り続けて政権が潰れたらA級戦犯になってしまうので、結局やらざるを得なかった。そうして、うまく子分の前原氏とポジションを入れ替えた。前原氏は『次の総理候補』として人気が急上昇し、すべて仙谷氏の狙い通り」(同)
別のベテラン代議士は、仙谷氏が取り仕切った人事を見て、「キレすぎて不気味になってきた」と語る。
「当初、挙党態勢を装って民社協会(旧民社党グループ)の川端達夫氏の幹事長就任を臭わせたのも、川端氏が『菅内閣の閣僚になるくらいなら議員辞職するほうがマシ』と公言するほど仲が悪いのを知っていて、必ず断ってくると見切っていたから。
『北澤俊美幹事長』という案を参院のドン・輿石東氏に打診したのも、北澤氏をライバル視する輿石氏が必ず断ってくるはずで、これまた計算どおり。すべての人事が仙谷氏のシナリオに則って進行した」
仙谷氏は東京大学法学部の3年生の時に司法試験に合格し、弁護士として活躍したが、それ以前は学生運動家として活動していた。'90年に衆院に初当選した時は、旧社会党に所属。こうした経歴から、「左翼」と見られることが多い。
そのため、民主党内からは、「小沢氏が去って体育会系のシゴキ政治が終わったと思ったら、今度は左翼みたいなセクト政治が始まった」(若手議員)という怨嗟の声が上がり始めている。
ただし、いまのところ、そうした声が表面化することはない。民主党の議員たちは、剛腕・小沢一郎に代わる、新たな「恐怖支配」の担い手・仙谷由人の突然の登場に戸惑い、恐れ慄いているからだ。
その状況は、降格という仕打ちを受けた長妻氏の言動によく表れている。理由も分からず大臣をクビにされたら、激怒して官邸に怒鳴り込んでもおかしくはない。民主党とは本来そういうノリの政党で、6月の菅内閣発足時には、人事に不満を持った荒井聰前国家戦略相が、朝の4時に菅首相を電話で叩き起こした・・・という一幕もあった。
ところが今回は、何も不満の声が出てこない。長妻氏は、怒ったり嘆いたりするどころか、逆に不自然にも、仙谷氏のことをこう褒めちぎっている。
「仙谷さんのせい? それは違うでしょ。昔、『唯角論』という『なんでもかんでも角栄のせい』というのがあったけど、それと同じ『唯仙論』じゃないの。私は仙谷さんととても仲がいいし、怒鳴りあえる仲。仙谷さんは非常に優秀ですよ。後藤田(正晴・元官房長官)さんを超えるんじゃないか」
陰で自分のことを「無能」呼ばわりしている人間と、仲良くすることができるわけがないだろう。長妻氏がなぜこうも仙谷氏を持ち上げるのか、その背後にあるのは、「気づいたら誰も逆らえなくなっていた」という、仙谷氏に対して感じ始めた「恐怖心理」だ。
若手代議士の一人がこう語る。
「代表選が終わったのに、みんな息苦しさを感じている。仙谷さんは党を完全に管理下に置き、われわれ個々の議員の性格まで分析したリストまで作っていて、思いもよらない布石を打ってくる。別の先輩議員は、『小沢さん的な管理は体育会系なので、なんだバカヤロウ、なんて言い放つ余裕があった。でも仙谷体制下でそれはない。何か言ったら全部仙谷さんの耳に入ってアウトになるんだ』とビクビクしていました」
中曽根内閣の名官房長官と言われた後藤田氏を彷彿とさせる頭脳の持ち主だが、その頭脳はもっぱら党内の「敵」、主に小沢一派を排除、分断するために使用されている。その様を見て、永田町ではこんな評判も立ち始めた。仙谷氏は確かにカミソリのように切れる。しかし、「赤い後藤田」だと。
■文句を言う奴にはクルマを
代表選ではこの仙谷氏に敗れた小沢一郎元幹事長は、いま捲土重来を期している。
小沢氏の失脚の原因は、政治団体の土地取引を巡る「政治とカネ」の問題だった。ところが、小沢氏の元秘書・大久保隆規被告の取り調べにも関わった大阪地検の前田恒彦検事が、郵便不正事件における証拠の改竄により、逮捕された。小沢派議員の一人は、
「これで世論が反転して、検察審査会の審議にも影響が出る。小沢氏を起訴することは難しくなった」
と、ほくそ笑む。そして小沢氏自身は、9月18日に東京地検の4度目の事情聴取に応じると、無難にやり過ごして、その後の連休中は八丈島に渡って趣味の釣りに勤しんだ。再起に向け充電中ということだろう。
「復活の契機は、10月末に検察審査会で『不起訴』との結論が出た時だ」
前出の小沢派議員はボスの復活へ自信を深める。
しかし、迎え撃つ仙谷氏には、何の抜かりもない。
「一新会(小沢派)会長の鈴木克昌氏や、側近の樋高剛氏、松木謙公氏らを激務の副大臣や政務官にしてしまい、小沢氏の身辺から引き剥がした。それくらいは誰でも思いつくが、仙谷の施した策は、それだけじゃない」(民主党幹部)
小沢派の解体を図るのと同時に、仙谷氏は今回の組閣で外した人々に逆恨みをされないよう対策を施した。国家公安委員長を退任した中井洽氏、国対委員長から退いた樽床伸二氏を、それぞれ衆院予算委員長、国家基本政策委員長に任命したこともその一環だ。
「大臣をクビになると、たいていの人間が不満を溜めて抵抗勢力に回る。その理由の一つに、『専用車がなくなる』というものがある。だが、国会の常任委員長にすれば、いままでと同じように自由に使える専用車がつく。些細なことだが、これだけで相当、対象者の不満を抑えることができる」(全国紙政治部記者)
一時退却中の小沢氏。仙谷支配に挑戦するチャンスはくるのか 仙谷氏と同じく、徳島県から中央政界に進出した後藤田正晴氏は、長く政界最高の知能の持ち主と評されたが、常に補佐役で、ついに自分がトップの座につくことはなかった。
議員引退時、「総理になれなくて残念だったのでは」と問われた後藤田氏は、「あと10年早く出ていればなあ」と語ったという。
後藤田氏が名官房長官として最初に世に知られたのは'82年、68歳の時。仙谷氏はいま64歳だ。「大いなる野望」を達成するため仙谷氏に残された時間は、後藤田氏が望んだほど長くはないが、短くもない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1304
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