http://www.asyura2.com/10/senkyo96/msg/695.html
Tweet |
2010年10月3日(日)鈴 木 宗 男
昨日、諏訪大社をお参りする。山に囲まれ、厳粛な雰囲気の諏訪大社に歴史を感じながら、頭を垂れ、しばし黙考(もっこう)する。自らを反省しながらも、ねつ造調書を作り、人を訴え、そのデタラメな調書をもとに人を裁く権力側の自己保身、心の無さを自ら見聞し経験した者として、神の前で公平、公正とは何かを自問自答する。
「鈴木さん、おのれ見ておれ、の気持ちを忘れてはいけません」と言った声が聞こえてきた思いである。心洗われるひと時を過ごすことが出来、感謝の気持ちでいっぱいであった。
本日の信濃毎日新聞31面に検察内部捜査中で「調書そのものが捏造(ねつぞう)」という見出し記事がある。全文紹介したい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
検察内部捜査中「調書そのものが捏造(ねつぞう)」
かつて東京地検特捜部に在籍していた現職の男性検事は、同僚の特捜検事が自嘲(じちょう)気味につぶやいた言葉が忘れられない。
「ぼくの作った供述調書は全部うそ。上司のオーダーに合わせて取ったものだ。だましですよ」
当時、2人は中央政界を巻き込む大型汚職事件の捜査を担当しており、容疑者を取り調べる東京拘置所(東拘)内で偶然一緒になった。
その東拘で男性検事は、奇妙な光景を目の当たりにする。同僚検事らが容疑者を取り調べている最中なのに、それに立ち会うはずの複数の検察事務官が検察官控室で待機していた。
「なぜ、ここにいるんだよ」。男性検事が尋ねると、事務官の一人はこう答えた。
「担当検事に『いなくていい』と言われたので…」
取調べ中は事務官を外し、容疑者に調書の署名を求めた後などに部屋に入れる。その間、どんなやりとりがあったのか当事者以外には分からない―。「これが東拘の実態」と男性検事。自身はこの慣習≠おかしいと思い、受け入れなかったという。
捜査官が容疑者を取り調べたり、参考人から事情を聴いたりした内容をまとめる供述調書。押収資料のフロッピーディスクを改ざんしたとされる大阪地検特捜部の前田恒彦が主任検事を務めた厚生労働省文書偽造事件の公判では、検察の強引な取り調べが判明し、調書の大半が証拠能力なしとされた。
男性検事は特捜部の経験を踏まえ吐き捨てるように言った。
「供述調書そのものが捏造(ねつぞう)だ。主任検事らが取り調べ全体を見回し、内容を修正させる。調書をいじりながら、容疑者が言っていないことを言ったように作るんだ」
<捜査段階の供述は、真実体験した者でないと語れない迫真性に富んでおり…>。刑事裁判の判決で頻繁に登場するこの表現について、東京地検特捜部時代に大型疑獄事件に携わった元検事は冷ややかに言う。
「検事だって小説を読む。小説を参考にすれば、誰でも迫真性のある調書ぐらい取れる」
かつて検察首脳だった別の元検事は、功名心を抱える「古巣」の危うさを認め、「前田も学生時代は正義感にあふれていたのだろう。うちの文化がこういうことをさせてしまったと考えると、わたしの責任も重いと痛感する」と打ち明ける。前田の上司だった前大阪地検特捜部長の大坪弘道らの逮捕に、組織の存亡を懸けた検察の執念を感じている。「もうメンツとかそんな状況じゃない。事実をきっちり調べ上げ、国民に公表しないとどうにもならない。最高検は本気だよ」(呼称略)
(2010年10月3日(日)信濃毎日新聞31面)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
読者の皆さん、現職の検事が言っているのだ。これが検察捜査の実態である。「僕の作った供述調書は、全部ウソ。」この言葉は正直な表現だ。そのウソ・デタラメな調書を信用性が高い、公判での証言は信用性が低いという判決は正しいのだろうか。
冤罪で泣いている人がいる。作られた事件で、人生を無くした人がいる。その人達の為にも、私は真実を求めて、先頭に立って行動していく。私は朝起きると「運」という字をなぞる。軍(いくさ)がと書いて「運」である。努力しないと闘っていないと、運は無い。私の人生観である。しっかり心してやっていきたい。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK96掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。