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琉球近代史:1879年、琉球処分により琉球王朝滅亡/1885年、尖閣の“慎重なる”現地調査開始/1894年〜1895年日清戦争/1895年尖閣島嶼の領有〜鰹節工場設置、短期間で放置/1895年日清戦争下関講和条約で台湾を植民地化/1945年無条件降伏で島の領有決定権を放棄
現実:台湾も琉球も中国と日本政府から見捨てられた、しかし海洋民族の楽天地であった。琉球には王朝があったが、台湾は国家を形成する気持も無い自由人の島であった。わずかに、日本人を母とする中国人鄭和(南京)が台湾独立を画策し失敗した記録があるのみ。
琉球と尖閣(釣魚)島嶼は120Km以上離れている上に深さ3000mの琉球トラフがあり、そこを黒潮本流が早い流速で流れている。琉球を出発して尖閣に向かう手漕ぎ船は南側に40度偏向した操船を余儀なくなれる流速であり、10ノットのエンジン付きでも往復に16時間かかった。
加えて、横断する黒潮本流はプランクトンが極度に少なく、尖閣の大陸団端まで漁獲は期待できなかった。
しかし、台湾の北端からは、大陸棚の浅くて静かな海が釣魚島嶼まで続いている。距離も琉球からよりも近い。それに途中に沢山の島嶼がある。だから、釣魚島嶼は古来からずっと台湾漁民の漁場であった。
今では尖閣(魚釣)は遊漁船(アマチュア釣り人を乗せ海釣を楽しませる船)が台湾から遠征してくる海でもある。そのことは、日本の巡視艇が台湾の遊漁船を沈没させ、多数の死者に賠償した事件で知られるようになった。この事件について池田香代子さんのブログから引用します。
(引用始め)2008年8月10日、尖閣諸島近海で巡視船「こしき」(満載排水量1360トン、船長・堤信行2等海上保安監)が台湾の遊漁船「聯合号」(30トン、何鴻義船長、乗員3人、釣り客13人)に衝突、沈没させた。
第11管区海上保安本部発表は魚釣島の南南東約5浬で聯合号を発見し、右後方から迫ったが、同船がジグザグに走り、急に右旋回したため「こしき」の船首が相手の船首右舷に当たった----という内容。
ところが釣り客の一人がビデオ撮影をしていて、直進していた聯合号に「こしき」が右から突っ込んだ状況が台湾で公開されたため、台湾海軍は最大の「基隆級」駆逐艦(満載排水量9570トン)の出動準備を進め、議員たちは「馬英九総統自身が座乗して出撃せよ」と迫った。
第11管区海上保安本部長が15日、巡視船の過失を認めて遺憾の意を表明し、台北にある日本の交流協会の総務部長が船長宅を訪れて賠償に応じる意向を示したため、台湾は軍艦派遣を取りやめた。(引用終わり)
なんとも、今回の中国漁船事故を髣髴とさせる事件が2年前にあったのである。今回の事件で中国政府は「魚釣島嶼は古来より、中国の台湾の領土である」という言い方をしている。つまり、中国政府は「魚釣島嶼は台湾領である」と言っている。
台湾と琉球は海洋民族の楽天地であった。尖閣・魚釣島嶼は国家とは無関係の漁民達の楽園に戻すべきである。ガス田云々であるが、大陸棚で原油は取れず、ガス田だけが残っている。それも期待した埋蔵には程遠いという。愚かな政治家たちが国民を欺いてこの海域で火遊びをしている。
(おわり)明日からしばらく中国です。南京にも3日滞在します。ではまた、皆様。
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- (訂正)「鄭和」は「鄭成功」の、「魚釣島嶼」は「釣魚島嶼」の誤りです 加藤 2010/9/30 23:22:54
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