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尖閣諸島での中国人船長釈放の問題が菅内閣を揺さぶっている。
中国漁船の領海侵犯事案というきわめて高度な政治・外交的な判断の求められる問題にもかかわらず、政府は、公務執行妨害に矮小化し、検察の粛々とした判断に丸投げしてしまっている。
結論を先に言えば、その無責任な姿勢こそが今日の混乱を招いている。つまり、自業自得なのだ。
きょうの衆議院予算委員会でも、菅首相、仙谷官房長官、前原誠司外相、柳田稔法相ら関係閣僚はこぞって「政治介入」を否定した。これまでの発言でも同様だ。
「今回は偶発的な事故だと思っている。日本からすれば、日本の法律に則って粛々と対応するということに尽きる」(前原外相/9月19日/NHK日曜討論)
「検察当局が事件の性質を総合的に考えた上で国内法に基づいて粛々と判断を行った結果」(菅首相/9月26日)
今回の件に対して、筆者は、「政治介入」の有無を問題視する立場を取らない。むしろ逆だ。多くの外交専門家が指摘するように、政府がこの問題に一切介入せず、官僚任せにしてしまったことに危険性を感じている。
極端にいえば、指揮権を発動してでも、政治は介入すべきだったと考える。そもそも民主党は、官僚任せの政治から脱却して、「政治主導」を党のテーゼにしているのではなかったか。
今回の件に関して、菅内閣の犯した決定的なミスは少なくとも3つある。ひとつひとつ検証してみよう。
■最初のミスは初動で外交カードの保全を怠った船長以外13名の釈放
まず事件発生時、船長以外の13名の船員を釈放したのが最初の大きなミスだった。
きょうの予算委員会でも仙谷官房長官が繰り返し「船員は参考人にすぎない」と言っていたが、公明党の富田茂之衆議院議員の指摘にもあるように、それは単なる詭弁にすぎない。
確かに公務執行妨害罪での拘留であるならば、それは船長にのみ該当する事案かもしれない。だが、漁船は、領海侵犯の上、操業していた事実が、海上保安庁撮影のビデオでも撮影されているという。それは単なる参考人ではなく、容疑者であることを示している。
仙谷長官はもう一度ビデオを見直すか、弁護士として本件の勉強をし直した方がいいのではないか。
さて、問題はその時点で船員含め14人を拘留していれば、中国がフジタの社員を拘束したと同様、外交上のカードになる。さらに個別の証言の矛盾をつくことによって、日本の正当性を主張する補完材料になる。日本政府はみすみす有効なカードを捨ててしまったのだ。
■2つめのミス、証拠ビデオの取り扱いにおける無策
2つ目の問題は海上保安庁が撮影したビデオである。このビデオを速やかに公開していれば、少なくとも国際社会に対して、日本の正当性を主張する強力な材料になったはずである。
日本国内では、中国と日本の言い分は圧倒的な差でもって決着がついているように思える。中国の詭弁に対して、日本の正当性は決して揺るがないと日本人ならば誰もが信じていることだろう。だが、それは所詮国内だけに通用する理屈だ。
国際社会では証拠もなく、さらに船長を無条件で釈放した日本の方に問題があると思っている勢力が少なくない。現実に、欧米のメディアの中では、日本にも負い目があったのだという論調が広がっている。それは、証拠を示さない日本に対する国際社会からの当然の評価である。
仮に、ビデオを公開できないというのならば、なぜ日本政府はそれを国際社会に発信しようとする方策を怠ったのか。少なくとも、相手国の中国にはそうしたスピン戦略が存在している。
たとえば事件後、中国政府は日本向けレアアースの禁輸措置を採ったが、それは公式に発表されたものではなかった。ニューヨークタイムズはじめ世界で影響力を持つ3つのメディアにリークしたものだったのである。
戦略的なリークは巧妙にその責任を回避することができる。おかげでレアアースの禁輸を行っているにもかかわらず、中国はWTO違反を問われずに済んでいるではないか。
日本政府は国内の記者クラブへのリークばかりに血道を注ぐのではなく、こういったときこそ海外メディアに向けて戦略的なリークを行うべきだったのではないか。
3つ目の失敗は、中国人船長の突然の釈放にある。
■3番目のミスはあまりにも唐突すぎる中国人船長の釈放
過去の事例からしても、拘留期限を延長した上で、その途中で嫌疑不十分のために釈放したという例は決して多くない。しかも、それは一切の政治判断を排除した上での、検察独自の決定によるものだという。
もはや日本は「検察国家」に成り下がったのだろうか。それならば、菅内閣は、外交も政治も検察庁にやってもらえばいいではないか。
仮にも、菅首相が「政治主導」を謳うのであるならば、中国人船長の釈放も高度な政治・外交判断に基づいて、行われるべきだったのではないか。
たとえば、船長は病気であり、人道上の見地から釈放したとか、そうした言い訳は外交上はありなのだ。そもそも外交は武器を持たない戦争である。自らの譲歩を少なくし、国益に適うような「うそ」ならば許される。そうしたスピンを行う者は政権内にいなかったのか。
さらにいえば、「うそ」をつかずに堂々とした釈放理由を訴えたいのであれば、別の戦術もあったはずだ。
その理由を「検察が粛々と…」ではなく、堂々と検察を指揮した上で、政府の権限に従わせたと言うこともできたのだ。
つまり、中国人船長を釈放したのは「指揮権発動」によってであり、それは政府の意思で為されたといえば、外交・安全保障の観点からも国内外へのメッセージにもなる。
■今回の件は政治主導どころか、単なる官僚組織の代弁
ところが、きょうまでの発言を聞けば、菅内閣とは、単なる官僚組織の代弁者に過ぎなかったことを認めざるを得ない。それほどお粗末な政府が日本を牽引していると思うと恐ろしくなる。
さらにいえば、指揮権発動は、菅首相自身にとっても、大好きな「安全地帯」に逃げ込む理由になったはずである。
検察庁法第14条では、指揮権の発動は、個別具体的な刑事事件に関する取調べについて、法務大臣が検事総長を指揮することができる、となっている。
つまり、内閣総理大臣に指揮権はないのであるから、いざとなったら柳田法相に責任を押し付けて、政府を守るということも法的には可能だったのだ。
いずれにしろ、今回の問題は決着した。だがそれは、もはや日本の政府にガバナンス能力がなく、日本という国家は、外交権も含め「検察国家」になっているという現実を内外に示したという最悪の決着をみたのである。
http://diamond.jp/articles/-/9560
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