113. 2010年10月02日 16:34:10: EjqZNsZ1bg
お子ちゃま大臣の前原が、国交大臣時代に後先考えずに逮捕を決めたことは間違いない。当時の外務大臣の岡田も当初は前原を支持していた。岡田も読みが浅く、外務大臣でこの後始末をつけ、名を上げるチャンスとばかりに続投を主張したが幹事長にさせられてしまった。前原は菅には私が外務大臣で自分でけりをつけると主張し、外務大臣の座を射止めたまではよかった。 しかし、予想外の中国の強硬姿勢にクリントンの発言を引き出し、中国に米国の圧力をかけたかに思えたがそうはいかなかった。 クリントンは、領土問題はあくまで二国間の問題で米国はタッチしないといっている。つまり、尖閣が領土問題で紛糾しても、米国は安保の発動はしないということだ。 このように前原はクリントン発言をすり替え、国民をだましたまではよかったが、例のごとく、後始末が出来ず、仙石に泣き付いたのが真相。仙石は政権というよりも指揮権発動問題から自分を守るため、全て検察の判断にし、政権はタッチしないと公言してしまった。ここに仙石も決定的なミスを犯してしまった。後述する。 一言。私は中国の漁船は漁船ではなく、中国の漁船監視船か、スパイ船ではなかったかと推測している。漁船の強度では、海保の船に衝突すれば沈没の可能性があるため、純粋な漁師はそんな無謀なことはしないはずだからである。釈放後の彼の顔は日焼けもせずおよそ漁師らしくなく、出迎えの家族も福建省の海辺の漁師の顔はしていない。おそらく政府機関の人間であったと思う。 それはともかく、中国はそもそも、民主党政権には好意的であったが、特に小澤グループに対しては、意思疎通がうまくいっていたのはご承知のとおり。ところが小泉より右派の対中国強硬論者の前原がしゃしゃり出てきた今回の一連の事件は、米国の思惑つぶしも兼ねて千載一遇のチャンスと捉えたのは想像に難くない。少なくとも、前原を葬り去る絶好のチャンスだからだ。 即座に閣僚以上の交流停止を打ち出したのは明らかに前原、仙石、菅とは会わないという意思表示に他ならない。通常は総理がダメでも、閣僚が根回しするものだが、根回しする外務大臣が無力では当事者同士での修復は不可能となる。中国の狙いはまずはそこにあった。 次に皆さんが言われるとおり、細野の訪中は明らかに中国の招待によるものと私も推察する。仙石が細野を呼びつけたという形を取ったとしても、実態は違う。菅、仙石は明らかに蚊帳の外。細野の待遇は国賓なみで、明らかに小澤一郎に対する礼を重んじたことによる。 北京で外務官僚の姿が皆無であったことは政府も、外務省もはずされていたということ。ましてや総理親書などを官邸の意向を受けて手渡しに行ったというのは官邸仙石の作り話に他ならない。中国側は船長釈放で、3人の開放までは決めていたのであろう。その手柄を細野(細野は小澤訪中団の事務総長で、胡国家主席にも面識有り。)に与え、小澤とのパイプ作りを行なったと見るのが妥当であろう。 缶、仙石のあのうつろな表情、前原の浮いた目つきを見ると彼らが門外漢であったことは一目瞭然である。 さて、仙石はあくまで、検察の政治的判断であったことにしている。検察も自らの記者発表で政治的立場を考慮しとしゃべっている。西松事件が起きたときに、政権交代必至といわれた野党の代表の秘書が逮捕されるということは政治的判断があったといわれていたが、当時の検察首脳は検察は政治的判断を一切しないと断言していたはずだ。これを逆手に取り、国会で、検察首脳の証人喚問をおこなうべきだ。 検察が政治的判断をするということが立証された以上、西松事件もそうであったということではないのか。いずれにしろ大阪高検の一連の不祥事をもとに、前田検事が直接関与した大久保事件を筆頭に、西松事件そのものの信憑性が問われ始めるのは必至だ。仙石のこちらを立てるための嘘が、あちらをたてるための嘘の暴露の起爆剤となったということだ。 もうひとつ重要なことは、前原の独善的な火遊びのために、ロシアにチャンスを与え、北方4島どころか、2島の返還も危なくなって来たという事実認識があまりにもひくいということだ。9月末の、中国ロシアの首脳会談は、明らかに対日領土問題での連携を念頭に置いたものだ。11月にロシア大統領は国際会議のため来日するがそのときに北方領土に立ち寄り実績作りをする予定のようだ。ロシアルートの鳩山も宗雄も閣外どころかノータッチ。前原外務大臣で領土が守れるのか、ネトウヨはこのような問題で政府を責めるべきではないのかな。 |