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中露に包囲され領土を失う日本 - 孤立の事実を報道しないマスコミ(世に倦む日々)
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中露対日包囲網_1
日本のマスコミが再び反中プロパガンダの絶叫を始めた。2年前の北京五輪の際の騒動で終わったと思っていたし、民主党への政権交代があり、ようやく日中友好の方向に転換したと安堵していたが、それも束の間、結局、内政だけでなく外交まで、全てが小泉時代の暗黒に戻ってしまった。思い出すだけでも憂鬱で、神経衰弱になるあの時代。安倍晋三とアーミテージが外交を仕切り、中国と韓国を卑劣に挑発し、マスコミが国内世論を右へ右へドス黒く塗り固めていた時代。まさか、菅直人が首相になった政権で、こんな事態が起きるとは夢にも思わなかった。TBSのワイドショーに出演した森本敏は、ケ小平の「棚上げ」は、日本の実効支配を認めるという意味だと言い、前原誠司の暴走措置を正当化する詭弁を言い放っていた。
日本による尖閣諸島の実効支配を認める「棚上げ」の意味は、中国漁船の拿捕や乗組員の逮捕までは含まない。そこまでの排他的な主権を日本に認めたわけではない。中国側はあくまで主権を留保している。だからこそ、船長の釈放も日本側が法的判断の下に行っている。「実効支配」が森本敏の言う意味なら、船長を釈放する検察の判断は論理的に導出されない。この場合、日中間の国際法は「棚上げ」の合意であり、ケ小平の東洋的知恵こそが国際法だ。つまり、「棚上げ」という国際法を破った非は日本側にある。マスコミは、右翼論者の森本敏の詭弁と詐術で視聴者を洗脳し、国民のナショナリズムを煽って中国憎悪の国民感情を燃焼させている。
中露対日包囲網_2
昨日(9/27)、ロシアのメドベージェフは北京で胡錦濤と会談し、第2次大戦終戦65周年の共同声明に署名した。報道にあるとおり、これは両国が「歴史の捏造」を非難するという内容で、中露両国が対日政策で歩調を合わせたことを意味し、具体的には、北方領土の統治支配をロシアが固める上で中国の支持を取りつけた図に他ならない。報道では、メドベージェフはこの中国訪問の機に、同時に国後・択捉を訪問する計画を立てていたとある。毎日の記事では、その計画は変更されたとあるが、産経と時事の記事では、明日9/29に電撃訪問とある。今、新聞社はメドベージェフの動向に釘づけのはずで、官邸は戦々恐々、外務省は懸命に訪島回避の裏交渉をしているだろう。まさにアヘン戦争と南京条約の様相。北と南から日本の領土に外国の手が伸び、無能と失態で政府は何の手も打てず立ち往生している。
ところが、昨夜のテレビ報道は、この重要な国際政治のニュースを一言も伝えなかった。NHKもテレ朝も無視している。尖閣問題を報道する上で、これ以上重大な関連ニュースはなく、国民に詳しく伝える必要があるはずだが、中露首脳会談の報道はなく、日本にとって重大な意味を持つ共同声明は紹介されなかった。メドベージェフの北方領土訪問の情報も伏されている。政府にとって都合の悪い情報だからだ。朝日の紙面記事(6面)も小さな扱いで、北方領土訪問の情報については何も触れていない。外務省の官報。
中露対日包囲網_3
国際政治の舞台では、現実に中露二国が手を握り、対日包囲網を着々と敷いて攻勢をかけて来ているのに、日本のマスコミはそれを報道せず、日本の世論はその客観的事実を正視しない。NHKの大越健介は、逆に、南シナ海の支配を目論む中国に対抗する包囲網を、日米がベトナムやフィリピンやマレーシアと共同して構築する情勢だと無意味なプロパガンダを垂れていた。西沙諸島や南沙諸島で領土問題が起きていて、中国の暴慢に周辺国が迷惑し、領土保全に頭を悩ませているのは事実だ。だが、大越健介がベトナムの関係者の証言を放送したほどには、ASEANが中国対抗で一枚岩に結束している状況はない。むしろ、中国とASEANの関係は緊密の度を増し、ASEAN諸国も日本と同様に中国経済に依存する傾向を強めている。
中国の覇権への警戒感はあっても、ASEANには華僑が多く住み、彼らがASEAN諸国の経済発展を牽引する前線に立っている。華僑のネットワークが中国の市場と結びつき、上海や香港からの投資を呼び込む原動力となっている。華僑に国境の壁はない。ASEANの中国脅威論と言っても、それは日本のマスコミが報道(刷り込み)しているような単純な構図と性格ではない。数日前の朝日の紙面記事に、フィリピンの大学教授の話が載っていたが、南沙諸島周辺の漁業者は困り果てているが、中国からの膨大な観光収入を無視できないフィリピン政府は、中国による南沙諸島の領有と中国漁船の横暴を見て見ぬフリだと言う。
中露対日包囲網_4
セブ島の白い美しいビーチも、昔は日本人ばかりだったが、今は中国人観光客が占領状態なのだろう。国内に資源と産業のないフィリピンにとって、観光は外貨獲得の重要な収入源なのだ。大越健介が言うように、本当にフィリピンやマレーシアが中国の海洋侵出を警戒し、その阻止や牽制に動いているのであれば、政府当局者が日本のテレビ取材でその主張を開陳していいはずだし、首相や外相が東京に来て、日本の立場を支持すると公言してよいはずだ。そのような国際政治の場面が出現してよいはずである。東京まで飛んで来なくても、国連総会に出席したNYでそう発言する外交機会があってよかった。ところが、尖閣問題で日本を支持するとか、中国の海洋侵出は脅威だという言葉は、南シナ海を取り囲むAEAN各国の首脳の口からは一向に出て来ない。
大越健介や古舘伊知郎は、資源を貪って海洋侵出する中国がアジアの中で孤立しているように「構図」を描くが、事実は逆で、アジアの中で求心力と指導力を失い、ASEANからも見離されつつあるのは、実は日本の方なのである。今、中国とロシアによる対日包囲網ができた。これに韓国が加わったらどうなるか。例えば、ロシアが中国と結んだ同じ内容の共同声明を韓国と結び、竹島問題で韓国を支持する立場を鮮明にしたらどうなるのか。そして、韓国が北方四島はロシア領だと正式に認め、韓国大統領がロシア政府の招待で国後島を公式訪問し、海域の漁業協定に調印し、韓国企業の操業が島で始まったらどうなるのか。
中露対日包囲網_5
マスコミや政府や右翼は、そういう国家的危機の想像力を働かせることができない。昔はマハティールのようなルック・イーストの秀逸な指導者がいて、日本の首相が恐くて米国に言えなかった主張を、代弁して米国に向かって堂々と直言してくれていた。今、ASEANの首脳たちのルックの先は、中国か米国かどちらかなのだろう。嘗て日本はASEANの事実上の盟主であり、スポンサーであり、東南アジアは日本経済のテリトリーだった。今、その地位が根底から失われ、米国が襲ってリプレイスを仕掛けている。この黄昏は日本人として無念で、東南アジアの成長と発展を自国経済の循環に繋げられない現状をもどかしく思う。
この地域(ニューギニア島東半のパプアを含めて)が、誤解を恐れずに言うなら、ナチスがウクライナをそう呼んだような、日本にとってレーベンスラウムである事実は、南進策と大東亜共栄圏の失敗史例を含めて、未来永劫変わることはないと思われる。それはおそらく、韓国も同じ地政学を考えるだろう。したがって競争になる。日本国首相に就任した者は、韓国、中国、米国に挨拶訪問した次に、間髪を置かずバンコクに飛ぶべきで、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピンと一週間かけて滞在して首脳会談を続けるべきなのだ。われわれは、宮沢イニシアティブを思い出すべきで、東南アジアを円の共通通貨圏にする夢を捨ててはいけない。この地域を共通通貨圏に抱え、ドルとユーロと鼎立し、人民元を押さえ、天下三分の計を果たすのである。世界に冠たる製造業を再建して。
中露対日包囲網_6
マスコミの反中反共プロパガンダのシャワーを浴びながら、鬱を病みそうな重い気分になるが、マスコミ論者や政治家たちの言う「中国は価値観の違う国だ」とする言説に対する抵抗の衝動を抑えられない。このことは、5年前の中国の反日デモのときも言い、2年前の北京五輪前のチベット騒動のときも同じ主張をしたが、中国や韓国ほど日本と同じ価値観の国はないのではないか。古代日本が、赤ん坊が朝鮮半島を乳房にして中国大陸から栄養分を吸収し、一国の歴史と文化を発展させたということは、歴史の教科書に書かれていた。漢字とは中国文字である。司馬遷と杜甫の文字だ。言語としての日本語は漢字を中心に組み立てられている。
価値観とはまさに言語が媒介するものではないのか。日本の仏教は大陸を経由した大乗として入り、経典はサンスクリットから漢字に変換され、中国文化の(飛鳥以前は加えて半島文化の)潤色を受けている。江戸期の武士が素読したのは論語だった。江戸末期に至るまで、政府の公文書は漢文の書式である。日本人が欧米の言語に接し、その文化文明を本格的に吸収し始めたのは、わずか150年前からであるに過ぎない。われわれ日本人の価値観、すなわち真善美と正悪の基準の中には、欧米伝来のものよりはるかに多く中国伝来のものが含まれ、人格の基層に定着しているはずだ。その常識と前提を承知した上で、マスコミ論者と政治家は、「中国は価値観の異なる国」だと言う。そのときの「価値観」とは、日本語の「価値観」のことではなく、実は「政治体制のイデオロギー」が違うと言っているのである。
中露対日包囲網_7
価値観とイデオロギーは同じ意味ではない。すなわち、ここには言葉の詐術があり、イデオロギーを価値観と狡猾に言い換えることで、彼らの政治的主張の説得力を高める効果が意図されている。言葉の耳障りがマイルドになり、その主張が本来持つ刺々しく毒々しい意味が薄れ、聞く者が肯首しやすい態度へ誘導されるのである。、マスコミ論者や政治家が言いたいのは、民主主義や市民社会が中国では社会定着しておらず、その前提を為す個人の権利(自由)が体制的に保障されておらず、日本や欧米諸国などの自由主義国と異なると言いたいのだろう。その中国批判の主張は一義的には正しい。だが、物事はすべて厳密に観察して慎重に判断すべきで、中国が社会主義の国家であることは、中国近代史の経緯と事情によるもので、中国人が自らの意思で採択した社会体制である事実は否定できない。
ベトナムも同じ体制を採用している。イスラム教の国々も、自由主義国には含まれない場合が多いのだろうが、それも(外側の者からすれば)国民の選択と意思によるものだ。そして、中国が共産党支配の国家として出発するに当たっては、日本による侵略戦争が大きく関係し影響している。「抗日解放」が中華人民共和国の建国の原点であり、オバマが就任演説の一節で語った米国の建国神話と同じ聖史である。国家の土台には「抗日解放」の聖書的歴史がある。日本の侵略戦争と中国の建国の歴史は接合していて、それは表裏一体のものだ。中国と日本とはそのような関係にあり、中国人と日本人の関係の基点がそこに提供されている。その前提に立ち返ったとき、「中国は日本とは価値観が違う」という言葉で中国を丸ごと否定し、日本を丸ごと肯定する言説と態度はどうだろうか。
中国は共産主義の全体主義、日本は民主主義の自由主義。形式的に、その指摘は妥当だろうが、両国の社会の中身は30年前とはずい分変わった。中国も変わったが、日本の変容も非常に激しい。日本の民主主義と自由主義については、中身の検証が必要な時期ではないか。30年前は、このようにマスコミが「世論調査」で政治を決めて行く時代ではなかった。今の日本は、形式的には民主主義の国だが、実体的には相当に全体主義の国である。
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