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平成22年9月24日発行
発行人 南丘喜八郎
編集人 坪内隆彦
発行所 株式会社K&Kプレス
TEL 03(5211)0096
FAX03(5211)0097
(転載承諾済)
特集 司法崩壊
それでも私は闘う! 司法の暴走を許すな 衆議院議員 鈴木宗男
── 最高裁で上告が棄却されたが、最初から最後まで、司法の暴走と言える裁判だった。
鈴木 多くの国民は、8年前の「鈴木宗男バッシング」の印象と、今回の上告棄却を短絡的にとらえているのではないですか。
あの時、「ムネオハウス」「三井物産ディーゼル発電機疑惑」「アフリカODA疑惑」と、次々に「疑惑」がマスコミに面白おかしく書き立てられましたが、私が戦った裁判は、これらの「疑惑」とは無関係です。この裁判では、島田建設事件・やまりん事件という「あっせん収賄」、「受託収賄」、そして「議員証言法違反」「政治資金規正法違反」という四つが争われたのです。
しかし、島田建設事件・やまりん事件はそもそも、釧路地方検察庁が一度捜査したものの起訴できなかった「無理筋」の捜査でした。それはそうです。平成10年に官房副長官に就任したお祝いに「やまりん」から400万円の政治献金を受け取りましたが、このとき、政治資金規正法に則って、領収書を出して、報告もしています。どこの世界に賄賂に領収書をきるバカがいるんですか。
それに、私は故・中川一郎先生のもとで金庫番をつとめてきました。中川先生は「北海のヒグマ」と恐れられたとおり、普段は優しいのに、怒りだすととても喧嘩っ早い人だった。
だから、それなりに敵も多く、その分「金のことは徹底的にきれいに管理しろ」と叩き込まれていた。だから、初出馬以来、私も様々な敵意のなかで活動してきたから、政治資金の管理は非常にシビアにしていたのです。
私を逮捕した直接の案件は、この「やまりん事件」ですが、検察はこれを単に入り口と考えており、世間に流布していた数々の「疑惑」を立件することを目指していた。証拠があるのではなく、私から「自白」を絞りとり、調書を作り上げて有罪に持ち込めると考えていたのです。
実際、検事は机の上に週刊誌を山積みにして、「この疑惑はどうですか」などと一つ一つ尋ねてきた。当時の週刊誌は「鈴木宗男、これだけの疑惑」などと題して、ありもしない「疑惑」を無責任に書き散らしていたのですが、検察はその裏付けを取ることもなく、週刊誌を情報源に私を逮捕したわけです。
私は怒って「それでは別件逮捕ではないか」と言ったが、取調べの谷川恒太検事(当時)は「そうですよ。我々には権力の後ろ盾がありますからね」と言い放った。このような法を無視する人間が今なお「秋霜烈日」のバッジを付け、絶大な権力を握っている。なお、この谷川検事は最高裁検事にまで出世したが、今年の三月には、検察批判記事を掲載し続けていた『週刊朝日』誌に抗議し、編集長に出頭要請した人物でもある。相変わらずの権力乱用ぶりです。現在では宇都宮地検検事正だが、こうした権力に酔った人物が今でも検察権力を握っていることは、国民生活をおびやかすものです。なにしろ、検察が逮補しようと思ったら、どんな理由をつけてでも逮捕し、それから証人をぎゅうぎゅう締め上げて供述調書をとり、有罪判決一丁上がり、という仕組みになっているのです。
私の事件の場合、検察は結局、週刊誌に掲載されたような「疑惑」では立件することはできませんでした。そもそもそんな疑惑などないのだから当然です。しかし、鈴木を逮捕した手前、どうしても何かで立件しなければメンツが立たない。
それで、最初の逮捕容疑である「やまりん事件」での起訴に踏み切ったのです。
この「無理筋」を有罪にするために、検察はありとあらゆる残虐行為に手を染めました。ガンを患って療養中であった佐藤玲子元秘書は、闘病中にもかかわらず、真夏の日に、蒸し暑い監獄に監禁され、適切な治療を受けることもできなかった。検事は「今日も暑いですねえ。独房はクーラーもないから大変でしょう」などと汗を拭きながら世間話めかして話しかけてくるのだが、それは、弱った体で独房に閉じ込められている佐藤元秘書のことをほのめかしていたのです。「このままだと、お前のせいで佐藤元秘書は死んでしまうかもしれないぞ」という脅しです。私は、弁護士を通じて佐藤元秘書に「私のことはいいから、検察の言うとおりに供述調書にサインして、早く出て治療に専念してください」と伝えました。もちろん弁護士は「先生、検察はもはやむちゃくちゃを通り越してなんでもありですよ。そんなことをしたら先生は確実に有罪になります」と止めたが、私はそれでもかまわないと思ったのです。
検察は脅して桐喝して、自分の言うことを聞くようになった証人を「自動販売機」と呼んでいます。「自動販売機」をいくつかこしらえれば、自動的に有罪が取れるのです。
ここには、裁判の問題もあります。裁判所では、証人が裁判所で証言することよりも、「検面調書(検事面前調書)」のほうが「信頼性が高い」とされるのです。だから、検察官の取調べが苦しくて「今はサインしてとりあえず出て、法廷で真実を訴えよう」と思っても、実際にそんなことが通用することはありません。サインしたらおしまいなのです。
もっとも、村木裁判で検察の調書の多くが証拠として採用されなかったことは、画期的なことです。村木さんは、手記でこう述べている。
調書の作成というのは、検事さんとの交渉なんですね。私は一度、弘中先生(引用者注*弘中惇一郎弁護士)から叱られたことがあります。「なんでみんな、こんなに嘘をつくんだろう」と私が嘆いた時です。弘中先生は、「みんなが嘘をついているわけじゃない。検事が自分の好きな調書をまず作ってしまう。そこから交渉が始まるんだ。調書とはそういうものだ」って。
どんなに説明しても、結局検事さんが書きたいことしか書いてもらえない。いくら詳しく喋っても、それが調書になるわけではないんです。話した中から、検事さんが取りたい部分だけがつまみ出されて調書になる。そこから、どれだけ訂正をしてもらえるかの交渉が始まるんです。なので、いくらやりとりをしても自分が言いたいこととはかけ離れたものにしかなりません。がんばって交渉して、なんとかかんとか「少なくとも嘘はない」というところまでたどりつく、という感じです。(中略) 予断を持たずに、冷静で、丁寧で、徹底した捜査をやっていれば、このような間違いは起こらなかったんじゃないでしょうか。そういう捜査をやるように努力して欲しいし、間違いがあってもすぐに軌道修正できる組織であっていただきたい。無罪判決が出たら、控訴していつまでも争うのではなく、検察自身にどうしてこうなったのか検証して欲しいんです。(村木厚子「私は泣かない、屈しない」『文藝春秋』2010年10月号)
この考えは正しいし、私も支持します。村木さんの事件も、検察が自分でストーリーを作り、でっち上げの調書を作成した、いわば「作られた事件」なのです。
文中に出てくる弘中淳一郎弁護士は、私の担当弁護士でもあります。その弘中先生は、「鈴木さんの事件も村木さんの事件も同じです」と言っていた。
検察は、この事件に関わった人を誘導し、検察に都合の良い調書を作り上げており、それが如何にずさんでいい加減なものか、明らかになっているのです。
私の上告棄却の直後、やまりん事件の当事者である山田哲社長から、次のような手紙が届きました。ぜひ、読んでいただきたい。
昨日、厚生労働省の村木局長の無罪判決を聞き、当時の私の事を思い起こし、やっぱりえん罪事件も起こり得るだろうなと改めて感じました。
私はやまりん事件の一審の法廷で鈴木代議士に不正な金を渡し、お願いをしたと証言を致しました。
長期に亘る取り調べの中で痛切に感じた事は、公判維持の為にあらかじめ検察の決めたスジ通りに調書を取ることを求めてくる密室での押し付けがありました。
例えば父が鈴木代議士に渡した金も、父から代議士の官房副長官就任のお祝いに行くと聞かされていたので、私は単純にお祝いと思っておりました。
取り調べの際もその事を担当検事に何度もいいましたが、まったく認められませんでした。
検事からは「金にはお祝いとお願いがあるが、政治家に渡す金はお願いしかない」と一方的にいわれたりしました。
又、一審の裁判の4日位前から、検察庁に呼びだされ裁判の受け答えのリハーサルの様な事もやらされたりしました。この様なやり方を行なっていれば、もちろん検察の中にも正義感をもって一生懸命働いている人も多勢いると思いますが、一部の誤った誘導や過信などから、村木さんや私達の様な悲劇が繰り返されるのではないかと心配しております。
その為にも鈴木代議士には取り調べの可視化など、えん罪撲滅の為、頑張って頂いていたのに、眞に残念でなりません。
最後になりますが、私自身のこの事件に対する弱さを含めて、現在の状況になった事に貴任を感じております。
鈴木代議士にあっては、厳しい局面ではありますが、今後共この地域のために、ご尽力を勝ります様心よりお願い申し上げます。
平成22年9月11日 山田哲
また、島田建設事件でも同様の供述強要が行われていました。島田社長は当時、大変体調を崩されておられた。そんな状態で北海道から呼び出され、検察の厳しい取調べを受けて、耐えられるはずはない。島田社長もまた、無理やり検察の調書にサインをさせられたのです。
事実、島田社長の悦子夫人が、病に倒れた夫に代わり裁判所に提出した陳述書には、次のようなことが書かれています。
夫の話では、検察官はあらかじめ文章を作っていて、その表現内容が夫の認識と違うと言っても受付けてくれず、どのように対応をしたらよいか困っているということでした。(中略)夫は、納得のいく形での調書を作ってもらえず、そのあげく、鈴木宗男代議士は逮捕され、また島田建設も賄賂行為をした企業とされて9ヶ月の指名停止の処分を受けてしまいました。(中略)俺が検事の言うままにサインしたのが悪かったのかな、申し訳ないことをしたな、などため息混じりに愚痴っていました。
検察側が賄賂を持っていった人とみなしている人物の真実の声を、なぜ裁判官は理解しないのか不思議でなりません。
人として、人を裁く見識、目を本当に持ち合わせているのか、疑問に思えてなりません。
私は2005年の衆議院選挙で復活当選して以来、私のような検察の被害者をもう二度と出してはならないという思いから、司法改革、取調べの全面可視化に取り組んできました。
これからも、この活動は続けます。誰もがいつ検察に逮捕されるかわからず、びくびくしなければならないような暗黒社会に、日本をしてはなりません。
── 外務省でかつて「鈴木宗男バッシング」を扇動した人々は安堵しているのではないか。
鈴木 心にやましいものを持っている人々には、枕を高くするのはまだ早い、と申し上げておく。必ず外務省の膿は出し切る。私はちょっと永田町を留守にするが、外務省の恥部については情報をしっかりと、私の思いを継いでくれる人々に渡してある。かならず悪業は我が身に降りかかってくるということを忘れないことだ。その一方で、真面目に職務に専念している職員たちには、安心してこれからもわが国の国益のために頑張って欲しい。
── 政治家・鈴木宗男はこれで終わりではない。
鈴木 私の人生は政治そのものです。政治なしの人生などありえません。バッジをつけていなければ政治はできないわけではない。幸い、私の後援会の皆さんは、私が戻ってくるまで磐石の体制で私を待つと言ってくだきっている。「鈴木さん、今回の最高裁の決定は鈴木宗男を潰そうとしただけではありません。鈴木宗男を選び、支持してくれた北海道の声をも潰そうとしています。北海道のためにも、歯を食いしばってでも闘い抜きましょう」という声援も多数いただいています。上告棄却後、私の事務所には三件ほどいやがらせの電話があったが、他の数百件の電話はすべて私を応援してくれるものでした。私はこうした声援からエネルギーを貰い、ますます闘志が湧いています。
先日、故郷・足寄に帰り、両親の墓前に報告をしました。
平成16年4月6日に旅だった母は、亡くなる前に「母ちゃんは悪いことをする様な子供は生んでいない。母ちゃんが一番わかっている。宗男、もう一回国会に出れ。自信を持って闘え」と言ってくれました。
私は、無数の人々に支えられてこれまで生きてきました。
その中にはもう亡くなってしまった人もいるし、今、私がこのような境遇に陥ってもなお声援をくれる人々がいる。その人たちすべての思いに答えるのが、政治家・鈴木宗男の使命です。
鈴木宗男を必要としている人がいる限り、鈴木宗男は何度でも立ち上がります。
ムネオの闘いはまだまだ、始まったばかりなのです。17頁
月刊日本編集部ブログ
http://gekkan-nippon.at.webry.info/theme/f8d87a0196.html
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